蛇に睨まれたオオカミ

24/51
前へ
/51ページ
次へ
「B組の舞ちゃん、のぞみん狙いだって。」 「え?あの子って進藤と付き合ってなかった?」 「別れたんじゃね?」 「ま、胡蝶ちゃんだもんな。そりゃ進藤でも負けるだろ。」 のぞの話をしている男たちの声が、自然に耳に入る。 それには気がつかないフリをして、耳だけ男たちに向けながらスマホを見つめる。 「そういえば、先輩たちもD組の廊下にいないよな?いい加減飽きたのかな?」 「違うって。志村先輩の怪我、知らねえの?」 「あー、そういえば松葉杖ついてるな?」 「胡蝶ちゃんに手出したからやられたらしいよ。」 「え、誰に?」 その言葉に視線をあげると、俺とまっすぐに目が合う。 でも、合った瞬間に逸らされた。 「胡蝶ちゃんに手出すとアレが出てくる。」 「アレって何?」 「すっげえ怖いんだって。D組の土井も殺されかけたらしい。のぞみんに触るとタマ潰されるんだって。」 「え、胡蝶ちゃんってそんなおっかない彼氏いんの?」 チラチラと視線を感じるが、耳だけ向けて顔は伏せたまま。 いい感じに噂が広がってくれているお陰で、のぞに手を出す不届き者は今のところ消えたらしい。 安心しながら、のぞからきたラインに秒で返信する。 「女子より男がいいとか、ありえなくない?俺は普通に彼女ほしい。」 「いや、まー……間近で見たらわかるよ。」 「木村は同じ陸部だっけ?顔ちっさ過ぎてよく見えないんだよなー。キラキラはしてる。」 「あれは別格。顔はもちろん可愛いんだけど、仕草とかもぜーんぶ愛らしいの。笑い声とか話し方とか視線とか、ぜんぶ刺さる。先輩たちもメロメロで、下僕になってるから。」 「先輩たち消えたし、あとで見に行く?」 最初は馬鹿にしていた男が、木村の言葉に浮足立つ。 その言葉に顔を上げると、さっきまで騒がしかった男たちが途端に静かになる。 「あのさ今野くん、胡蝶さんって恋人いるの?」 「恋人?」 「先輩に告られてるっしょ?」 「……聞いてない。」 「あー、男同士で恋バナはしないか。」 「のぞが告られてる?」 「呼び出されてるの、何回か見てる奴いるよ。」 「……へえ。」 「いやいや、顔が怖いんすけど……。」 「で、のぞは誰かと付き合ったの?」 「ぜんぶ断ってるらしいから、相手いるのかなって……。」 のぞは基本俺といるから、誰かと付き合う物理的時間はほとんどないはず。 安堵しながらも、気は抜けない。 ―――この前の土曜日友達と出掛けたって言っていたのは、もしかしてデートか? いつもとなんとなく雰囲気が違ったし、わざわざ電車で出かけるなんて怪しすぎる。 のぞは友達と言っていたけれど、彼女未満の友達かもしれない。 「で、告られた時の断り文句が俺よりかわいい子がマストって言うらしくて、ヤバくない?」 「すげえ高飛車じゃん!」 「胡蝶ちゃんしか許されないセリフだよな……。他の奴が言ったら反感しかない。」 「まあ、でも自分より可愛い女子がいいのは分かるな。」 「てか、胡蝶ちゃんよりかわいい女子なんている?」 「いや、普通にのぞみんが大優勝じゃん。テレビや雑誌の中探しても、のぞみん以上って難しくない?」 「だろ?だからどっかに本命がいるんじゃないかって噂あって……。」 そう言いながら俺をじっと見つめられて、眉を潜める。 「……のぞ、好きな子いるの?」 「今野くんが知らなくて、俺たちが知るわけなくない?」 「まあ、そっか。」 「付き合ってないよな?」 「いや、だから聞いてないって。」 「そうじゃなくて、今野くんと胡蝶さんって付き合ってる?」 「はあ?」 「あ、違うよな。ごめんなさい。マジですみません。お願いだから殴らないでください。」 「のぞは男嫌いだから。」 「え……男嫌いなの?今野くんにはあんなに懐いてるのに?」 「俺は幼馴染だから家族みたいなもんだし。」 