蛇に睨まれたオオカミ

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咲 のぞが隣の席の女を見つめて、ため息を吐くのが視界の端に映る。 俺といるのがそんなにつまらないのか不安を覚えながら、大学生くらいの女に視線を向けた。 肩まで伸びた髪の毛先はカラーで痛んでいて、滑らかで艶やかなのぞの髪とは雲泥の差。 ステンドグラスから伸びた光が、のぞの柔らかな髪を優しい彩色で照らしていた。 のぞと女が並ぶと、お似合いとは言い難い。 ―――まだ、俺の方がマシじゃないか?いや、おこがましいにも程があるけれど……。 ひとりで対抗心を燃やしながら、氷を奥歯で噛みしめる。 その女がトイレに席を立つと、先ほどからのぞをちらちらと見ていた男の視線が、のぞに一直線に注がれた。 値踏みでもするかのように、つま先から髪の先までじっくりと見つめるその視線に、背中が震えるほどの嫌悪感を覚えた。 のぞはずっとぼんやりしていて、男の視線にすら気がついていない。 下心丸出しの男の視線に晒しておきたくなくて、のぞを独占したくて堪らない。 それでものぞはここが気に入っているのか、やたらゆっくり飲み物を飲んでいた。 男を睨むと、俺の視線に気がついた男にふいっと逸らされる。 ―――この静かな攻防を何度繰り返せば、目の前ののぞに伝わるのだろう……? 「そろそろ行かない?」 「え、急いでる?」 まだゆっくりしていたいのか、悲しそうなのぞの表情を見つめて良心が痛む。 俺の嫉妬と独占欲で、のぞを縛り付けている自覚はある。 自覚はあるが、手放す気はさらさらない。 俺の性欲が爆発する前に、本当は離れなくちゃいけない。 だけど、離れたくない。一緒にいたい。すきだから。 のぞをずっと傍で見つめていたい。 「どっか行きたいとこは?」 「カラオケ。」 「行こ。」 そう言いながら、手首を掴んで無理やり立たせる。 「ねえ、咲?」 「なに?」 「カラオケすきなの?」 「なんで?」 「急いでるから。」 「別に。」 ずっとのぞの手首を掴んでいたままだったことを思いだし、慌てて手を離す。 痛かったのかのぞは手首を摩りながら、俺を笑顔で見上げる。 「咲は歌わないのにね。」 「のぞの歌、聞いてるのがすきだから。」 「俺の声すき?」 「すき。」 「ふーん?」 嬉しそうに微笑みながら、俺のシャツの裾を掴む。 「……人多いからはぐれないように、ちょっとシャツ借りる。」 そう言いながら照れたように笑うから、思わず細い指を掴む。 「咲?」 「確かに。はぐれたら困るな?」 嫌かなと内心ドキドキながら指に触れると、のぞも俺の手をぎゅっと掴んでくれた。 人通りの多い駅前を抜けて、途中コンビニで買い出ししてから、いつものカラオケへと向かう。 駅前を抜けると人もまばらで、手を繋ぐ必要はない。 だけどこうやって歩いているだけで、恋人気分を味わえる。 午後になって急に暖かくなってきたから、手汗が気になる。 それでも離してしまったら、もう繋げないと思うと離すのが惜しかった。 「あ。」 「どしたの?」 「D組の……。」 男たちがのぞに気がつくと、のぞがぱっと手を離す。 俺を見つめて不安そうな表情を浮かべてから、のぞと同クラの男たちをまっすぐに見つめる。 「あれ?のぞみんじゃん。」 「胡蝶ちゃんもカラオケ?」 「あー、うん。みんなも?」 男たちがのぞに親し気な視線を送っていたが、のぞは気まずそうに微笑んでいる。 気の抜けたふにゃふにゃの笑顔ではなく、お手本のような綺麗な笑顔に、教室でののぞの姿を垣間見た気がした。 いつも俺と2人でいる時とは違う、余所行きの大人びた顔。 俺の知らないのぞを見ているようで、なんだか気まずさを覚えた。 「今野とふたり?」 「まあ近所だから。」 「カラオケ2人じゃ盛り上がらなくね?俺たちと混ざらない?」 「え?」 「よかったら今野くんもどう?」 俺にちらりと視線を向けてから、のぞに向かって満面の笑みで誘う。 「ええと……。」 俺を横目で見つめて、のぞが困ったような笑顔を見せる。 その探るような視線にうんざりして、さっさと背中を向けた。 俺とカラオケにいても、のぞはきっと楽しくない。 ずっと一人で歌うしかないのだから、楽しいなんて思えるはずはない。 「ちょ、咲?どこ行くの?」 「終わったら呼んで。迎えにくるから。」 そう声をかけてさっさと家に帰ろうとすると、のぞに腕を掴まれる。 「ま、待って!」 「なに?」 「俺も帰る。」 「カラオケは?」 「咲が行かないなら俺も行かない。なんで置いてこうとすんの?今日は咲と約束したのに!」 そう言ってのぞが拗ねた表情で見つめてくるから、嬉しくて堪らない。 すごく嬉しかったのに、うれしいと顔で表現したくない。 のぞに気持ちがバレて、怖がらせたくないから。 「友達はいいの?」 「咲がいい。」 俺がいいの言葉に、うれしくてのぞがすきだと叫びそうになる。 のぞの俺がいいなんて「気を遣わなくて楽だから。」の意味なのに、うれしくて勘違いしそうになる。 「俺んちくる?」 「行く。」 ふにゃんと蕩けそうな笑みでそう言うと、嬉しそうに俺の隣に並んだ。 さっきの大人びた綺麗な笑顔も美しいけれど、のぞにはやっぱりかわいい笑顔が似合う。 「来週も部活?」 「あー、でも試合じゃないから見てもつまんないと思う。」 「そう。」 俯きながら小さな石を蹴り飛ばし、その行方を寂しそうに見つめるのぞをみていると、胸がぎゅうっと狭まる。 俺がいないところで、のぞが何をしているのかすげえ気になる。 気になるけれども、バスケ部の奴らの目にも晒したくない。 ずっと俺しか見られない箱にでも閉じ込めておきたいけれども、友達の俺にそんな権限はない。 俺が断れば大人しく家に引きこもるか、兄である陽海さんとお出かけの二択だと思っていたのに…… のぞは友達と出かけることを選んだ。 怖がりで弱虫なのぞが、俺から見えないところに行ってしまう。 それなら、一緒にいたほうが何倍も安心だ。 「……のぞがいいなら来る?」 「邪魔じゃない?」 「のぞは小さいから場所とらない。」 「そうだね。」 今度はふわっと花が綻ぶように笑うと、道端のふてぶてしい猫に視線を向ける。 「かわいいね。」 「どこが?」 こんなに美しいのぞを見ても、猫は気にした様子もなく平気で寝そべっている。 可愛げの欠片もない猫を微塵もかわいいとは思えないが、のぞが熱心にお腹を撫でているのはとてもかわいい。 「すげえかわいい……。」 「咲がデレるなんて激レアじゃん?うちにもペット欲しいな~。大人になったら絶対に飼う。」 そう言いながら猫を撫でるのぞを見つめて、心の底からそう思う。 かわいくて、独占したくて堪らない。 猫を撮るフリをして、のぞにこっそりとカメラを向けた。
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