蛇に睨まれたオオカミ

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はじめて降り立った新宿駅は、迷路のような複雑さだった。 駅構内や周辺の地図を頭にいれてきたけれど、実際に歩くと人の波に簡単に流されてしまう。 地元の駅とは比べ物にならない人の多さに眩暈を覚えながらも、初めて出会うゲイを想像して不安や恐怖と同じくらい興奮しているのも確か。 人に溺れそうになりながら目的の場所に辿り着いた頃には、額から汗が止まらなくなっていた。 知らない場所というのは、いるだけで疲れる。 ひゅうとは片思いしているノンケがいることがわかり、すぐに打ち解けた。 自分と境遇が似ているというのは、それだけで仲間意識ができやすい。 それに加えてなんだか気の抜ける男で、文面をみているだけで可愛らしさが溢れていた。 キャップを深く被りなおし、俯きながらスマホを見つめる。 「ついた」というメッセージを確認してから、自分の服装の特徴をやんわりと伝える。 もしあまりにもな見た目だったら、人違いだと押し切って逃げるつもりだったから。 「の、のんくん?」 名前を呼ばれて顔をあげると、色白で線が細い男が立っていた。 白Tにジーパンというアバターの初期装備のような姿で、顔は想像していたよりも全然きれい。 ―――この子もゲイなんだよな……? 同じカテゴリーに属する人間に初めて出会えて、緊張していた気持ちがふっと解ける。 見た目はクラスの奴らとなんら変わりなく、ゲイだと言われなければ気がつかない。 こんなカタチで出会わなければ、きっと一生出会うこともなかった存在。 なんだか嬉しくなってひゅうに笑顔を向けると、思い切り後ずさりするから手首を掴んだ。 「ひゅうだろ?なんで逃げんの?」 「お、女の子だったの?」 「……男。」 そう言いながらキャップを外し、髪をかきあげながらひゅうを見つめる。 それでもひゅうは納得していない表情で見つめてくるから、掴んだ腕をそのまま股間に持っていく。 するとすぐに真っ赤になるから、股間から手を遠ざける。 「わかってくれた?」 「もっと男っぽい外見だと思ってた。」 「女顔で悪かったね。」 そう言うと、ひゅうが困ったような表情を浮かべる。 柔らかい文面だったから見た目もそうかと思っていたが、どちらかと言えばすっきりした甘みの少ない顔だった。 目尻がすこしだけつりあがった、きれいなアーモンドアイ。 真っ黒な髪の毛は、写真通りさらさらのストレート。 はじめて会うゲイがこんなにきれいなタイプだと思わなかったから、いい意味で驚いた。 「立ち話もなんだし、どっか入る?」 「あの、手繋ぎたい人?」 「いや、別に。」 なんとなく逃げられそうだからと思っただけで、他意はない。 あっさりと拘束を解くと、少し安心したように息を吐いた。 「ひゅうは繋ぎたい?」 「緊張するから大丈夫です。」 「なんで敬語?DMだとずっとタメだったじゃん。」 「緊張しすぎて無理です。」 「ひゅうはリアルはじめてじゃないんしょ?俺の方が絶対に緊張してる。」 「まあ、そうだけど。のんくんみたいなキラキラな人に繋がってると思わなくて……。モデルさん?芸能人?」 「一般人。DM返したのひゅうだけだったけど、当たりだったわ。」 そう言って微笑むと、腕で顔を覆ってしまう。 「うあ~……美人すぎて緊張する~。」 「ひゅうもきれいじゃん。」 「……照れるから褒めないで。」 「軽くお茶する?新宿初めてだからよく分かんなくて。」 「カラオケ行こ?のんくん綺麗すぎるから、ここだとすっげえ目立つ。」 「あー、ごめ。」 そう言ってキャップを深く被ってから、駅前から少し外れたカラオケ店を目指した。 *** 一時間ほど歌いながら喋っていると、ひゅうは人見知りをまるで感じない。 肩をくっつけながら歌っていると、ずっと前から友達だったような気さえしてくる。 刹那的な知り合いでも、毎日会っている学校の奴らよりも仲良くなれることが不思議だった。 ゲイという同じカテゴリーにいるからか、学校の奴らとは違う安心感がある。 片思いの砂羽くんのエピソードが腐るほどでてきて、聞いているだけで胸やけを起こしそうだ。 「で、砂羽くんと同クラなんだっけ?」 