「……なるほど。」 そういえば、小学校でも告られる場面を何度か見た気がする。 のぞは呼び出されるのも面倒くさそうで、女子に興味もなさそうだった。 ―――だけど、今ののぞならどうなんだろう……? たぶん精通を迎えて、女に興味を持ち始めてきている。 好きとか嫌いとかの恋愛感情は別にして、女の身体には興味がありそうだった。 スマホでAVを見ていたことを思い出し、心がざわざわと騒がしい。 *** 「ねえ、聞いてる?」 「え?」 昼休みにのぞと弁当を広げていても、先ほどの男たちの会話が喉にずっと引っかかっている。 目の前にのぞがいるのに、のぞとの会話が耳に残らない。 「どうしたの?」 「いや、別に。」 「体調悪いの?ずっと難しい顔してる。」 「いや、俺は風邪を引かないから。」 「人間らしからぬ発言をすんな?」 「ごめん。なんか言った?」 「だから、次の他校との試合はいつ?」 「……なんで?」 「出かけるから。」 ―――え、また……? 部活が忙しくて、会える時間がただでさえ減っている。 小学校の時のようになんでも話してくれるわけではないから、心の距離もどんどん離れていく気がする。 ずっと引きこもり生活を送っていたのに、最近ののぞは活動的だ。 ―――ひとりで通学路を歩くのだって怖いくせに、一体どこに行ってるんだ……? 誰とどこに行くのかが気になるが、ウザいと言われるのが分かっているから口を噤む。 どこにいるのか分からずにヤキモキするよりは、物理的に近くにいたほうがいくらかましだった。 「……来る?」 「え?」 「来てもいいけどベンチにいて。」 「部外者だけどいいの?」 「のぞならみんな許すと思う。」 「この前の試合はかわいい子いた?」 「は?」 「俺よりかわいい子いた?」 自分の顔を指差して、挑戦的な表情を浮かべる。 笑顔なのにどこか畏怖を感じるその表情を見ていると、ポロっと本音が漏れそうで怖い。 のぞよりかわいい人間なんて、この世に存在しない。 「いや、知らない。見てないから。」 「ふーん。」 そう言って、つまらなそうに爪先を見つめる。 その顔を見つめながら、クラスの奴らが言っていた言葉を思い出す。 ―――もし、のぞよりかわいい子がいたら、のぞはその子と付き合うつもりなのか……? のぞよりかわいい子なんているわけないけれど、これ以上不安要素を増やしたくない。 あんなふてぶてしいネコをかわいいと言うくらいだから、自分の顔に慣れ過ぎて美意識が歪んでいるのかもしれない。 「や、やっぱ来ないで。」 「え?今来ていいって言ったじゃん?」 「女を見に来る気なんだろ?」 そう言うと、のぞの箸から卵焼きが転がる。 たっぷりと間を空けて、のぞが驚きと嫌悪に満ちた表情で俺を見つめる。 「はあ?」 「そんな理由で来て欲しくない。邪魔だから。」 「わざわざ女見るために行くわけない!バスケの試合観に行くんだろうが?」 「のぞはバスケに興味ないだろ?」 「ルールくらい知ってる。咲は陸部の基礎練すら見に来るじゃん?」 「俺は……。」 のぞを見に行っているとは、口が裂けても言えない。 「俺は?」 「のぞの保護者だから。」 「はいはい。いつも俺の子守ご苦労様でーす。」 転がった卵焼きを行儀悪く箸で刺すと、そのまま口に運ぶ。 「のぞなら、他校じゃなくても彼女できるだろ?」 のぞの彼女が学校で出来たら、いくらでも邪魔ができる。 でも、俺の目が届かないところでつくられたら、手出しができない。 指を銜えながら見ているなんて絶対にできないから、せめて目が届く範囲でつくってほしい。 「なんで彼女?」 「のぞは彼女ほしくないの?」 「え、咲はほしいの?」 「興味ない。」 俺がそう言うと、のぞが眉間に皺をつくりながら俺を睨む。 「咲って、マジでよくわかんない。」 「何が?」 