蛇に睨まれたオオカミ

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「で、咲となんの話したの?」 「さすがに急すぎない?」 玄関に一歩踏み入れてから、靴を履いたまま男を見上げる。 男の家は駅から20分ほど歩いた、2階建ての古いアパートだった。 立て付けの悪いドアを開けると、中は蒸し風呂のような灼熱地獄。 開けた瞬間に、目を瞑りたくなるほどの滝のような汗が額を流れる。 玄関のすぐ脇には、段ボールが開けられることもなく乱雑に積み重なっていた。 その上にさらに女性ものの下着や洋服が重なり、層ができている。 玄関のすぐ横にキッチンがある変わった造りで、旅館でしか見たことがない全面畳の部屋。 廊下がなく敷かれた布団が玄関先からも丸見えで、なんだか居心地の悪さを覚える。 今まで咲の家にしか行ったことがないから、他人の家が新鮮だった。 ―――こんな狭い場所に、家族で住んでるのかな……? 「狭いけど入りなよ。」 そう言いながら中に入ると、すぐに窓を開ける。 生ぬるい風が頬を撫でただけで、不快感は変わらない。 冷房を探すためにきょろきょろ見回したが、軽く笑われる。 「悪いけど、エアコン壊れてて。」 「咲の話を聞きに来ただけだし……。」 「とりあえず座ったら?」 「すぐに帰るから。」 「警戒してる?」 笑いながら冷蔵庫からお茶を取り出し、コップになみなみと注ぐ。 「喉乾いてない?」 それを一気に飲み干すと、濡れた髪を耳にかけられた。 「汗びっしょり。シャワーでも浴びてく?」 「はあ?」 「咲くんに相手にしてもらえてないんだろ?」 「あんたに関係ない。」 「咲くんと何話したか教えてあげよっか?」 「だから、早く言えって。」 「セックスの話。」 含み笑いをする男の表情を見て、大きなため息吐く。 サウナのようなこんな場所で、つまんない冗談を聞いてられるほど気は長くない。 「咲がそんな話するわけない。あいつ、バスケにしか興味ないから。」 「咲くんセックスに興味あるって。お年頃だもんね。」 そう言って、にやけ顔の男が近づいてくる。 部室で見たAVの保管庫や、咲の部屋にあったエロ雑誌を思い出す。 きっと咲も、誰かを想像して疑似セックスを楽しんでるはず。 俺が知らない顔をして、俺には見せない顔をして、女の裸でひっそりと欲を発散させている。 知らない女に腰を振る姿が、細部に至るまではっきりとイメージできた。 きっと、俺を見上げた時の困惑した表情じゃなくて、欲にまみれたオオカミの表情で女を見つめるんだと思うと、胸が引きちぎれたように痛む。 「……聞きたくない。」 「のぞみちゃんじゃ、相手にしてもらえなかった?」 濡れた髪を指で梳かれ、じっと見つめられる。 蛇のように冷たい眼差しに寒気がしたのに、怖いモノが好きな自分の好奇心が勝った。 男をじっと見つめ返していると、頬をするりと撫でられる。 「誘ってみたの?この綺麗な顔で。でも、ダメだったんだ?」 「……だって、咲はノンケだから。」 「俺とシてみる?」 「え?」 「雰囲気すこし似てるだろ?想像させてあげる。」 そう言いながら腰を抱かれて、万年床まで引っ張られる。 寝室には首輪や手枷、バイブがゴロゴロ転がっていて、男の趣味が垣間見えた。 ―――うっわ。趣味わるっ!!! 「やだって……。」 「なんで?咲くん想像して1人でシてんだろ?」 咲で想像しても、絶対にSMにはいきつかない。 そう思いながら男を睨むと、楽しそうに微笑まれた。 「目隠ししてヤったら、きっと咲くんとイメプできるよ。妄想じゃ足りないだろ?」 この蛇男と目隠しプレイなんて、絶対に無理。 咲と手を繋いだ祭りの日を思い出す。 お面に開けられた小さすぎる穴では、視界が狭すぎて怖かった。 でも、咲と手を繋げば何も怖くない。 咲となら、どこまでも歩いて行けるって本気でそう思った。 でも、こいつは咲じゃない。 「……あんたとはシない。」 「ひとりでのこのこ男の家に来て、無事に帰れると思ってた?どっか期待してたんじゃない?」 そう言いながら肩を押され、布団の上に尻もちをつく。 男を見上げると、顎を掴みながらじっと見つめられた。 「本当に綺麗だね。泣かせがいがある顔してる。」 そう言いながら顔を近づけられ、熱い吐息が唇に触れた。 