蛇に睨まれたオオカミ

31/51
前へ
/51ページ
次へ
全くやる気のなかったのぞが、瞬時に笑顔を消した。 いつもの柔らかな雰囲気を封じて、代わりに全身から気迫が満ちる。 エロ目とアイドル鑑賞で来ていたギャラリーがどよめく中、のぞひとりだけ別空間にいた。 みんなが予行練習に余念がない中、目をしっかり閉じたまま微動だにしない。 身体を使って覚えるのではなく、のぞは頭の中ですべてを完結できる。 ―――のぞ、やる気だ……。 「胡蝶、大丈夫か?具合悪いならやめとく?」 心配した西島が声をかけたが、ばっちり開けたのぞの瞳には闘志が漲っていた。 「ううん。最初に跳ぶ。」 「高さどうする?」 「咲って身長いくつあんの?」 「え?169。」 「じゃあ、170で。」 「は?」 「跳べる気がする。」 「……マジで?」 「これって非公式だから記録残らないよね?」 「まあ。」 「じゃあ、それで。」 そこまでして大会にでたくない理由がよく分からないが、やる気スイッチが押されたのは確か。 そのスイッチがどこにあるのかは分からないけれど、珍しくやる気満々ののぞを目の当たりにして、和やかだった空気が一気に引き締まる。 のぞの宣言に、どよめきながらもバーがセットされた。 俺の身長を超える高さが目の前にあるだけで、かなりの圧迫感。 自分の身長を大きく越す高さのバーを見ても、のぞは顔色を変えない。 ―――マジで跳べるの?この高さを……? 本当に俺のことを軽々と飛び越えて行ってしまうのかと思うと、不安と期待で潰れそうになる。 のぞを中心にざわざわと騒がしくなり、人が人を呼び寄せる。 他の種目を練習をしていた部員たちまで、高跳びの周りにぞろぞろと集まってきた。 エロ目的で見に来たはずの男たちでさえ、のぞの気迫に押されて違う意味のドキドキを抱えている。 俺も既に、のぞのユニフォームとかに気を取られている場合ではない。 ドクドクと全身を巡る血液は沸騰しそうなほど煮えていて、心臓が肋骨を突き破りそうなほどの圧迫感を覚える。 緊張しすぎて頭が湧きそうになりながらも、周りの熱もヒートアップしてより騒がしくなる。 騒がしい観客に向かってのぞが鋭い目つきで睨みながら、唇に人差し指を当てた。 「黙れ。」 囁くような声なのに、その一言にピタッと声が止んだ。 風のざわめきがやけに大きく聞こえ、観客の数に似つかわしくない静寂に包まれる中、のぞがまっすぐにバーを睨む。 腕を空に大きく掲げて身体の隅々まで息を吸い込むと、今度は身体中の力を抜いて深く息を吐きだす。 その場で軽やかに飛び跳ねただけでも、そのジャンプ力と身体の軽さに身震いする。 リズミカルに跳ねるような助走をつけると、そのまま足の裏全体を使って強く踏み込んだ。 先ほどよりも背中に傾けた姿勢で、ふわりと身体が空を舞う。 ―――あ、飛んだ……。 のぞの背中にある肩甲骨が、大きく羽を広げる。 天使が羽ばたいたように見えたのは、おそらく俺だけではないはず。 そのままバーをかすめるようにギリギリで飛び越えると、柔らかなマットにボフっと沈み込んだ。 ―――やった……。 1秒遅れでどよめくような歓声が沸き起こる中、のぞはマットから起き上がる気配がない。 怪我でもしたのかと慌ててマットを覗き込むと、空を見つめたまま微笑んでいた。 「大丈夫?」 「よそ見しなかった?」 「できるわけない。」 いつものように笑いながら、俺に向かって両手を伸ばしてきた。 その手を掴みながら、俺の知っているのぞの顔に安堵する。 俺のことを飛び越えても、ちゃんと俺の手の届くところに戻って来てくれる。 なんだかほっとして、嬉しくて、気持ちがいっぱいになった。 「なんかふわふわする。」 悦に浸っているのぞの表情に、危うく邪な妄想に走りそうになる。 それをぐっと堪えながら、のぞを起こしてジャージを肩に引っ掛けた。 「どうだった?」 