「バスケ以外興味ないの?」 「のぞは女に興味あんの?」 「……普通にかわいいじゃん。」 俯きながらそう言われたが、のぞのほうがかわいいに決まってる。 ―――こんなかわいい顔してんのに、女のどこがいいんだろう……? 「どこが?」 「えー……だってちっちゃいし、華奢だし、癒される。」 「のぞも似たようなもんじゃん。女見ないで鏡見てろよ。」 「似てない。俺、おっぱいないもん……。」 そう言いながら拗ねたような表情で見つめられて、ドクンと心臓が跳ねる。 ―――ヤバ……勃ちそう。 のぞの二の腕の柔らかさを思い出し、あの感触がのぞのおっぱいと同じなら、膨らみなんてなくていい。 吸い付くような肌の感触や首筋の匂い、のぞの顔がどんな風に歪むのかを妄想しそうになり、慌てて思考をストップさせる。 息が荒くなるのを顔を伏せて誤魔化しながら、気持ちを萎えさせる。 「告られたって本当?」 「あー、でも……断ってる。」 「のぞより可愛くなかったから?」 「なにそれ?」 「のぞよりかわいい子が絶対条件なんだろ?」 「……なんでそんなことまで知ってんだよ。」 「クラスの奴が言ってた。」 「いや、みんな3年だから、1年が知ってること自体おかしくない?」 「のぞだから。」 「なにそれ?理由が理由じゃないから。」 「のぞは自分がどれだけ目立つのか分かってない。」 「俺、大人しいじゃん。」 「存在が騒がしい。」 「そんな派手顔かな?」 ―――のぞに彼女ができたら、俺とこうやって昼メシも食べてはくれないのか……。 寂しいなと思いながら、それが現実になる日も近い。 のぞがかわいいと思う女子に告られたら、のぞは俺から離れてしまう。 この時間も日常ではなく、思い出に変わってしまう。 ―――すっげえ、嫌だ……。 かやちゃんの前では格好つけてしまったけれども、のぞに好きな子ができるなんて絶対に嫌だ。 もっと大人になってからの話で、中学生で彼女なんてさすがに早すぎる。 赤ちゃんみたいなのぞに女なんて、スマホの中だけで十分だ。 いつまでも幼いままだと思っていたけれど、いつまでも変わらずにいてほしいけれど…… のぞだって、いつか大人になる。 そう思うと、寂しいというよりも怖くなった。 俺にはのぞしかいないから。 のぞがいなくなったら、俺には何も残らない。 「のぞは彼女ほしい?」 「え?俺も彼女いらない。すきでもない奴の好意なんてキショいだけじゃん?」 吐き捨てるようにそう言われて、胸が凍り付く。 「告られるのもぶっちゃけ迷惑。応える気なんてさらさらないから。」 俺の気持ちもキショいだけ。 俺の気持ちなんていらない。 追い打ちをかけるようにそう言われた気がして、胸が張り裂けそう。 ―――そっか。いらないか……当たり前じゃん。のぞは男なんて大嫌いなんだから。 好きじゃない人間から望まぬ好意を何度も向けられてきたから、それで何度も傷ついてきたから気持ちはわかる。 頭ではわかるけれども、心がズキズキと痛かった。 「花粉症だっけ?目が赤くなってる。」 「砂が入った。」 「擦らない方がいいよ。こっち向いて?」 のぞに肩を掴まれ、顔を覗き込まれる。 澄んだきれいな緑色の瞳が、太陽に照らされて一層煌めく。 その目に囚われているだけで、胸が苦しい。 のぞにお前なんかいらないと言われるのが、怖くて堪らない。 耐えられずに軽く胸を押すと、のぞが思い切り尻もちをついた。 俺の力ではのぞは簡単に吹っ飛びそうで、自分の手のひらを見つめながら俯いた。 「あ……ごめ。」 「な、何?どしたの?」 「ごめん。大丈夫だから。」 尻もちをついたのぞに手を差し伸べることもできずに、背中を向ける。 悲しくて涙が滲んだけれど、その顔をのぞに見られたくなかった。
/51ページ

最初のコメントを投稿しよう!

137人が本棚に入れています
本棚に追加