蛇に睨まれたオオカミ

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望海 「望海、もうちょいマシなとこ行こうよ。」 「なんで?」 「デートにゲーセンは色気なさすぎない?」 「だって、咲はゲーセン嫌いだし。」 「ここだと死ぬほど職質されるんだけど……。」 「あー、俺たち似てないからね。」 退屈すぎる時間を持て余し、連絡もせずに始発の電車に飛び乗って、陽兄の住むマンションに向かった。 陽兄は、俺のことを一番かわいがってくれる。 年が離れていようが、血が繋がっていなかろうが…… 親に抱かれるよりも、陽兄に抱っこされた写真のほうが多いくらい、ずっと溺愛してくれている。 兄というよりも親に近い存在で、俺のことを一番よく理解してくれる。 いつだって優先順位の一番上をキープしていて、彼女よりも俺を大事にしてくれる。 だから、俺がいつ顔を出しても、絶対に追い返したりはしない。 それを知りながら頼る俺は、陽兄の彼女からすると天敵に近い存在だ。 「学校はどう?」 「普通。」 「変な奴いない?」 「陽兄以上に変な奴はいないかな……。」 「おい。俺のどこが変だって?」 「彼女、帰らせてよかったの?」 「ただのセフレだって。彼女じゃない。」 「向こうは彼女面してたけど?」 「望海がせっかく来てくれたのに、そのまま帰すわけには行かないだろ?」 「彼女のことは帰らせたのに?」 「分かってんだろ?望海が一番だいすきだよ。」 陽兄は変わっている。 弟の俺のことを満面の笑みで出迎え、シャワー中の彼女を急かして、濡れた髪のまま帰らせるくらいの変わり者。 彼女には悪いけれど、まだこのポジションを誰かに譲る気はない。 咲の一番になれないことは分かっているから、俺も誰かの一番でいたい。 優しくされたい時、甘えたい時、頼りたい時、一番に思い浮かぶのが陽兄の顔。 迷惑をかけていることは百も承知だけれど、俺のザコすぎるメンタルを支えられる唯一の人間だから。 「やっぱり、陽兄は変わってる。」 「クマ酷いな。」 そう言いながら目元に触られ、笑いながら帽子を目深に被る。 「大丈夫。昨日より寝れたから。」 「今日は泊る?明日仕事だから俺いないし、ゆっくりしてていいよ。」 「いや、大丈夫。」 「予定あるなら送ってこうか?」 「大丈夫。」 明日は先約がある。 人肌を感じて、暇な時間と寂しさを紛らわせてくれる存在に会いに行く。 最初にひゅうに会った時ほどではないけれど、名前も知らない誰かと会うことはスリルがある。 スリルと興奮が高まると、絶頂時のボルテージが跳ね上がる。 でもイった瞬間が頂点で、そこからは一気に冷めていく。 さっきまで腰を振っていたのがバカらしく思えて、自分の浅はかな行為に嫌気がさす。 それでも刹那的な快楽に酔うことで、寂しい心と身体が少しだけ温まるのは確か。 行為が終われば身も心も寒いくらいなのに、また人肌を求める自分が愚かすぎて嫌になる。 寂しくて、寂しくて…… 誰かにやさしく温めてほしくて、でも本当に温めて欲しい人には求められない。 フラストレーションが溜まると、自暴自棄になる。 それくらいは分かっているから、セックスの沼から抜け出せずにいた。 陽兄にすら埋められない穴がぽっかりできて、制御不能に陥ることが怖い。 咲に縋って無理やりにでも行為に及ぼうとするんじゃないかって、咲を傷つけてしまうんじゃないかって、怖くて堪らない。 俺の言うことは大概聞いてくれるから、付き合えって言えばきっと情で付き合ってくれる。 俺に向かって暴力は振るえないから、無理やり襲えばきっと抱いてくれる。 でも、そんな付け焼刃な愛情はいらないし、咲を傷つけたくない。 小学生の頃の全身傷だらけの咲を思い出し、指先が震える。 見た目にはわからない心の傷、咲にだけはつけたくない。 心の傷は治らない。 俺が今も男が怖い気持ちが消えないように、咲にも俺が怖い存在だと思ってほしくない。 恐怖なんてつまんないものじゃないくて、繋ぎとめるなら愛がいい。 「犬がいないからって、あんまハメ外しすぎんなよ?」 「うん。」 「なんかあったらすぐに呼べよ。殺しに行くから。」 「こっわ。」 「冗談じゃないから。俺を人殺しにしたくなかったら、相手ちゃんと選べよ。」 「はいはい。」 そう言いながら、俺の視線はずっとぬいぐるみを見つめていた。 アームが緩すぎるせいで、思うように掴めない。 咲が嵌っているゲームキャラのぬいぐるみを見つけて、絶対に手に入れようって決めてから、いくら課金したのかは忘れてしまった。 隣の財布くんは俺を見つめながら、甘すぎる笑みを浮かべている。 「あ~~~、全然取れない!!!アームざこすぎ!!!」 「だから、俺が取ってやろうかって言ってんのに……。」 「やだ!今日は俺が取りたいの!!