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さり気なさを装ったつもりだったが、問いかけるわたしの声にそこはかとなく不安が滲んでいたのかもしれない。彼は空の丼を抱えたまましばし考え込んでいた。…やっぱり。
「…今のところは。あんた一人を集落にさっさと置いて自分だけさっさとあそこから逃げ出そうとまでは。別に考えてないよ」
ゆっくりと思案しながらだけど、一応そういう風に表明はしてくれた。けど、何だ。『今のところは』って。
ことり、と微かな音を立ててそっと丼と箸をお盆の上に置く。もう床上げして数日経っているので畳んで壁際に寄せて積んである布団の山に背中をもたれさせたかと思うと、さっきの言葉の先を継いだ。
「ちゃんとましろがあの集落の連中と上手くやっていけてるかどうか、人間関係で困ったり悩んだり、閉じた環境の常識と相容れなくてこれ以上はとても滞在できない。ってなってないかどうかしっかり見極めないといけないのはわかってるし。多勢に無勢で、外から来た人間の声が通らないこともあるだろうしね」
表情はあまり変わらないが、それでもやや優しい色を瞳に少しだけ滲ませてわたしの方を見た。
「俺がとりあえず一緒に滞在してさえいればそういう場合の味方になって、状況によっちゃ一刻も早く連れ出さなきゃいけないってことになる可能性もあるし。…うん、あんたをあの集落の中でいきなり一人にさせるなんて。さすがにそれはできないよ。責任持って適応できるかどうかを見届ける」
「それで。…どうやらこのまま集落に溶け込めそう、ここの一員としてやっていけそうだと感じたら。安心してわたしを置いて出てくの?」
ずっと気になっていたことを思いきって訊いてしまった。
すぐに返事せず、一瞬黙り込んで目線を下に落としたアスハを目の当たりにしてわたしははっきり言葉にして尋ねたことをちょっとだけ後悔した。
こうやってあからさまに口にすることで、わたしはどんな反応を期待してたんだろ。何があってもましろを置いてはいかない、ずっとそばにいるよって?
それはない。最初からわかってる、わたしたちは将来を誓い合った恋人同士でもないし。
あまり突き詰めて考える気にならなかったからここに来るまで直視せずにいたけど。
「…でも。わたしを集落に連れてくのは、そこでわたしが適応できるかも。同じ特性を持つ仲間の中にいれば孤独を感じなくて暮らせるかもと考えてるせいもあるんでしょ?その場合、やっぱり結局はわたしを置いてくわけじゃん。だって、もし万が一わたしが集落を気に入ってここからずっと離れたくないとか言い出したら。じゃあ自分も、と一緒に故郷で定住するってつもりはないんだよね?」
ほら、黙り込んだ。やっぱりね。
最初から、もし故郷の人たちとわたしが上手くいくようなら自分一人で立ち去るつもりでいたんじゃん。もちろんそれを意地悪とは思わない。
わたしのためを思ってのことだとはわかってるけど。
…アスハはそれで構わないの?それっきり、また自分一人で当てのない旅を続けることになっても。
「…まあ。すごく正直なこと言えば、本気であんたがあの集落の連中と気が合うとか馴染んで上手くいくようになるとかは。実は怪しいんじゃないかとは思ってる」
彼なりに、ごまかしはなし。と決めたらしい。ぽつぽつと言葉を選びながらだが、誠実に本当に思ってることを伝えようと努力してる様子なのは確かなようだ。
「あいつら、何だかんだ言ってもやっぱりいけすかないし。俺の知ってるましろとあの連中とで実際そんなに共通点もないしな…とは。だから、あんたがもうここに定住したい!と熱心に願うほどあそこを気に入るか?ってのは本音を言っちゃえば懐疑的ではあるな。そこまで嵌ることはさすがにないんじゃねとは。思ってなくもない」
「…そっか」
ちょっとほっとした。
別に、集落に送り届けてそこをわたしが気に入ればそれでよし。あとは自由だ、もうあいつに関しての責任は逃れた。とばかりにすっきり旅立てるとまでは思ってないんだな。
結局はわたしがアスハと再び一緒に旅に出るだろうと半ば確信してはいるわけだ。だからこそ集落に連れて行ってもまあ大丈夫だろ。って計算も一応あるんだろうと思う。
肩の力を抜いて強張った顔をちょっと緩ませたわたしに、それでも改めて生真面目な顔を作って彼はしっかり念を押す。
「あんたをあの場所に連れていくのは別にそこで骨を埋めろとか馴染んで適応しろってことじゃなくて。似た能力を持つ連中から何か参考になること、得られるものがあるんじゃないかって考えたからなのは本当だよ。だけどもしも俺の予想と違ってあいつらといる方がましろが安らげる、ここにずっと住みたいと感じたらそれを隠す必要はないから。自分でしたいようにすればいい」
「うん…」
どうなんだろ。アスハがここまで反撥を隠さないような独特の癖がある人たちとわたし自身とが、そこまで気を許し合える関係になれるとは。さすがに思えないんだけど…。
釈然としない思いで中途半端にどっちともつかない角度で首を傾けるわたしに、アスハはいつになくやけに柔らかな声で噛んで含めるように言い聞かせた。
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