「……ふっ。」 ―――こいつ、俺のこと女だと思ってんな……。 顔でネコだと決めつけ、抱かれる側の人間だと疑いもしない。 瞬時に、小学生の頃に虐められていた時のことを思いだした。 そういえば、みんなこいつと同じ顔をしていた。 俺のことを弱いモノを見る目で見つめて、搾取して構わないモノだと決めつける。 一方的にカテゴリーを分けられて、仲間外れをされる。 そういうのは、もう懲り懲りだ。 男に好き勝手になんか、されたくない。 絶対にされたくない。 「ざけんな。」 歯を食いしばって思いきり頭突きをくらわし、足の甲で男の急所を蹴り上げる。 「いっ……てぇ。」 前屈みに布団に倒れ込み、ネコのように丸まりながらのたうち回る男を見下ろした。 回復される前に首輪をかけて、机の脚に素早く繋ぐ。 続いて手と足にも手錠をかけると、チェーンの先を首輪にグルグルに絡ませた。 「ネコはてめえだ。バーカ!」 男は涙ぐみながら振り返ると、俺を見上げながら眉を潜める。 「のぞみちゃん?」 「ちゃん付けすんな。男相手だって忘れてんじゃねーよ。」 男のケツを思い切り叩くと、男が苦笑いを浮かべる。 まだ状況が掴めていないのか、俺に向かって手錠を見せつける。 「これ、外して?」 「かわいいネコちゃんにぴったりじゃん。にゃあって鳴いてみ?」 「冗談やめてよ。」 「俺相手なら簡単にヤれると思った?性欲持て余したガキなら楽勝だって?キスマちらつかせて勝った気になってたの?残念ながら俺だって経験済みから。」 「……処女じゃないの?」 「あはっはは。残念でした。俺、ネコじゃねえんだわ。」 そう言いながらベルトを外して、パンツ諸共一気に足首まで引きずり下ろす。 男の四角いケツの中心に、つま先をあてがう。 グリグリと刺激をしながら親指をねじ込むと、男がズルズルと上に逃げる。 「ノンケ喰えるなんて、今日ついてるわ。」 「や、やめろ……!」 「処女とかすっげえ興奮する。優しく抱いてあげるからね。」 「やだ!やめろ!!」 ズルズルとケツを出したままもがく男を見下ろしていると、ポケットに入れっぱなしのスマホが震えていた。 ディスプレイを確認すると、咲の名前。 ―――タイミングわる……! このまま無視しているとGPSを辿ってここまで押しかけてくるだろうから、仕方なく通話ボタンを押す。 「あ、もしもし?」 「どこいんの?部活終わったら待ってろって言っただろ?荷物置きっぱでどこいんだよ?」 かなり苛立った様子の咲からの通話。 俺を探してガルガルしているのが、可愛すぎて笑える。 「あ、ごめ。もう帰った。だから咲も普通に帰って大丈夫だから。」 「嘘つき。恵さんに確認済みだから。GPSが通学路外れてるらしいじゃん。どこいんの?」 適当な嘘を並べると、咲がすぐに反応を示す。 「……友達の家。すぐ帰るからマジで大丈夫。ご心配なく。」 「友達って誰?田中ならここにいるけど……?」 ―――マジか……詰んだ。 俺の友達なんて、田中くらいしか思いつかない。 ピアス男が泣きそうな表情で見つめてくるから、腹の上に思い切り腰を下ろす。 カエルが潰れたような声を出され、笑いながら足を組んだ。 「あー……覚えてるかわかんないけど、ゲーセンであったお兄さ。」 そこまで言っただけで、咲が息を吸い込む気配が聞こえる。 慌てて耳を話すと、スピーカーレベルの音量で叫び出した。 「はあ?まさかピアス男んちいんの!?位置情報送れ!!」 「いちいち怒鳴るなよ。普通に聞こえてるから……。」 「さっさと送れ!!今!!早く!!!」 「はいはい……分かったって。うるさいなー。」 咲に促され、仕方なく位置情報を送る。 別に来なくてもいいのにと思いながらも、心配されて悪い気はしない。 「……咲くん?」 「あいつ足早いから、きっと秒で来るよ。」 苦しそうに眉を潜める男の髪を耳に掛けて、にっこりと笑いかける。 すると、切ったはずの咲から再び電話がかかってきた。 「なに?」 「俺が着くまで通話切るな!!」 「……うざ。」 「がっつり聞こえてるから。」 「咲くんとは友達なんだよな?」 「あー、俺たちはただの友達じゃない。幼馴染だからすっげえ特別なの。で、咲と本当は何の話したの?またふざけるならマジで掘るよ。」 「……のぞみくんのこと、狙ってるって話した。」 