蛇に睨まれたオオカミ

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望海 「のぞみん、なんかあった?」 「何が?」 「昼休み終わってから、顔がずっと怖いから。」 「わり。」 「別に謝らなくていいけど。」 田中と一緒にテニス部に顔を出すと、おがっちに睨まれたけれど田中の背中に隠れてやり過ごす。 体操着に着替える田中の背中を見つめながら、自分の背中を思い出す。 俺と同じもやしだと思っていたのに、咲ほどではないけれどちゃんと筋肉がついていた。 着痩せするタイプなんだなって思いながら、肩甲骨をぼんやり眺める。 「今日バスケ部行かないの?今野待ってんじゃない?」 スマホを見れば、咲の履歴が並んでいる。 いつもならすぐにかけ直すのだけれど、今日はその気持ちになれない。 するとまたスマホが震えはじめて、咲の履歴が増えた。 ―――咲、なんで泣いてたんだろ? 昼休みのことを思いだすと、気持ちが塞がる。 昔なら何かあればすぐに言い合いの喧嘩ができたのに、なんでもないで流されてしまった。 ―――突き飛ばしたのは、俺のこと拒否したってことだよな……? 言い合いの喧嘩は何度もしたが、咲に手を出されたことは一度もなかった。 取っ組み合いのけんかをすれば、勝敗はすぐに決まる。 それを咲も分かっているから、喧嘩っ早い咲でも俺にはずっと優しかった。 だから、今日のはよっぽどなんだと思う。 これ以上踏み込んでくるなと線を引かれたようで、悲しくなった。 「なんか、分かんなくなってきて……。」 「なにが?」 田中の背中に額をくっつけると、びくっと身体が大きく跳ねる。 襟足に顔を埋めると、面白いくらいに身体が固まった。 大人しいことをいいことに、田中の腹に手を回す。 へその周りを撫でながら、ひゅうの身体を思い出す。 「ど、どうしたの?」 「なんでもない。」 田中の匂いを嗅いでいると、安心する。 知らない人間の汗の匂いが滲みこんだ部室は落ち着かなくて、田中の匂いで気分を紛らわせた。 「いや、着替えられないんすけど?」 「着替えなくていいよ。」 「おがっちに怒られる。」 「一緒に怒られようよ。」 「のぞみん逃げそうじゃん。」 「バレた?」 「逃げる気だったんかよ?」 「田中は走るの遅えから。」 田中に笑われたけれど、まだ離れる気分になれない。 「童貞卒業した。」 「えっ?は、早くない?まー……でも、おめでと。てか彼女いたの?うちの学校?」 田中が振り返る気配がしたが、今は誰とも顔を合わせたくない。 きっと、酷い顔をしているから。 すこし汗ばんだ背中に張り付き、顔を伏せる。 「全然めでたくない。」 「そうなの?」 「好きな人とするのってどんな感じ?」 「え?」 「田中は彼女いるじゃん。」 「いや……まだ、そこまでは。」 「え?シてないの?」 「キスだけ。」 「付き合ったばっか?」 「6年から。まー、でも中学生ではしないよ。責任とれないから。」 前を向いたまま話す田中の横顔はとてもやさしい表情をしていて、彼女への気持ちが溢れていて…… 幸せそうな顔を見ているだけで、泣きたくなった。 「いいな。」 「え?」 つい本音が漏れる。 俺も田中みたいに、咲に優しくされたい。 「田中と付き合えたら幸せじゃん?田中すげえ優しいもん。」 「だとうれしい。」 「なあ、すきな人とキスできるのって幸せ?」 「すごい幸せ。」 蕩けるような笑顔でそう言われて、涙が零れる。 田中はいいな。好きな子と付き合えて、キスも出来て…… 俺は一生出来ないから、羨ましくて涙が溢れる。 「すきじゃない奴とキスすると、泣きたくなる。」 「したくないなら、しなきゃいいのに。」 「だって、寂しくて……。」 「寂しいの?」 「すごい寂しい。どうしたら寂しくなくなるの?」 「メンブレ?」 田中が振り返り、俺の頭をくしゃっと撫でる。 優しい指先で頬を撫でられて、気持ちがよくて目を細めた。 「慰めて。」 田中の首に腕を絡ませてお願いすると、胸を押されてさっと距離をとられた。 ―――あ、ダメなんだ……。 ノンケの田中に迫ったところで、冷めた目で見下ろされるだけ。 ゲイじゃないから、男に興味なんてない。 咲も田中と同じノンケだから、俺のことなんて絶対に好きにならない。 そう思うと心臓がズキズキ痛くて、視界がぼやける。 ―――好きでもない女でも、相手が女なら普通は嬉しいのかな? 好きじゃなくても、身体が好きならセックスはできる。 ひゅうとヤって、それを理解した。 だから咲も、女子なら普通に抱けるはず。 ―――咲も誰かに告られたら、気持ちがなくても受け入れちゃうのかな……? 「だーから、そういうのは今野に言えって……。」 「言えるわけない」 「なんで?」 「……キショいから。」 「のぞみんがキショいわけないだろ?」 「拒否ったくせに……。」 「あのさ、俺にはかわいい彼女いんの。