蛇に睨まれたオオカミ

19/51
前へ
/51ページ
次へ
望海 「のんちゃん、ぼくと結婚してくれる?」 ふたりで弾まないボールをリビングで転がしていると、咲が突然そんなことを言い始めた。 忘れかけていた子供の頃の記憶。 あれは都合のいい俺の夢だったのか、今はもう判断がつかない。 「結婚?」 「ずっと一緒にいられるお約束すること。」 「さっちゃんと一緒にいられるの?」 「うん。ずっと一緒にいてくれる?」 「いいよ。毎日ゲームできるね。」 俺がそう返事をすると、咲の顔がぱっと華やぐ。 「じゃあ、お口にちゅうして。」 「ママがお口にはしないよって言ってた。だいじだいじだから。」 「ちゅうすると一緒にいていいお約束になるの。のんちゃんは僕と一緒にいたくないの?」 「一緒にいたい!さっちゃんゲーム上手だから!!」 「じゃあ、ちゅうしてよ。」 「指切りと同じ?」 「そうだよ。」 「ママに怒られない?」 「大丈夫。内緒にするから。のんちゃんも内緒にできる?」 「できる!」 咲に促されて唇をくっつけると、咲の顔が真っ赤に染まる。 その顔を見つめながら、俺の顔もどんどん火照る。 「これで一緒にいられるの?」 「うん。ずっと一緒だよ。指きりだもん。」 咲に抱きしめられて、俺も咲の背中に腕を回す。 ふたりで頬をくっつけながら抱き合っていると、その幼いぷっくりとした頬が少し硬めの肌質に変わる。 驚きながら頬を離すと、大人になった咲が俺をじっと見下ろしていた。 瞬きすら忘れた強い眼差しに炙られて、身体の奥が火照る。 いつもの無表情や優しい眼差しではなく、獣の顔をした咲が俺を見つめながら涎を垂らしていた。 そんな表情で見つめられるなんて初めてで、戸惑いながらも嬉しくなる。 咲も俺と同じゲイだって、気がついたから。 蛇男の時は気色悪さしか感じなかったのに、咲に見つめられると股間が張り詰めすぎて痛くなる。 受け取る気のない好意は迷惑でしかないのに、だいすきな人からの好意は嬉しくてもっともっと欲しくなる。 のんちゃんからのぞに呼び名が変わり、高かった声色はだいぶ低くなった。 笑って、泣いて、喧嘩していたはずなのに、最近は咲に怒られることばかり。 それでも、咲は変わらずに俺の隣にいてくれる。 「のぞ、すき。だいすき。」 咲が絶対に言わない言葉。 首筋に咲の吐息を感じて、咲の匂いに包まれて、幸せ過ぎて寝たままイきそうになる。 この幸せ過ぎる夢に、ずっと浸っていたい。 咲の匂いを感じていると、身体が熱くなる。 唇に柔らかな感触まで感じて、幸せで溺れそうだ。 もっと触って欲しい。 腹や腕だけじゃ足りなくて、パンツの中まで触れて欲しい。 そんな疚しい欲望を、咲に言えるわけもない。 このままずっと夢の中で暮らしたくなるけれど、幸せ過ぎる夢がどんどん霞む。 今まで見たこともない咲の興奮した表情を間近で見つめながら、堪らなく寂しくなった。 ―――現実では、絶対に俺は見られないから……。 「あ、起きた?」 ベッドを背もたれにして漫画を読んでいた咲が、ベッドの軋みに反応して顔をあげる。 幸せ過ぎる夢から覚めると、咲はいつもと変わらぬ仏頂面。 やっぱり夢だったと思うと、落胆が大きい。 それでも、自分の下腹部に感じる違和感に冷や汗が出る。 ―――ヤバい。寝ながら勃起してた……。 咲に勘付かれないように、顔を伏せながら布団を手繰り寄せた。 「……何時?」 「19時過ぎ。」 「え、そんなに寝てた?」 「ずっと寝てた。なんか腹減ったな……。」 咲は薄く笑いながら、大きく伸びをする。 「マジで?起こせよ。」 「のぞは起こしても起きない。」 咲はそう言って呆れたように笑いながらも、すぐに無表情になる。 最近は声に出して笑ってくれなくて、俺に対して冷たくなった。 ―――俺と一緒にいても、つまんないのかな……? 