「そうなの。めっちゃあがった!」 「いいなー。俺はAとDで離されちゃったからクソつまらん。」 「のんくんわざわざSNSなんてやらなくても、リアコで十分モテるんじゃない?クローズの人なの?」 「咲にバレたくないから。」 「それはわかる。幼馴染なんだろ?めっちゃ境遇似てて笑った。」 「俺も思った。こんなに簡単に会うことになるとは思わなかったけど……。」 「のんくんはガチで気を付けてね。」 「何を?」 「SNSにはいろんな人いるから。」 「ひゅうはハズレひいた?」 「かなり引いてる。」 「まじか。萎えるな?」 ふたりで笑いながら、ひゅうのやらかしエピで盛り上がる。 互いの好みの話はしていたから、俺もひゅうも互いのストライクゾーンからは大きく外れていることを知っている。 それでもゲイ同士だと思うと、肩の力が抜けて本音で話せるのが心地いい。 いつもは上辺ばかりの話しかしないのに、ひゅうにはなんでも話せることが新鮮だった。 「見た目だけじゃないけど、やっぱり見た目も大事だよ。」 「わかる。顔が無理なら俺も逃げてた。」 「俺はセーフ?」 そう言いながらひゅうが真剣な表情で聞いてくるから、思い切り噴き出しながら抱きしめる。 「すごいかわいい!」 「俺よりかわいい子にそれ言われるの、すげえ複雑なんすけど?」 「ねえ、精通きた?」 「は?」 「まだ?」 「いや、急に下ネタぶっこむね。」 「最近きたんだけど、誰にも聞けなくて……。」 「ええと、友達は?」 「咲。」 「あー、聞けないね。」 「だろ?」 「俺は小6だったかな……。気がついたらって感じ?俺の周りは早い奴で小5とか。」 「小5とか早すぎない?ひゅうは人懐っこいから友達多そうでいいね。どうやったらできるの?」 「のんくんは美しすぎて近寄りがたいだけだと思う。男から告られたりしないの?」 「それはない。揶揄われることはしょっちゅうだけど……。」 「意外!!ファンクラブくらい余裕でありそうなのに!!」 「先輩にずっと追いかけられてたけど、最近やっと大人しくなってきて。」 「え、追いかけられてたの?校内で?」 「うん。」 「だ、大丈夫だった?」 「咲が助けてくれた。」 「……美人は大変だね。」 「ひゅうは砂羽くんと仲いいんだろ?」 「俺とも仲いいけど、砂羽は女子に大人気だから。既に告られてる。」 「モテる男だと大変なんだな……。」 「あーね。格好いいから仕方ないんだけど。」 「写真見せ合いっこしよ?咲も爆イケだから。」 「いいよ。砂羽も最高に格好いいもん!」 ふたりで互いの思い人の写真を見せ合ったが、反応に困る。 砂羽くんは格好いいけれど、女子ウケしそうな見た目で俺にはピンとこない。 どちかといえば、ひゅうのほうが好みだった。 「あー、なんか見事にタイプが違う。ゆるふわが好きなんだ?」 「癒されるじゃ~ん。咲くん格好いいけど、なんか怖い感じする。」 「そう?中身は素朴でかわいいよ。」 「のんくんなら普通におとせそうじゃない?告ったりしないの?」 「……でかいおっぱい好きなんだって。」 笑いながらそう言うと、ひゅうが悲しそうに顔を歪めた。 やっぱりいい子だなって思いながら、骨っぽい肩に頭を預ける。 「それキツイね。砂羽も女好きだから気持ちわかる。俺たち、なんで男に生まれちゃったんだろうね。」 髪を優しく撫でられ、誘われるまま太腿に頭をのせる。 「あーね。見込みないなって思い知ってX登録した。」 「のんくんって、後ろ弄ったりする?」 「後ろ?」 ひゅうを見上げると、恥ずかしそうに顔を火照らせていた。 「ひとりでする時。」 「いや、しないけど……。」 「そ、そっか。」 オナニーを覚えたのもごく最近で、ひゅうよりも歴が短い。 砂羽くんを想像しながらひとりでしているのかと思うと、なんだか可愛く思えた。 「ひゅうは砂羽くん思いだして後ろ弄るの?」 「へ?あ……あの。」 「するんだ?」 「……はい。」 そう言って正直に頷きながら、困ったように目尻を下げる。 「気持ちいいの?痛くない?」 「最初は怖かったけど、慣れると前より気持ちいい。」 恥ずかしそうにそう応えるから、純粋に興味が湧いた。 「セックスしたことある?」 「な、ないない!