蛇に睨まれたオオカミ

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のぞがあの時のことに全く触れてこない。 それが嵐の前の静けさのようで、刑を処される前の受刑者のようで気が気ではなかった。 なるべく顔を合わせたくないのに、のぞは朝から晩まで俺の部屋にいる。 ―――勘弁してくれ……!! 俺の心情など全く気にしない様子ののぞは、ベッドに寛ぎながらずっとゲームをしている。 のぞといると煩悩で埋め尽くされてしまいそうで、しかも都合がよすぎる場所に寝転んでいるから、手を出しても許されるのではないかという馬鹿な妄想までする始末。 その煩悩と向き合うと、どう考えても敗北の二文字しか浮かばない。 この炎天下の中、走り込みでのぞから距離をおくことでしか勝てる気がしない。 「咲。」 「な、なんでしょう?」 「なんで敬語なの?」 「いや、別に。」 「宿題って終わってんの?」 「宿題?」 「夏休みの。読書感想文残ってなかった?」 「あー、図書館行ってくる。」 すっかり忘れていたけれど、逆に出掛ける口実ができた。 図書館で一日過ごそうと行く準備をしていると、のぞがいつの間にか俺の後ろに立っている。 「うち来る?」 「……え?」 カバンを思い切り落とし、ペンケースが派手に散らばる。 それをのぞが拾ってくれるのを俺も慌てて手伝うと、不意に指が触れた。 思いきり手を引くと、のぞが俺を見上げながら不機嫌そうな顔をする。 ―――俺に触られてキショかったのか……? 花火大会から、のぞが俺を見つめる時間がやけに長い。 見つめ合うと我慢が効かないから、なるべく素知らぬ顔で切り抜けていた。 この前の決着をつけようとしているのかと思うと、話しかけられるだけで緊張してしまう。 「もう触るな。」なら聞き分けられるけれど、「近寄るな。」とか「友達を辞めたい。」って言われたら…… 俺はどうすればいいんだろう? ペンケースをカバンにしまい込むと、のぞが言い難そうに見上げてきた。 「うちなら本いっぱいあるよ。母さんたち墓参りでいないし……その、ゆっくりしてけば?」 俺を窺うように見つめてくるから、のぞの思考が読めずに眉間に皺が寄る。 部屋の中でふたりきりなんて、俺に都合のよすぎるシチュエーション。 都合がよすぎて最後まで突っ走りそうだから、ありがたい言葉でも頭を振る。 ―――のぞは何を考えてんの……? 「いや、お構いなく。」 「咲、なんか変じゃない?」 「変なのはのぞだろ?」 「俺……変かな?」 悲しそうに眉を潜めるから、慌てて首を振る。 「あ、違う。俺が頭おかしくて……。」 「具合わるいの?暑いから走り込みは危険だって。」 そう言いながら俺に近づくと、額をコツンとくっつける。 身動ぎすればすぐにキスが出来てしまう距離に、心臓が壊れそうなほど高鳴っている。 隙だらけののぞに手を出すなんて、赤子の手を捻るようなもの。 のぞと至近距離で視線が絡む。 俺をまっすぐに見つめる翡翠色の瞳の中に、気色悪い俺の顔が映っていて咄嗟に肩を押した。 ―――俺、あいつと同じ顔してた……。 車の中で、のぞを組み敷いていた男の顔を思い出した。 あの男と同じことをして、のぞを泣かせようとしている。 肌の上を撫でる男の手を思い出し、のぞを見下ろす気色悪い男の表情をはっきりと思いだした。 フラッシュバックのようにあの場面が脳裏に映り、胃の中のモノがせりあがる。 「咲?」 「ごめ。気分悪い……!」 のぞを押しのけてトイレに向かい、胃の中が空になるまで吐き続けた。
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