「いや、そうなんだけど……。勉強すすんだ?」 「集中できなくて。」 「あー、ごめん。俺が邪魔したのか。」 「のぞ、なんか夢見てた?」 咲にじっと見つめられて、まさか咲の名前でも言っていたのかと焦る。 「……なんか言ってた?」 「名前、呼ばれた気がして。」 恥ずかしそうに目線を逸らすから、夢の中で触れた唇の感触を思い出してしまった。 思わず唇を覆うと、なぜか咲の顔まで赤らむから余計に焦る。 「恥っっず!」 「……恥ずかしくなるような夢見てたの?」 「バカ!!!」 俺が枕を放り投げると、それを咲が片手で受け取って俺に投げ返す。 それを右に避けると、壁にぶつかって静かに落ちた。 「咲ってさ……。」 「精通きた?」と聞こうとして、どうしてもその言葉が言えない。 その後に、女子で気になる子がいるのか聞きたかった。 身体の変化よりも心の変化を聞く方が、俺にとってはハードルが高い。 ―――もし女がすきじゃないなら、俺じゃダメかな? 小学校の頃から、咲は女に興味がない。 教室の入り口ではしゃぐ女子に向かって平然と邪魔だと注意するくらいに、バレンタインデーに甘いものが嫌いだとはっきり断るくらいに、女子に興味がない。 だから、もしかして…… 咲も俺と同じゲイなんじゃないか、という希望を少なからず持っていた。 でも、この前女子を食い入るように見つめていたから…… やっぱりという落胆の気持ちと、まだ諦めたくはないという気持ちがせめぎ合う。 「ん?」 「なんでもない。」 「なに?」 「熱ある?」 「え……。」 「なんか顔が赤い。体調わるいの?」 「大丈夫。」 「倒れる前に言いなよ?」 「うん。」 「ちょっとトイレ。」 ―――俺の意気地なし!! そう自分に怒りながら、枕に顔を埋める。 外見を褒められることが多いから、咲にも嫌悪感は抱かれてはいないと思う。 最近は触れると怒られることが増えたけれど、胸を触らせようとしたら睨まれたけど…… 頬にキスしてもキショがられなかった。 ―――女顔だから顔はギリセーフで、身体はやっぱりアウトってことかな……? 女顔だから警戒心が弛んでいる今が、狙い目な気がする。 完全に男の身体になってしまったら、俺の武器が効かなくなるから。 咲が部屋を出て行くのを見届けてから、決心を固めてベッドの下を覗く。 どぎついピンク色の蛍光色の表紙が目に入り、落胆のため息を吐いてから引っ張り出す。 どんな女に興味があるのかと開いてみると、色白の女が身体に似つかわしくないサイズのおっぱいを揺らしていた。 ―――うわ、趣味わるっ!!最悪!キショ!! 頭の中で悪態をつきながらも、きっと咲に見せられない程酷い顔をしている。 咲は女の身体に興味を持っていた。 だから、俺とは違う。 咲はノンケだったんだ。 人見知りで感情を素直にだせないだけで、ちゃんと女が好きだった。 だから咲とは、キスもセックスもできない。 エロ本を閉じて、ベッドの下に大人しく戻した。 覚悟していたこととは言え、結構クるものだ。 馬鹿な妄想を抱いていた自分に、腹立たしさを感じる。 こんなことなら、期待なんてしなければよかった。 自分の平らな胸を見下ろして、視界が歪む。 どれだけ零れても、枯れない涙に呆れる。 涙と一緒に咲への気持ちも流れてしまえばいいのに、すこしも消えない感情が溢れて苦しくなる。 「え、のぞ?どうしたの?」 扉が開いた瞬間に顔を隠したけれど、遅かった。 目ざとい咲に腕を剥がされ、顔をじっと見つめられる。 「なんでもない。」 「だって、泣いてる。」 「なんでもないって!!」 咲を思い切り突き飛ばし、部屋を出た。 ガキのようにグズグズ泣きながら、煩いくらいに鳴り響くスマホがウザくて電源を切った。
/51ページ

最初のコメントを投稿しよう!

138人が本棚に入れています
本棚に追加