蛇に睨まれたオオカミ

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咲 「おい、起きろ。」 「あ……れ?今野?」 田中の肩を揺すると、俺をぼんやりと見つめながら瞬きを繰り返す。 膝の上にはのぞが体操着姿で熟睡していて、しがみつくように田中の腰に腕を回しているのが、非常に気に喰わない。 渋滞に巻き込まれながら、予定よりも1時間遅れの到着。 のぞが家で待ちきれずに朝から学校に行っていると恵さんから連絡をもらい、口元を緩ませながらバスから降りたのに、のぞは校庭にいなかった。 どこにいるのかと思えば、まさか男の膝の上で熟睡しているとは…… 危機感がなさすぎる。 「何してんの?」 「え、あー……これは違くて!」 そう言って慌てながら、腰に回された腕をほどいてのぞの肩を揺する。 「ん?さ……き?」 田中をぼんやりと見つめると、そのまま腕を掴んで引き寄せる。 「のぞ!だめ!!!」 寝ぼけているのぞはキス魔になることを思いだし、慌ててのぞの唇に自分の手の平を押し付ける。 すると、寝ぼけ眼で手の平にキスをされた。 柔らかな唇の感触がする手のひらと、田中のかさついた唇に当たった手の甲の気色悪さで身震いする。 思いきり手の甲をズボンで擦り付けながら、田中を睨む。 「はあ!?マジで怖いんだけど!今野の前で何してくれてんの?殺されるのどうせ俺なんだけど?」 のぞに向かって思いきりキレている田中を見つめても、のぞは全く理解していない。 何度も瞬きを繰り返し、暢気に大きな欠伸をしながら伸びをしている。 「のぞ、何してんの?」 「え……さ、咲?もう夕方?」 目を擦りながら、大きな瞳でじっと俺を見つめている。 もっと沈んだ表情をしていると思ったのに、暢気にこんなところで田中と昼寝しているとは思わなかった。 昨日は電話も急に切るし、様子がおかしいから心配していた。 「風邪引くから薄着で寝るなって。小河原先生がのぞがここにいるっていうから。」 「あー、ごめん。」  「なんでテニス部いんだよ。ぐーすか寝てる間になんかあったら……。」 「本物だ。咲だ。」 文句を言おうと思ったのに、首に腕を巻かれて阻まれる。 首筋に柔らかな頬の感触、ずっと触れたかったのぞを目の前に、両手に抱えていた土産を床にどさっと落としてしまった。 目を閉じたままぎゅっと抱きしめられて、堪らずに俺も背中に手を回す。 いつもより長い抱擁に戸惑いながら、華奢な肩を抱きしめる。 「うれしい。咲の匂いがする。」 にっこり笑いながら見上げられ、柔らかな髪に頬を擦り付けて抱きしめる。 画面越しでは伝わらない匂いや温度に、気持ちが溢れそう。 ―――のぞ……会いたかった。 「咲、おかえり。」 「ただいま。」 そう言って頭をくしゃっと撫でると、のぞが全体重を首にかけて抱き付いてくる。 のぞの体重でもさすがに首がもげそうで、前のめりになりながら柔らかな太腿を支える。 落とさないように抱え直していると、田中と視線が合い気まずそうに逸らされた。 「お前のぞに……。」 「してない!神に誓ってなんもしてない!寝かせてただけ。」 「お前も寝かせられてんじゃん。」 「わり。今日の練習オニだったから。」 「ねえ、なんで田中とばっかり喋ってんの?」 田中と話していると、のぞが眉を潜めながら睨んでくる。 「今日は一緒に寝てもいい?」 「は?」 「一緒に寝ようよ。ずっと咲のこと待ってたんだから。」 「む、無理無理無理無理!!」 「なんで?」 「のぞ寝不足だろ?クマ出来てるじゃん。なんでちゃんと寝ないの?ご飯は?今日はちゃんと食べたの?これ以上痩せたら倒れるだろうが。恵さんもすげえ心配してたよ。」 「咲がいないと寝れないし、お腹空かない。なにも感じない。」 そう言って胸にすり寄って甘えてくるから、大きなため息を吐きながら背中を撫でる。 「俺がいなくてもちゃんと食べて、ちゃんと寝るの。分かった?もう中学生だろ?」 「できない。赤ちゃんだから。」 「……あのさ、俺はのぞのお母さんなの?」 「咲と離れると不安なの。胸が苦しいの。