誘惑すんな。」 「俺よりかわいい?」 もう一度首に絡みついて、じっと見上げる。 それでも田中は俺を見下ろして、冷たい目で睨んできた。 「のぞみんの1億倍はかわいいね。」 はっきりとそう言われて、自分の容姿にだけは自信があったからショックだった。 ―――やっぱり顔だけじゃ、女には負けるのか……。 「惚気ウザい。」 「今野に殺されるから、そろそろ釈放してくれない?」 「やだ。」 「のぞみん、俺のことなんだと思ってんの?」 「友達。」 「友達にこんなことする?」 「田中はぎゅうしないの?」 「もしかしなくても、今野にしょっちゅう抱き付いてんの?」 「だって、咲の匂い安心するもん。」 首筋に顔を近づけると、やはり田中の匂いがした。 田中の匂いも好きだけれど、やっぱり咲の匂いが一番安心する。 「今野、すげえ不憫だわ。」 「俺に抱き付かれると不憫とか、さすがに失礼すぎない?」 「今野になんかされてない?」 「なんかって?」 田中を見上げると、真顔で見つめ返される。 「今野、マジでリスペクト。あいつの自制心どうなってんの?」 「うん?咲はすごいよ。」 だから、咲のよさに気づく女子がでてくるのが怖い。 俺には女に興味ないって嘯きながら、女の身体には興味があるから。 誰かに告られるようなきっかけがあれば、咲がとられてしまいそうで怖い。 「ほら、さっさと今野んとこ行けよ。」 「やだ。泣いてるのバレると、咲が心配するから。」 「今野はのぞみんが泣いてなくても、ずっと心配してんだろ?」 「確かに。咲にずっと心配と迷惑しかかけてない。」 「のぞみんと一緒にいる時の今野、すげえ楽しそうだよ?」 「最近笑ってくれないから、俺といるのつまんなくなってきたのかも……。」 「今野はそんなゲラキャラじゃないっしょ?」 「田中が笑ってるの見るの、安心する。」 「そう?」 「気持ちが明るくなる。」 「それはよかったわ。」 そう言いながら優しい笑みで髪を撫でられて、気持ちがよくて心がふわふわする。 「田中っていい奴だよね。」 「そ?」 「一緒にいると安心する。」 「そっか。」 「すき。」 そう言うと、田中は深いため息を吐きながら俺の肩を押して距離をとる。 眉間に皺を寄せて見下ろされ、嫌いになったのではないかと焦る。 「あのさ、あんまり気軽にすきとか言わないほうがいいよ?」 「なんで?田中は俺のこと嫌いになっちゃった?キショいの?」 「いや、勘違い野郎が続出しそうで怖い。他の奴に気軽に言うなよ?」 「田中くらいにしか言わない。」 「にっしーに言ってる。」 「にっしーと田中くらいにしか言わない。」 「おがっちにも陸部の先輩にも言ってるの聞いた。てかクラスでも普通に言ってるじゃん。」 「そうだっけ?」 思い返せば、すきなんて言葉は常套句のように思えた。 咲に伝えるには重すぎる言葉でも、他の人間に伝えるのは紙よりも軽い。 好意を伝えれば、笑顔を見せれば、相手が優しくなるのを知っているから。 ほとんど意味のない言葉だから、咲以外になら簡単に口に出来る。 「よく見てるね。田中は俺のことだいすきだもんね?」 「のぞみんはマジで気を付けた方がいいよ。」 「うん。」 「分かってないだろ?」 「うん。」 そう言って笑うと、田中が困ったように笑いながらぎゅっと抱きしめてくれた。 田中の視線は穏やかで、陽兄に似ているから安心できる。 首に腕を回して田中の匂いを嗅いでいると、更衣室に田中を呼びに来たおがっちと視線が絡む。 「あ。」 「た、田中!?何してる!!!離れなさい!!」 田中に向かって大声で怒鳴ると、俺を背中に庇いながら半裸の田中に説教を始めた。 さすがに気の毒に思って、おがっちの腕に軽く触れる。 「なんでおこなの?」 「お前は部外者だろ?なんでここいんだよ。今日はバスケ部に行かないのか?今野待ってるだろ?」 「俺、バスケ部も部外者なんだけど……。」 陸部に所属しているのはおがっちも知っているくせに、バスケ部への出入りは許されている。 それだけ咲と一緒にいることが自然に映っていることだと思うと、なんだか気持ちがバレてしまっているようで恥ずかしい。 「今野は?」 「咲と気まずくて……。」 俺がそう言葉を濁すと、おがっちが俺を不安そうな目つきで見つめてくる。 「……ついに今野になんかされたのか?」 「違う。俺がしちゃった。」 「え?」 好きでもない奴の好意でも、咲は嬉しいのかな? 相手が女であれば、それなりに嬉しいのが普通なのかな? 女子の好意をキショいって思うのは、俺がゲイだから……? 「え、胡蝶が今野にシたのか……?」 田中とおがっちに穴が開くほど見つめられて、居たたまれずに笑顔だけ返す。 「帰りまーす。」 咲の名誉を傷つけないよう泣いていたことは伏せて、カバンを掴んでテニス部を後にした。
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