キスくらいしか……。」 「……俺とどう?」 「ふたりで!?」 「いきなり3Pはハードル高すぎない?」 そう言って笑うと、ひゅうも俺に釣られて微笑む。 「のんくんは経験ある?」 「俺もキスだけ。」 「咲くんと?」 「まさか。」 「だよね。だったら俺たち会ってないね。」 そう言って寂しそうに頬笑まれたから、頬に手を伸ばす。 「ひゅうも寂しい?」 「近くにいるのに届かないのって、もどかしいよね。」 そのまま首の後ろに腕を絡ませると、ひゅうが目を丸くした。 笑いながら起き上がり肩に触れると、見た目よりも華奢で俺と大差ないことが分かる。 ひゅうを見ても怖いという感情はまるで湧かず、かわいいと思うのと同時にもっと触れたくなった。 「キスしていい?」 俯く顎をあげて視線を合わせたのに、慌てた様子で伏せられてしまう。 でも、喉が大きく上下してから、困ったような表情で見つめてきた。 上気した耳たぶに触れながら顔を近づけても、今度は視線を逸らさない。 視線を合わせたまま触れるだけのキスをして、すぐに唇を離す。 それだけでも、ひゅうの身体がガチガチに硬いことに気がついた。 「怖い?」 「ちょっと。」 「ひゅうのはじめて俺でもいい?」 そう聞くとしばらく考えてから、ぎこちなく頷く。 瞼にキスをして、耳にキスをして、柔らかい唇を軽く舐める。 シャツの裾から手を指し込んで背中を大きく撫でると、ビクンと身体を震わせた。 ぎゅっと目を閉じて真っ赤に染まったひゅうがかわいくて、優しく抱きしめながら深く口づける。 「のんくんって、意外に大胆なんだね。」 「何が?」 「初対面で誘われると思ってなかった。」 「ひゅうじゃなかったら、きっと誘ってない。」 「……本当?」 「ここだとカメラあるから、トイレ行こっか?」 頬を撫でながらそう誘うと、今度はひゅうからキスしてくれて、首筋に抱き付かれながら小声で「行く」と返事をくれた。 くっついた胸の鼓動はどちらも早くて、繋いだ指先が汗ばんでいて、互いの緊張と興奮を教えてくれる。 髪をかきあげ額にキスをして、俺よりも小さな手をぎゅっと握って部屋を出た。 「のんくん、なんか慣れてない?触り方が的確過ぎるんだけど……。」 「いや、誘うのもひゅうがはじめて。不安ならやめとく?」 「いや、のんくんのはじめては俺がいただきます!」 「砂羽くんじゃなくていいの?」 「いじわる。」 泣きそうな顔で微笑まれて、胸が痛む。 「なるべくやさしくするけど、痛かったらちゃんと言って。」 親指で手の甲を摩るとくすぐったそうに微笑みながらも、表情はずっと強張っている。 指を絡めながらトイレの個室に入ると、後ろ手に鍵を閉めながらキスをしてきた。 積極的な様子に驚きながら舌を絡め、薄い身体を優しく抱きしめる。 「ひゅう、だいすきだよ。」 俺がそう言うと、泣きそうな顔をしながらきつく抱きしめられた。 俺たちはだいすきな人に、だいすきとは言ってもらえない。 だから、その分俺が言ってあげたいと思った。 「ヒナって呼んでくれない?」 「ヒナ?」 「……砂羽がそう呼んでくれる。」 その言葉に頷いて、名前を呼ぶ。 俺が咲に言ってほしい言葉をひゅうに伝えることで、埋まらない満足感を底上げした。 「ヒナ、かわいい。だいすき。」 「うん。ありがと。俺もだいすき。」 泣きながら笑うヒナを抱きしめながら、舌を絡める。 触れるだけで砂羽くんを思い出しているのか、泣きながら縋るひゅうを優しく抱きしめる。 甘やかして、かわいがって、満たされない心を疑似恋愛で無理やり埋める。 このやり方が正しいなんて絶対に思わないけれど、身体だけは熱くなった。 心とは裏腹に昂っていく身体に違和感を覚えながらも、俺とは違う名前を口走るひゅうの中に熱を放つ。 生理的な終わりを迎えても、心は少しも満たされない。 ひどく冷めた心だけが取り残されて…… ずっと目を閉じていたひゅうが俺を見た瞬間、落胆した表情を浮かべた。 「ごめん。砂羽くんじゃなくてごめんね。」 「ちが、俺こそごめん……。」 ひゅうに泣きながら謝られて、震える背中を撫でながら咲の顔を思い浮かべていた。
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