頭の中がぐちゃぐちゃするの。」 「つまり、俺はのぞのブランケットとかぬいぐるみの類なの?」 「……そうじゃなくて。」 泣きそうな顔でじっと見つめられたが、それ以上の言葉はでてこない。 ずっと傍にいた俺がいなかったから、のぞの精神が不安定になってしまったようだ。 寂しがってくれたことは高笑いしたくなるほど嬉しいけれど、寝食に関わるものだとしたら暢気に喜んでもいられない。 のぞにとって俺は番犬みたいなもんだし、日常と違うからストレスを感じたのかな……。 「……俺を抱き枕にする気だろ?」 「なんでダメなの?ぎゅうするだけだよ?保健室でしてくれたじゃん?」 「あ、あれは……。」 「そんなに心配しなくても、なにもしないよ?」 「はあ?」 ―――いやいや、俺がのぞにナニをされんだよ……? 「のぞはされる側だろうが?」と怒りたくなったが、のぞの冗談をまともに返してはいけない。 きっと取り返しのつかないような爆弾を、思い切り踏みつけてしまう気がするから。 見当違いな言葉に、返事の代わりに眉間に深い皺が刻まれた。 俺がのぞにされて嫌なことなんて、突き放されること以外になにひとつないのだから。 視線を彷徨わせていると、今にも噴きだしそうな田中と視線が合う。 ―――こいつ、面白がってるな……? 「キショいってこと?」 「え?」 唇を尖らせながら悲しそうな表情をされても、その期待には応えられない。 何も応えられない俺に業を煮やしたのぞが、俺の腕から軽やかに飛び降りてしまう。 「いいよ、もう!」 「のぞ、お土産買って来たから。」 「いらない。」 「のぞが好きなキャラのご当地キーホルダー。」 お気に入りのゲームキャラを見せても、のぞの機嫌は一向に直らない。 「それ好きじゃない。」 「え?だって、この前は好きだって……。」 何がだめだったのか分からずに眉間に皺を寄せていると、キーホルダーではなく指を掴まれる。 そのまま自分の頬に寄せると、ネコのようにすり寄ってきた。 柔らかく滑らかな頬の感触を味わいながら、いつもよりも甘えたなのぞをじっと見つめる。 「……寂しかった。」 「ごめん。」 そう言って謝りながらも、俺の口元は緩みっぱなし。 のぞが俺がいないことをこんなに寂しく思ってくれていたなんて、嬉しすぎてこのまま押し倒しそうで怖い。 「合宿そんなに楽しかったの?」 「え?」 「ずっとニヤニヤしてんじゃん。キショいんですけど?」 「してない。」 「女風呂でも覗いたんだろ?」 「はあ?」 「だって、女子も一緒だったんだろ?」 「ほとんど別メニューだから関わりない。てか、それ普通に犯罪じゃ……。」 「レクはあったの?」 「レク?あー、肝試しくらい。蚊が多くて最悪だった。」 「ふーん、よかったね?夏の楽しい思い出ができて。大好きなおっぱい腕に擦り付けられて、さぞ楽しかったんだろうな?」 「いや、人の話を聞けよ。つまんなかったって……。」 「そういうのいらないから!!」 冷めた目で睨まれて、ふて腐れた表情のままさっさと部室を出て行ってしまう。 両手に荷物を持ち直し、慌ててのぞを追いかけると…… 不機嫌そうなのぞが、赤く染まり始めた空を見上げていた。 あの夜に見た星空は、ここでは見れない。 圧巻だった夜空を懐かしく思いながらも、のぞの傍にいれる方がずっといい。 あの星の輝きよりも、のぞのほうが何倍も眩しく見える。 「なんでおこなの?」 「別に?怒ってないから。」 ―――絶対に怒ってるじゃん……。 突き出した唇は摘まみたくなるほどかわいいけれど、生憎両手が塞がっている。 早足でのぞと肩を並べると、のぞが俺をちらりと見上げて荷物をひとつ持ってくれた。 「重いからいいよ。」 「……大丈夫。」 「コンビニ寄る?」 「いい。」 「アイスとかプリンとか……。」 「いらない。」 まだ怒っているのかと横目でみると、のぞはまっすぐ前を向いたまま話し始める。 「咲、疲れてるだろ?」 「え?」 「さっさと帰って寝た方がいいよ。顔色悪いもん。」 「のぞが寝るまで一緒にいる。」 「え?」 「それで勘弁して。」 さすがに、ふたりきりで同じベッドでは寝られない。 