「すごかった。すっごく格好良かった。羽見えた。」 「えへへ。」 照れたように笑うのぞに、心臓がぎゅうっと締め付けられる。 このまま腕の中に閉じ込めたい衝動に駆られたが、この姿ののぞを抱きしめるだけではきっと終われない。 「かわいい。」 ぼそっとそう呟くと、のぞが勢いよく振り返る。 俺の顔をまじまじと見つめるのぞに、背中を冷たい汗が流れる。 ―――また、キショいって思われたのかもしれない……。 「ごめ。のぞかわいいって言われるの嫌いなのに……。」 「別に、咲に言われるのは嫌じゃない。珍しいなって思っただけ。」 「え?」 ―――それはどういう意味?すげえ喜んでいいやつ? それとも、対象外だから俺には何を言われても気にはならないってこと?? 「疲れたからジュース買いに行こ?」 頭の中で大討論会を繰り広げる中、のぞに急かされて自販機に向かう。 「他の人の見なくていいの?」 「だって、俺より下手なヤツ見ても参考にならない。」 「のぞより出来る人間なんてそうそういないから。」 「咲はすげーじゃん。」 「え?」 「格好いい。」 そう言いながら優しく微笑まれて、思わずいちごミルクを押していた。 「え、それ飲むの?」 「……間違えた。」 「なんで?」 「いや、だって俺……別に、なんも格好良くない。」 「え?咲は格好いいじゃん。身長高いし、バスケ上手いし、すごくやさしい。」 小躍りしたくなるような言葉に、うずうずしながらのぞの顔をじっと見つめる。 俺の視線を不思議そうに見つめ返しながら、伸びた前髪を耳に掛けた。 「ほら、交換したげるから。」 「ありがと。」 のぞが買ったアイスコーヒーを受け取り、代わりにいちごミルクを手渡す。 「大丈夫だよ。そのうち咲のよさに気が付いてくる子が現れるから。」 「え?」 寂しそうに微笑みながら、ストローに口をつける。 「俺は……のぞが理解してくれるならそれでいい。」 「なんで?」 「いや、なんでって言われても……。」 さすがに「のぞしか好きじゃないから。」とは言い難い。 「のぞに格好いいって言われるのが、一番うれしいから。」 「な……なにそれ?」 思ったことをそのまま口に出してしまってから、のぞが俺を凝視していることに気がついた。 何度も瞬きを繰り返しながら、視線がどんどん下がっていく。 不思議に思いながら覗き込むと、俯いた顔がみるみる火照っていく。 元が色白だから、その可愛すぎる変化がより顕著だった。 「の、のぞ……?」 「……咲は格好いいよ。」 「のぞはかわいい。」 目を大きく見開き、困ったように笑う姿が俺のツボを連続で押しすぎている。 俺がこの表情を引き出しているのかと思うと、今すぐ触れたくて堪らない。 顔を隠すように覆った指先に軽く触れると、俺と一瞬視線が合いながらも、すぐに逸らされてしまう。 「……はっず。」 「顔見せて。」 「無理!すげえ変な顔してる!!」 「見せて。」 「や……めて。」 ―――かわいい。すげえかわいい……。 腕を掴んで強引に顔を覗くと、真っ赤な顔で見つめる瞳に捕らわれた。 手首を掴んでいるのは俺なのに、捕まったのは間違いなく俺だった。 やけに艶めく瞳に誘われ、何もしていないのに息が上がる。 のぞの困った顔なんて見たくないと思っていたのに、のぞの笑顔がだいすきなはずなのに……。 火照った頬を手の甲で撫でると、顔を顰めながら肩がビクっとあがる。 その拍子に肩に引っ掛けただけのジャージがするりと足元に滑り落ち、そのジャージに合わせて俺の視線が下に向かう。 のぞの白い腹からカタチのいいへそが顔を出し、好奇心に負けて親指でそこに触れる。 その小さな穴を指腹でグリグリと押し付けると、今まで感じたことのない興奮を覚えた。 「え?な、何?」 柔らかなそこを押し拡げるように触れていると、のぞに手首を掴まれる。 「そこ、だめ……!だめっ!」 「なんでダメ?」 