蛇に睨まれたオオカミ

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俺が精通を迎えたのは、小学5年の終わりだった。 落ち着くから、気持ちいいから、そんな軽い気持ちで触っていたそこが、たまに硬くなることは知っていた。 硬くなったそこをさらに擦ると単純に気持ちがよくて、気がついたら癖のようになっていた。 いつものように何気なく部屋で弄っていると、手が透明な液で汚れていた。 「はあ?」という何にキレたのか分からない感情が沸き起こるのと同時に、尿とは異なるそれが精液だと気がついたのは、保健の授業で習ったから。 ―――あ、俺にもきたのか……。 という気持ち以上に、なんの感情も湧かなかった。 俺が精通を迎えること以上に無意味なことが、この世界に何もない気がする。 これで赤ちゃんができると言われても、いまいちピンとこない。 女子とセックスする自分の姿なんて、全く想像できなかったから。 無意味な命をティッシュで丸めてゴミ箱に捨てると、妙に哀しくなって枕に顔を埋めた。 俺に話しかけてくるもの好きなんてのぞくらいだったから、小学校時代は友達がいなかった。 俺の世界は自分の家族とのぞだけの狭すぎるコミュニティーの中で、常に完結している。 それに不自由しないくらいにはのぞといる時間が大切で、のぞ以外に興味がない。 上品な恵さんに躾られているからか、かわいすぎる顔面のせいか、のぞの仕草はどこか女を匂わせる。 それに加えて年の離れた兄である陽海さんの悪影響で、小学校の高学年になると急に女子にモテるようになった。 勉強もスポーツもなんでもできて、誰にでも優しくて愛嬌がある。 見た目のビジュアルの強さに加えて、誰にでも平等に接するのぞは気がつけば王子様のように崇められていた。 ―――虐められなくなったことに安心していたら、今度は女かよ? そんな俺の胸中なんてまるで気がつかないのぞは、女子にも俺と同じ笑顔を見せる。 女よりもきれいな顔で微笑むのぞを見ていると、腹が立った。 俺にはのぞしかいないのに、のぞには広い世界がある。 それがどうしようもなく寂しくて、苦しい。 カーテンが大きく膨らみ窓の外を見つめると、校庭にのぞがいた。 柔らかな髪を靡かせながら、クラスメイトの男を見つめている。 視線を合わせてにっこりと微笑みながら、日陰にある水筒を指差していた。 のぞの視線に操られ、男は言われた通り大人しく水筒をとってくる。 それを満足げに受け取りながら、細い指で男の髪にそっと触れた。 まっすぐに男を見つめて、優しく微笑みながら何かを言っている。 その表情にデレた男の横顔が見えて、怒りが湧いた。 その怒りはのぞに向いたモノか男に向いたモノか、自分でも判断がつかない。 ―――男が怖いくせに、何してんだよ……? 男なんて大嫌いなんだろ?キショいんだろ?怖いんだろ? それなら、とっとと離れろ!触んな!!俺以外に触るな!! そう胸の中で大声を張り上げても、のぞには届かない。 なんだか虚しくなってカーテンを閉めると、俺と同じようにのぞを見ていた女子に睨まれる。 それを睨み返すと、何も言わない代わりに近くの女子と耳打ちを始めた。 女子に対して、敵対心以上の感情を持った記憶がない。 誰がかわいいとか、きれいだとか…… そんな話をしている同級生たちを尻目に、俺の視線はずっとのぞに注がれていた。 母さんにバレるからという理由で、父親に無理やり押し付けられたエロ雑誌。 派手な色づかいの雑誌を匿ってくれと頼まれて、のぞと出掛けるデート代の代わりに受け取った。 試しにどんなものかと捲ってみると、やたらとでかい乳を揺らす女に吐き気を覚える。 父親に気色悪さを覚えながら、それと同時に女に興味のない自分を理解した。 女子のスカートを捲ってはしゃぐ同級生を冷めた目で見つめながら、のぞの身体には昔から興味があった。 隣にいるだけでドキドキして、不意に触られると心臓が飛び出そうになる。 お泊り会も数えきれないくらいに経験し、一緒に風呂に入り、同じベッドで眠る。 それが高学年になって、一緒に風呂に入れなくなった。 身体がごつくなり、下の毛が生えてきて、それをのぞに見られるのが恥ずかしかったから。 傍にいるのぞはずっと綺麗なままなのに、俺の身体だけがどんどん大人の男に成長する。 ―――のぞの裸って、どんな感じだろう……? のぞの裸の記憶は、小学4年生で止まっている。 女子のパンツを見ても特になんとも思わないのに、体育の着替えで拝めるのぞのパンツ姿は興奮する。 頭の中で妄想するだけでは物足りなくて、実際に裸を見たい気持ちが日増しに強くなる。 そんな欲望がどんどん膨れて、俺の股間がのぞに反応するようになるまで、タイムラグはほとんどなかった。 その感情に驚きというよりも、絶望のほうが強い。 のぞのことをすきだという自覚は、ずっとあった。 のぞしか大事じゃなかったし、のぞ以外かわいいと思えなかった。 だけど、そこに性欲はなかったはず。 はずなのに、なんでことになってんの……? ゴミ箱に丸まったティッシュの残骸を見ているだけで、罪悪感で胸が張り裂けそうだ。 男に車に連れ込まれたのぞの顔を、思い出した。 その男の顔がどんどん歪んで、俺の顔に変わる。 俺を見つめるのぞの顔が嫌悪と恐怖で歪み、俺はそんなのぞを見つめながら興奮している。 そんな自分が気色悪くて、腹立たしくて仕方がなかった。 あの男と俺が同類だとは認めたくない。 俺が助けたはずなのに、俺もその男になろうとしていることが許せない。 絶対に違う。俺はあの男みたいにならない。 そう何度も否定しても、ゴミ箱に溜まるティッシュの残骸を見ていると、苦しい現実を受け入れざるを得ない。 離れなきゃいけない。 のぞと距離をおかないと、そのうち俺もあいつになる。 大きな澄んだ瞳で俺をまっすぐに見つめるのぞを、俺は邪な感情を秘めながら見つめ返す。 カーテンが風で捲れ、校庭に再びのぞの姿が見える。 水分補給をしていたのぞが、たまたま俺の視線に気がつき手を振ってくれた。 手をあげてそれに応えると、髪をかきあげながらウインクをされた。 その瞬間に突き動かされるように心臓が激しく動き始めるから、照れた顔を見られたくなくて窓と一緒にカーテンを閉め切る。 あの時の衝撃を思い出し、身体がブルっと震えて我に返った。 起きている時よりも幼い顔で眠るのぞを見下ろして、ため息がでる。 マジでため息が漏れるほどに美しい寝顔に、思わず項垂れる。 ベッドに頬杖をつきながら、柔らかな頬を突く。 「襲われたいのかよ?」 こっちが我慢してんだから、のぞからとか絶対にやめてほしい。 うれしいけれど、これ以上煽らないでほしい。 事故チューとしても、キスはキスだ。 しかもだいすきなのぞからしてくれたのだから、万歳したいほどににやける。 にやけるけれども、性欲が暴走してしまいそうで怖くて堪らない。 ベッドで一緒にいたら、絶対に襲う。 のぞの裸を見たら、絶対に暴走する。 ちょっと触るくらいでは我慢できないことを、いきり勃つ股間を見て強く自覚した。
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