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目が覚めたのは太陽がもうすっかり昇りきった、11時過ぎ。
「あれ……学校サボった?」
欠伸をしながらスマホを見ると、咲と母親から数えきれないほど着信がある。
のそのそとベッドを降りて、鍵を開ける。
その音でリビングにいた母親が気がついたようで、階段の下から声をかけられた。
「のんちゃん、おはよ~!よく眠れた~?」
寝坊したことを怒るでもなく暢気にそう声をかけながら、冷めたスープを温めてくれる。
いつまでこの子供扱いが続くのだろうと思いながら、鼻歌まじりに微笑む母親の横顔を見つめる。
「ごめん、寝ぼけて鍵かけたみたい。」
「咲ちゃんと小河原先生には、具合悪いって言っておいたよ。」
「ありがと。」
「のんちゃん、夜中にお風呂入ってた?」
背中を向けたままそう聞かれて、核心を突かれた気がして妙に焦る。
「あ、ちょっと寝れなかったから。」
「どこか体調悪いの?また怖い夢でも見た?」
引き攣った顔で振り返ると、俺の額に手を当ててから首筋に手を添えて扁桃腺の確認をする。
「大丈夫。」
「無理しないでね。学校も歩いて行く必要ないよ。母さんいつでも送迎できるから。」
「咲いるから大丈夫。」
「校内でも何かあったら必ず言ってね?不安なことあったら絶対に電話するのよ?」
「……俺、いくつよ?」
まるで小学生を相手にしているかのような態度に笑いながら、温めてくれたスープに口をつける。
「のんちゃんすっごくかわいいから心配。陽ちゃんも毎日心配してるよ?中坊の性欲はすごいからって……。」
「んぐふっ!!」
まるで自分のことを言われているかのような気がして、思い切り咽る。
ゴホゴホと派手な咳をしていると、勘違いした母親の顔がみるみる青ざめていく。
「な、なんかされたの?大事なところ触られた?大事なところは覚えてる?肌着で隠れるところだからね。あ、でものんちゃんの場合はぜ~んぶ大事だから、不必要に触ってきたらすぐに逃げるのよ?怖いなって思ったらすぐ逃げるんだからね?咲ちゃんみたいに強くないんだから喧嘩は絶対にしないの。持ってるものぜんぶ捨てて、全速力で逃げるんだからね?」
「うっさいな……。女子いるのにわざわざ男の俺にこないって。女顔だけど身体は普通に男だよ?だから大丈夫。」
「のんちゃんは自分のこと全く分かってない。入学式の時も、みんなのんちゃんのこと見惚れてた。気分悪くなって倒れたじゃない?」
「倒れてない。眠かっただけ。見た目が外人で目立つからだろ?」
「最近よく眠るから、頑張りすぎてるんじゃないの?無理しないでね。」
そう言って心配そうに眉を潜める姿に、申し訳なさを感じた。
「母さんも、いつまでも家にいなくていいよ。」
あの日襲われてから、この人はずっと家にいる。
あの男のせいなのに、ずっと自分を責めているのが分かるから、それを見ていると……
まるで、俺が責められているような気持ちになる。
いつ何時も駆け付けられるように、家で待機を続ける母親を見ていると、罪悪感で苦しくなる。
引き籠りのように家で過ごす母を見て、自分が情けなく思った。
生まれてからずっと、迷惑と心配しかかけてない。
周りの人間の人生までも、俺のせいで大きく狂わせてしまっている。
「私は家がすきだから。」
「どこにも行かないじゃん。」
「子供が親の心配する必要ないよ。のんちゃんは自分の心配だけしていてね。母さんがずっと守ってあげるから。」
「過保護すぎる。」
「愛してるからしょうがないでしょ?」
「自立できない。」
「そんなこと無理にする必要ないもの。母さんがずっとのんちゃんのこと守るから、そんな心配しなくていいよ。」
あっけらかんとした顔で怖いことを言いながら、食べ終わったカップを流しに運ぶ。
その華奢な背中を見つめていると、庇護する対象にしてはかなり小柄だ。
俺よりも薄い茶色の祖父譲りの柔らかい髪の毛。緑色の大きな瞳。化粧なんてしなくても若々しい肌。
同年代の母親に比べて、俺の母親は異様に若く見える。
しかも兄弟の年齢を加味すればもう50を過ぎているであろう人間には、とても思えない。
目尻にある皺を数えても、どう頑張ってみても30代。
だから多分、陽兄たちと俺は親が違う。
父さんも母さんほどではないにしても、年齢に大きな差を感じない。
若気の至りで出来てしまった子供だとしても、別に血の繋がりなんてなくても全然いい。
そのお陰で2人も家族が増えて、俺の幸せが増えているのだから。
陽兄も瑠海姉もだいすきで、ふたりもちゃんと俺を愛してくれている。
ブラコンだと周りに騒がれようと、他人にどう思われようがどうでもいい。
血の繋がりなんてなくても、ふたりのことを家族だと思っている。
むしろ血の繋がりがないからこそ、陽兄は俺のことを大事にしてくれるのかもしれない。
そんなことに気がついたところで、問いただすような真似はしない。
誰かを傷つけてまで、真実を知りたいとは思わないから。
みんなが思うほど、俺だってガキじゃない。
「まじで親なの?」
「こんなに似ていて親じゃないと思う?」
「思わないけど。」
「でしょ?母さんにそっくりですっごくかわいい!!」
そう言いながら抱き付かれ、顔中にキスをされる。
思春期の息子にこんなことをする親はきっとこの人くらいで、それを赦せてしまうくらいには十分に愛らしい見た目をしていた。
「自分だいすきすぎて引くんだけど?あ、咲だ。」
突然スマホが震えて、慌てて耳にくっつける。
「具合どう?」
耳元で好きな人の声が聞こえると、なんだかくすぐったい気持ちになる。
いつも聞いている声よりも少し低く感じて、なんだか大人と話しているようだ。
普段は頭の上から聞こえてくる声が耳元で聞こえるだけで、なんだか身体がむずむずする。
聞かれてまずい話なんてないから、スピーカーに切り替えた。
「大丈夫。」
「帰りに寄るから。」
「いいよ、別に。」
「プリン買ってく。」
「マジでガキだと思ってんだろ?」
「いらないの?」
「いる。クリームのってるやつ。」
「あとは?」
「フルーツのたくさん入ったゼリー。パイナップルは嫌いだから。」
「知ってるよ。」
そう答えながら、電話口で息が漏れた。
絶対笑ってるのが分かっても、その息遣いにぞわっと肌が粟立つ。
スピーカーに切り替えておいて、大正解だった。
「じゃあ、後で。」
そう言ってすぐに切られたのに、余韻に浸る様にスマホを見つめていると、母さんが俺の顔をじっと見つめてくる。
「なに?」
「のんちゃん嬉しい?」
「は?」
「すっごくうれしそうな顔してる。」
「……プリン買ってきてくれるから。」
「のんちゃんプリンも大好きだもんね~。」
「ねえ、もって何?」
微笑みだけ返しながら、また鼻歌を歌いながら洗面所に消えていく。
俺はスマホをもう一度見つめながら、心の中で呟く。
―――嬉しいに決まってるじゃん。だいすきなんだから。
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