「な、んか……奥がジンジンするから。」 ―――あー、ヤバい……。へその奥まで突っ込みたい!! 戸惑った表情に、ゾクゾクと背筋に快感が伝う。 ドキドキと煩すぎる胸を抑えながら、のぞの腰に手を回した。 蕩けそうなほど柔らかくて、今まで見たどの白よりも綺麗で…… その情報だけで、頭がパンクしそうだ。 「咲、くすぐったい。」 「のぞ、もっとさわっ……いってえ!!!」 容赦ない鉄拳を頭に喰らい、そこからジンジンと痺れる。 お陰様で熱を帯びていた下半身は無事に萎んだが、怒気を含んだ西島の顔を見上げながら気まずく思う。 「何してんの?」 「……別に。」 そう応えながらも、ナニをしていたのかバレているのが気まずくて、裾を引っ張って下腹部を隠した。 「にっしーどうしたの?」 「どうしたのじゃない。胡蝶、さっさと着替えろ。」 「あれ?部活おしまい?」 「お前は邪魔だから帰っていい。」 「片づけは?」 「どうせ何もしないだろ?準備だって何もしてなかったし。」 「ラッキー!」 「あ、更衣室はカギ閉めてからな!誰が来ても開けるなよ!!」 「はーい!」 元気のいい返事をして、のぞが駆け出していく背中を見つめながら、ゆっくりと息を吐く。 「本当に何もしてないんだよな?」 「あんたが止めなきゃ最後までシてた。」 「……校内では絶対にやめてくれ。」 「なあ、どうすりゃいいの?」 「告れよ。好きなんだろ?」 「絶対に無理。キショがられる。」 俺がそう言うと、西島に深いため息を吐きながら肩を叩かれる。 「……何?」 「絶対に合意を得てからだからな?」 「え?」 「胡蝶にシていいか確認してからじゃないと、絶対にダメだからな?力ずくで強行突破すんなよ?」 「のぞが男同士のセックスなんて知るわけないじゃん?精通で夢精するような相手にどうやって聞くの?ケツに俺のチンコ挿れていいですかって?」 「もうちょい言葉を選びなさい。」 「のぞを怖がらせること言いたくない。」 俺がシたいことは、のぞがされそうになっていたこと。 男同士のセックスを説明することは、のぞにとっては自分がナニをされそうになっていたかを自覚させることに等しい。 あの男がのぞのことを組み敷いて突っ込む気だったと知ったら、それを俺もシたいと思っていると知ったら…… 怖がらせたくもないし、傷をつけたいわけでも、泣かせたいわけでもない。 ただ、好きなだけなのに…… どうして感情だけで収まらずに、触れたくなってしまうんだろう……? 「だから、普通に告れって。セックスに興味持つのは男なら当たり前だけど、いきなり踏み込み過ぎだろ?」 「俺が振られたら誰がのぞのこと守ってくれんの?ここじゃのぞの家族は介入できない。俺はあの人たちからのぞを託されたんだ。学校にいる間はのぞを守るのが俺の仕事。それなのに……俺が手出すとか何してんだろ?キショすぎる。死にたい。殺してくれ。」 「……難儀な奴だな?」 「のぞが俺を飛び越してどっか行くの怖い。だから、のぞがすげえ欲しくなった。どこにも行ってほしくない。閉じ込めておきたい。俺のにしたい。」 「胡蝶はお前のこと置いてったりしない。だから焦るな。襲うな。普通に告れ。」 ―――無理。絶対に無理……。 のぞに振られるのは分かってる。 だって、のぞは男なんて大嫌いだから。 俺も自分を襲った人間と同じ男だと分かったら、同じ目をしているって気がつかれたら、傍にいることすら許されない。 のぞを守ってあげられなくなっちゃうのは、すげえ困る。 俺が傍にいないと、また同じことが起きる気がするから。 のぞがひとりで泣くのは、もう絶対に嫌だから…… だから、我慢だ。 「……のぞ連れて帰ります。」 「お疲れさん。胡蝶頼んだわ。」 「っす。」 西島に背中を押されて、のぞがいる部室に走った。
/51ページ

最初のコメントを投稿しよう!

129人が本棚に入れています
本棚に追加