咲がすきなキャラだから!!」 「はいはい。両替してくるから待ってな?」 そう言って頭を撫でると、楽しそうに笑いながら人ごみに消えていく。 何度も転がるぬいぐるみを睨んでいると、俺の隣でプレイしていた男に声をかけられた。 「手伝う?」 「え?」 「苦戦してるみたいだから。」 そう言って微笑むと、すぐに無表情に戻ってしまう。 その温度差にドキッとして、男の冷たそうな瞳に目が奪われた。 短髪で黒髪のブレザー姿。 緩いネクタイをカタチだけしているが、首筋に愛された痕がばっちり残っている。 冷淡な黒い瞳が印象的で、唇の薄さが咲に似ていた。 耳にピアスがいくつもあるから、素行はよくないだろうことが推察される。 ―――なんか、雰囲気が咲に似てる……? 冷たそうな雰囲気なのに、咲に似ているせいか警戒心が持てない。 ぼんやりとその男を見上げていると、男の探るような目に慌てて笑顔をつくる。 「あ、クレーンゲーム苦手で。」 「これは……胴体と腕の隙間にアーム入れるといいよ。」 「え、ムズすぎない?」 「一緒にやる?」 そう言うと、ブランドものの財布からお金を取り出す。 俺が握ったままのレバーを、男が無遠慮に掴んだ。 骨の節が目立つ大きな手に包まれ、背中に男の気配を感じる。 男の顎が俺の肩にのせられ、耳に生暖かい息がかかった。 肘を寄せられ、まるで背中から抱きしめられているような感覚に、ぶるっと身震いする。 初対面でこの距離はないだろうとちらっと振り返ると、恐ろしく無表情な男と視線が絡んだ。 男の視線は俺が狙っていたキャラクターに注がれ、俺を映してはいない。 いつも無駄に視線を感じるから、見られないことが新鮮だった。 男の横顔を見上げながら、手をぎゅっと握られる。 「ほら……取れたよ。」 そう言いながらアームの先を見ると、ちょうど穴の中に落とされる瞬間だった。 「え……あー、すげえ!!とれた!!!ありがとうございます!」 「いいえ。」 薄い笑みを浮かべた男に礼を言うと、軽薄そうな印象がすこし和らぐ。 ―――あ、笑うと幼く見える……。 「ねえねえ見て?取れたよ!!」 「とって貰ったんだろ?」 陽兄に腕を引かれて、男と距離ができた。 背中にくっついていた温もりが消えると、なんだか寂しくなる。 男を見上げると、優しく微笑まれてドキッとした。 「……俺も一緒に取ったもん。」 「俺?」 不思議そうに見つめられて、勘違いされていたことを知る。 その視線に気まずく思いながら、陽兄を見つめる。 ―――そっか。女だと思われてたのか……。 「望海は男。気安く触んな。こいつは俺のだから。」 そう言いながら背中から抱きしめられて、男を睨む。 顎をあげて見上げると、俺を見下ろして目尻の険を緩める。 「なんでキレてんの?」 「どっか行かない?ここ猿が多すぎる。ウザい。」 「喉かわいた。」 「お茶しに行こーぜ?」 陽兄にしっかり手を握られ、有無を言わさずにゲーセンを出る。 うす暗い埃っぽい空間から外の世界に出ると、余りの眩しさに目を細めた。 「さっきの人、ちょっと咲に似てなかった?」 「全然似てない。望海はチョロすぎる。あんな分かりやすい猿に引っかかんな。」 「引っかかってないもん。」 「あの男は絶対にやめとけ。あいつは分かってやってる。」 「何を?」 「……あのゲーセンは禁止な。」 「なんで?」 「ていうかゲーセン禁止。碌な奴がいない。咲が正解だわ。」 「陽兄はよく行ってたくせに?」 「俺は望海と違って1ミリも可愛くないからいいの。」 「両替機でナンパされてたじゃん?」 「男にはされない。」 「俺だってされてない。」 「お兄様が隣にいたからだろ?」 「男だって分かれば、俺にもしてこないよ。」 俺を見つめて盛大なため息を吐かれてから、髪を乱雑に撫でられる。 「とにかくゲーセンは禁止!!」 珍しく強い口調でそう言うと、俺に向かってフラペチーノを手渡してくれる。 それを受け取りながら、スマホを確認する。 咲からは、朝の挨拶から着信もLINEも何もない。 ―――きっとバスケが楽しすぎて、俺のことなんて忘れてるんだ……。 ストローを奥歯で噛むと、陽兄に頭を撫でられる。 「心配しなくても大丈夫だよ。」 「何が?」 「こんなかわいい望海のこと忘れたりしないから。夜になったら、ちゃんと電話かかってくるって。いい子で待ってろ。」 「……陽兄ってエスパーなの?」 「望海のことなら9割わかる。」 「本格的に怖い。控えて。」 軽く引きながら、やさしい陽兄に全肯定で慰められる。 俺がなんで陽兄に会いに来たのかも、ぜんぶバレてる。 咲がだいすきなのに、頼るのはいつも陽兄。 それを許容してくれる優しすぎる心が、今日はいつもよりも羨ましく思った。
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