「で?」 「それだけ。」 「はあ?このクソ暑いなか来た意味ないじゃん!だるいんですけど?」 「のぞ、声が全然聞こえない!!!」 「盗み聞きすんな!!えっち!!!!」 俺と男がなに話しているかなんてどうでもいいのに、咲が電話口で声を張り上げる。 この状況を見られると俺まで変な目で見られそうだから、仕方なく男のズボンを上げてベルトを締め直す。 「で、咲はなんか言ってた?」 「まあ、キレてたね。」 「あっそ。」 俺が男に狙われてるなんて、咲からしたら地雷だ。 小学生の頃のことを、咲はずっと悔やんでいるから……。 それにこの状況を見たら、俺のことをもう守ってはくれない。 守ってやる心配もないんだと気がつく前に、か弱いヒロインに戻らなければならない。 あと数分も経たないうちに来るだろうし、男の手錠を外してやると…… 腹を大きく膨らませて、深いため息を吐いた。 「つまんない。」 「なにが?」 「自信あったんだけどな……。」 「なんで?」 「初めて会った時、脈あるって思ったのに……。」 「まあ、変わってるなとは思ったよ。」 「え?」 「俺のこと見ない人間って珍しいから。」 「だけ?」 「俺、自分の顔にすっげえ自信があるから。」 「だろうね?初めて見た時から超かわいいって思ったもん。」 そう言って笑われて、俺も笑いながら首輪を外す。 聞こえないようにスマホを離して、にっこり微笑みかける。 「俺の愛情はぜ~んぶ咲が握ってんの。誰かに渡すわけがない。」 「俺、咲くんに似てない?」 「全然似てない。あんたはカエルだ。」 「カエル?」 「最初は蛇かと思ったけど、余裕でカエル側の人間。」 「のぞみちゃんは、ネコじゃなくてオオカミ?」 「はっはは。喰ってやろうか?」 「遠慮します。」 そう言って、肩を押されて距離をとられる。 「のぞ!!」 「え、もう来たの?はや。またタイム上がったんじゃない?走り込みの成果かな?」 荒い呼吸を繰り返しながら、咲が男を睨みながら玄関口に立っている。 俺たちが布団の上にいるのを強張った表情で見つめると、靴を履いたまま一直線にこちらに向かってくる。 その慌てぶりがおかしくて笑っていると、俺の手を引いて背中に庇う。 「てっめえ!!!のぞに手出すなって言っただろうが!!!」 咲に思い切り胸ぐらを掴まれ、有無を言わさず殴られる。 すっかり気が弛んでいたせいか、男が力なく布団の上に転がった。 あまりにも痛そうなパンチに顔を顰めていると、咲が振り返って怒鳴ってきた。 「なんでこんなとこにいんだよ!!!」 「……大丈夫?汗だくじゃん。靴はいたままとかウケる。」 髪の毛をわしゃわしゃと撫でると、咲の汗が飛んでくる。 水浴びした犬のようで愛おしく思っていると、咲が俺の手首を掴んで睨んできた。 「誰のせいだと思ってんの?」 「俺のために部活終わりに全速力で走ってきたの?」 「そうだよ。」 「俺のことがそんなに心配なの?」 「そうだよ。」 そう言いながら苦しいくらいに抱きしめられ、首筋に咲の荒い息遣いを感じる。 可愛すぎてこのまま抱いてしまいたいけれど、残念ながらここには負傷したカエルがいる。 「なんで?」 「のぞが一番大事だからに決まってんだろ?これ以上心配させんな!!心臓止める気か!!!」 そう言いながら胸が潰れそうなほどきつく抱きしめられ、思い切り怒鳴られる。 重なった胸の鼓動は壊れそうなほど早くて、俺のことが心配でしょうがないと教えてくれる。 俺が一番大事。 好きだとは言ってくれなくても、それだけで十分。 この一番はそのうち誰かに盗られてしまうことは分かっていても、すごく嬉しい。 今が一秒でも長く続くことを、祈るしかない。 怒っている顔も可愛くて、俺の表情は緩みっぱなし。 頬を擦り付けながら甘えると、男と不意に視線が合わさる。 呆れたような表情の男に、唇の前に人差し指を立ててにっこりと微笑む。 男に見せつけるようにシャツの裾から手を忍ばせ、息を整えることに気を取られている咲の背中を、介抱する体で好きなだけ撫でまわす。 震えてばかりだたった自分が、泣いてばかりだった自分が、少しずつ何かに変化している。 俺はもう、蛇に喰われるカエルではない。
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