かやちゃんがいるから踏みとどまれただけで、ふたりきりだったらのぞはきっと無事では済まない。 打開策を伝えると、小さなため息を吐きながら荷物を抱え直す。 「気を遣わなくていいよ。咲も疲れた顔してる。」 「のぞこそ、クマがひどい。」 「俺の心配ばっかりしすぎだって。」 そう言って軽く笑いながら、肩に額をコツンとぶつけてくる。 「違う。そうじゃなくて……。」 「ん?」 「俺が一緒にいたい。」 3泊4日なんてあっという間だと思っていたのに、想像以上に寂しかった。 会いたいのに会えないのは、近くにいる時と全然違う。 のぞが泣いているのに、涙を拭けない距離にいるのはもどかしい。 「特別に甘やかしてやるよ。」 そう言いながらふにゃふにゃな笑顔を浮かべて、俺の腕に絡みついて甘えてくる。 柔らかな髪を撫でてから、のぞから荷物を奪い取った。 「俺、持てるよ?」 「大丈夫。ありがと。」 「そんな柔じゃないのに……。」 「いや、のぞなんて豆腐みたいなもんじゃん?」 「……咲が筋肉質なだけで、女子に比べたら俺だって硬いよ。」 「のぞ以外触ったことないからわかんない。」 「田中は思ったより硬かった。絶対もやしだと思ってたのに、あいつ意外に筋肉あんだよ。背中にも筋入っててさ?」 「……田中の膝でもう絶対に寝るな。」 「なんで?」 「何されるかわかんないだろ?」 「だーから、田中には俺よりかわいい彼女がいるんだって。」 「そんなもんいるわけない。」 「見た目はパッとしないけど優しいし……。」 そう言ってやけに優しく微笑むから、のぞの腕を思わず掴む。 「た、田中がすきなの?」 「え?そりゃすきだよ。優しいし、頼りになるし、甘やかしてくれるし……あ、咲も田中のことすき?」 「どちらかと言えば……大嫌いかな。」 「な、なんで?」 「腹立つから。」 「大して喋ったことないのに?なんで?田中なんかした?」 のぞに悲しそうに見つめられたけれど、どう頑張っても好きになれる要素がない。 かわいいとすきの感情はすべてのぞに注がれているから、他人にあげられる余裕はない。 「あ、そうだ。これあげる。」 「なにこれ?」 「戦利品。」 そう言って得意げなのぞが俺の前に突き出したのは、ふたりでハマってるソシャゲのキャラクター。 「え、ゲーセン行ったの?」 「咲がゲーセン嫌いだから。」 ―――いや、俺が嫌いなんじゃなくて、のぞを近寄らせたくなかったんだけど……。 中高生が入り浸るうす暗い空間で、耳が痛くなるような音楽と騒がしい人間。 どう考えても、のぞがいていい環境ではない。 「まさか、ひとりで行ってないよな?」 「……あー、陽兄と。」 「ならいいけど……。」 「陽兄、めっちゃ職質されてた。」 「のぞと2人じゃ、兄弟には見えないもんな……。」 「そこでクレーンゲーム得意な人いて、教えてもらった。これ初めて取れたの!凄くない?」 楽しそうに話すのぞを見つめながら、全く違うことを考えていた。 ―――あの陽海さんが隣にいて声をかけてくるとか、かなりやばいヤツだよな……? 2人が並ぶとまるで芸能人のような強烈なオーラで包まれるから、常人では声をかけてきたりはしない。 陽海さんの人除け効果は抜群で、慣れている俺ですら圧を感じるのだから。 「男?」 「え?そうそう。高3だって。受験生なのに予備校サボってゲーセンとか、やる気なさすぎだよな?咲と身長同じくらいで、耳にも唇にもピアスいっぱい空いてるの。本当はもうひとつ同じのとったんだけど、お兄さんに間違えて渡して来ちゃった。惜しいことしたな。」 のぞは朗らかに話しているけれども、予備校サボってゲーセンで遊んでいるピアス男とか、地雷臭しかしない。 この間までランドセル背負ってたのぞに声かけるとか、絶対にヤバイ奴。 もう二度と、のぞに会わせたくはない。 「ゲーセン禁止な?」 「え?」 それだけ伝えると、なぜか悲しそうに眉を潜ませる。 その表情の意味を、敢えて深くは考えないようにしていた。
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