蛇に睨まれたオオカミ

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「今日はやめておいたら?昨日具合悪そうだったし、熱中症なんじゃない?」 のぞにそう声をかけられたけれど、ここにいた方が気が狂いそうだ。 「大丈夫。」と声をかけると、のぞは寂しそうに笑う。 俺が避けている事を、鈍感なのぞも薄々気がついているのかもしれない。 のぞの心配そうな顔に背中を向けて、今日もいつものように家を出た。 頭上から容赦ない熱が降り注ぎ、目に沁みるような地面からの照り返しのダブルパンチで、今にも身体が燃え尽きそうだ。 走る気にはさすがになれなくて、日陰を選びながら一先ず公園を目指す。 不要不急の外出が声高に叫ばれている中、すれ違う散歩のイヌですらも辛そうに見える。 俺の外出は他人から見れば不要だろうが、緊急事態に備えて離れていなければ、のぞが危険なのだ。 公園を通り抜けてから、ふと花火大会のピアス男を思い出した。 いつもは人が多い場所は寄り付かないけれど、今後のぞの周りをうろつかれても困る。 非常に気が進まないけれど、あいつを野放しにしておくのは怖い。 あの男が気色悪い理由が分からなかったけれど、昨日やっとわかった。 あいつは、俺と同じ表情でのぞを見てる。 のぞの瞳に映る自分を見て、自覚した。 のぞを襲ったクソ野郎と同じ目で、俺もあいつものぞを見ている。 同じ性欲を持っているんだから、当前と言えば当前。 だから、自分を見ているようで気色悪いって思ったんだ。 駅前のゲーセンに顔を出すと、昼過ぎにも関わらずうす暗い。 時間の感覚が狂いそうになる小さな空間に、ゲーム機が所狭しと並んでいた。 夏休みということもあり、同年代が大半を占めている。 友達同士で盛り上がっている奴らをすり抜けると、格闘ゲーム前で何やら人だかりができていた。 歓声につられて視線を向けると、その中心に目的のピアス男。 脇にはこの前と違う女を連れていて、蛇のように冷たい眼差しでモニターを見つめていた。 「やっぱり、会いたくなかったな……。」とため息を吐きながら、すこし怯む。 できればこのまま逃げ出したいけれど、陽海さん相手にも臆さないタイプは野放しに出来ない。 ―――何かされる前に、先手を打たなければ……。 安全第一。 のぞのご両親の強張った顔を思い出し、拳を握りながらピアス男をまっすぐに見つめた。 *** 「咲くんだよね?」 「え?」 自分の名前が知られていたことに面をくらっていると、唇の端だけでピアス男が笑う。 口元は笑っているのに、笑顔には全く見えない。 顔の上下で表情の差が激しすぎて、本心を掴みにくい。 自然と印象的な冷たすぎる瞳に、目が奪われる。 「怖いんだけど、どうしても見ちゃうんだよね。」のぞが心霊番組を見る度に話す言葉を、不意に思い出す。 好奇心旺盛でビビりなのぞに、こいつは猛毒だ。 取り返しのつく痛みなら、忘れられる痛みなら、それでいいのかもしれない。 でも、きっとこいつはそうじゃない。 後悔は先にはできないから、今のうちに摘んでおく。 「のぞみちゃんの彼氏?祭りで俺のことすげえ睨んでたもんな?」 そう言って口だけ笑いながら、目は全く笑っていない。 俺のことを鋭い視線で見つめていた。 のぞもこいつに興味をもっているのか…… やけに熱心に見つめていたことを思いだし、胸の辺りがモヤモヤする。 「のぞは男だよ。」 「知ってるって。お兄様から直々に聞いてっから。」 「のぞが男だって知ってて狙ってんの?」 「質問に答えて。お前はのぞみちゃんの何?」 俺はのぞにとって……友達以外の言葉が見つからない。 はったりでも恋人だと言えれば楽なんだけれど、全て見透かすような目で睨まれると、どうしても嘘がつけない。 ―――俺、こいつにビビってるんだ……。 「……のぞとは友達。」 「で、お友だちの咲くんが俺になんか用事?」 ―――友達って、こんなに窮屈だったっけ……? 大好きなのに、こんなに大事なのに、ただの友達。 学校でのぞと話している奴らと、俺の立場は何も変わらない。 そう思うと悔しくて、悲しくて、腹が立った。 「のぞはまだ中1だし、あんたは高3だろ?中学生のガキ相手に何考えてんの?」 「処女って興奮するじゃん?」 「キッショ。」 心の底から吐き出した言葉を、男は心底楽しそうに笑う。 「馬鹿にされている。」「遊ばれている。」そうわかってはいても、俺たちの差は顕著だった。 身長は大して変わらないし、背格好はよく似ている。 なのに、明らかに経験値に差があった。 男の首に、まるでネックレスのように見せびらかすようにつけられた赤い印。 なんだか、男として負けたような気になる。 「のぞみちゃんに言われて来たわけじゃねえだろ?お前が俺に取られんじゃないかってビビって、喧嘩売りに来ただけだろ?」 「のぞのことキショい目で見てたから。」 「お前も見てるくせに?」 一言で核心を突かれて、胸が抉られる。 俺が攻撃的になるのは、相手も俺と同じ感情で見てるって分かるから。 もちろん、自覚している。 自分の性衝動がどれだけ危険で、コントロールしにくいものかを……。 だから、相手に牽制をかける。 近づくなって、触るなって、でもそれは自分に言うのと同じこと。 鏡に向かって怒鳴りながら、いつも自分を殴りつけている。 ―――キショいのは、俺も同じだ。 「自覚してんだろ?のぞみちゃんのことを自分がどんな目で見ているのか。分かってるから、俺に忠告にきたんだもんな?」 何も言えずに見つめる俺を、楽しそうに笑う男が気に喰わない。 気に喰わないのは、それが当たりだから。 「当たり?誰を選ぶかはのぞみちゃんが決めるから。」 「のぞはお前なんか絶対に選ばない。男が嫌いだから。」 「じゃあ、お前のことも大嫌いなんだ?」 「え?」 「チンコついてんだろ?」 「俺のことは……好きって言ってくれた。」 「どうせお友達としてだろ?」 そう言って、流れるように嫌なところを突いてくる。 ―――こいつ、まじで嫌い……。 「お前がのぞみちゃんのことどういう目で見てるのか知ったら、のぞみちゃんどう思う?それでも好きって言ってくれると思う?お前のことなんて、きっと体のいいサンドバックかボディーガードくらいにしか思ってない。」 「それでいい。」 「何が?」 「サンドバックでいい。ボディーガードでいい。そのために傍にいるから。傷つかないならそれでいい。のぞはもう絶対に泣かせない。」 「マジで何しに来たの?」 「のぞを怖がらせるなって言いに来た。」 「大丈夫だよ。優しく抱くから。」 いやらしい笑みを浮かべる男の首に腕を引っ掛けて、思い切り壁に押し付ける。 それでも男の口元は余裕の笑みを浮かべていて、俺の言葉なんて抑止力にもならない。 ―――俺じゃ何もできないことが、悔しい……。 何かが起こってからでは遅いのに、それはみんな分かっているはずなのに…… どうしてこんな人間が野放しにされているんだろう? 「暴力反対。」 「のぞに手出したらマジで殺すから。俺だけじゃない。陽海さんもきっと同じ。」 「あの人、ブラコンじゃなくて近親相姦なの?のぞみちゃん家やばいな?キモ~。」 「あんたに言われたくない。」 「お前にも言われたくねえな?まあ、無理やりするのは趣味じゃないから、ちゃんと口説くよ。落とすのが楽しいんだから。」 「人の話聞いてた?」 「決定権はのぞみちゃんにある。お前じゃない。」 そう言って腕を押しのけ、そのままゲーセンを後にする。 ―――のぞはこんな男選ばない……よな? やけに自信満々な男を見ていると、なぜか不安になる。 胸がざわざわした気持ちを抱えたまま、図書館に寄るのも忘れて家に戻った。
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