蛇に睨まれたオオカミ

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咲 「咲、汗すごいね?」 拭っても拭っても滴り落ちる汗を見つめて、のぞがふわっと笑う。 「え、臭う?」 「大丈夫。俺も汗だくだから……。」 そう言いながら、赤ら顔をしたのぞがにっこり笑う。 自分から漂う汗臭い匂いに混じって、隣に歩くのぞからはずっと甘い匂いが漂っていた。 その匂いに誘われるように、華奢な首筋に鼻を近づける。 「のぞは汗の匂いしない。」 「え、なんで?背中もびしょびしょだよ?」 「……すげえ甘ったるい匂いする。」 「柔軟剤の匂いかな?それか朝食に桃食ったから?」 ―――いや、これは間違いなく、禁断の果実の匂い。 そう言いながら首を傾げるのぞのシャツは、土砂降りに振られた時のように濡れていた。 汗をかきにくい体質のはずなのに、やけに汗をかいていることに不安がよぎる。 「大丈夫だったんだよな?」 「なにが?」 「あいつになんもされてないよな?」 「俺が男だって分かってるし、普通に彼女いるよ?首筋にキスマあったじゃん?」 のぞはなんでもないことのように話すけれど、男と密室で布団の上にいるのを見て、生きた心地がしなかった。 布団の周りには拘束器具が転がっているし、俺が来なかったらどうなっていたか……。 余りにも無防備なのぞを見て、深いため息を吐く。 「男と2人っきりになるなよ。」 「え?咲といつもふたりっきりだけど?」 「いや、まー……そうだけど。」 自分を棚上げできるほど、俺は俺のことを信用はしてない。 俺だって、あの男とは変わらない。 のぞのことをエロい目で見ているだけでは飽き足らず、迂闊にも手をだそうとしてしまった。 許されないラインに踏み込んでいるのだから、もっと自制しなければならない。 ―――まず、のぞに触られないようにしないと……。 スキンシップが大好きで、甘えたな幼馴染。 食べてしまいたくなるほど可愛いけれど、のぞの嫌がることをするわけにはいかない。 隣に並ぶと、身長差は明らか。 肩幅も狭く、肉付きが悪い割に肌の質が柔らかい。 どこを触ってもすべすべのもちもちで、同じ性別なのが未だに信じられない。 こんなに繊細で美しいから、触れてしまえばすぐに壊れてしまいそうで怖い。 どう見ても未熟で、俺の欲望に耐えられるような身体ではない。 きゅっと引き締まったコンパクトな尻を見つめながら、自分のサイズを思い出す。 ―――壊さなくてよかった……。 「まあ、咲はなんもしないもんね。」 のぞが俺を振り返って、悲しそうな笑顔を向ける。 花火大会の日のこと、のぞは何もなかったこととして片付けようとしている。 そのことを有難いことだと思いながらも、友達の不自由さにも気付いてしまった。 のそと俺は、ただの友達。 友達のままでいたいと願っていたはずなのに、手は出さないと決めていたはずなのに…… ピアス男のせいで独占欲に拍車がかかりそうだ。 ―――ダメなのに、のぞにもっと触れたくなってしまう……。 「そういえば、なんであの人と知り合いなの?」 「あー、祭りでのぞが見てたじゃん?で、ゲーセンで会ったピアス男の話を思い出して……。」 「あのさ、鋭いのか鈍いのか、はっきりしてくれない?」 「この前図書館行く途中に、駅前のゲーセンで見つけた。」 「逆方向じゃん。咲の行動力こわ。高校生相手に何考えてんの?」 のぞが呆れた表情で見つめてきたが、俺からしたらのぞの行動力のほうが怖すぎる。 顔見知り程度で男の部屋に入るなんて、小学生よりも自衛ができていない。 「……あいつが気になるの?」 「なんで?」 「家まで着いて行ったじゃん?」 「だったら?」 口元に笑みを浮かべながら俺のことを試すような視線に、頭にかーっと血がのぼる。 「絶対にだめだから!!!あんな男はのぞに釣り合わない!!そもそも高校生なんて年が離れすぎてるし、受験生なのにゲーセンでサボってる奴なんて碌な奴じゃ……。」 そう言って思い切り怒鳴ると、のぞが涙を浮かべて笑い出した。 「はっははは。興味ないから大丈夫だって。」 「……笑い事じゃない。」 俺がどんな気持ちで走っていたのかなんて、のぞは絶対に分かっていない。 楽しそうに笑うのぞからは、警戒や恐怖なんて全く感じない。 他人の悪意や欲には無頓着で、素直すぎるのぞに本気で不安になる。 ―――どんだけ楽天家なんだよ……? 「こいつ引き取りに行ったの。」 そう言ってのぞが胸に抱いていたぬいぐるみを、顔の前に見せつけられた。 合宿から帰った日に俺にくれたものと同じもので、意味が分からず眉を潜める。 「何それ?」 「え?ゲーセンで俺が初めてひとりで獲った戦利品。人の話聞いてなかったの?おそろいにしようと思ったのに!!」 「そんな話してた?ピアス男しか聞いてない。」 「なんだよ、それ?」 そう言いながら笑うと、大事そうに抱きしめる。 こんなぬいぐるみのためにわざわざあの男の家について行くとか、おかしに釣られる子供と何も変わらない。 「コンビニでアイス買お~?」 「賛成。干からびそう。」 「ありがとね。」 「え?」 「助けてくれてありがとう。走って来てくれてすごく嬉しかった。」 指先をぎゅっと握られて、満面の笑みで微笑まれる。 ―――助けられたと思っているくらいだから、やっぱり何かあのピアス男に唆されたのだろうか……? 胸に引っかかるものを感じながら、のぞを見つめる。 でも、無邪気に笑うかわいい天使を、不用意に怖がらせたくはない。 俺が隣で守ってあげれば、それでいい。 傷つかないように、泣かないように、一番近くでのぞをずっと見つめていればそれでいい。 それが俺の存在意義だ。 「言ったろ?のぞはやっぱりヒロイン枠なんだって。」 「咲はヒーローだもんね?最高に格好いい!」 そう言いながら腕に絡みついてきて、触られないようにと決めていた心がグラグラと揺れる。 いつもはふわふわの髪が汗でしっとり濡れて、風呂上りのような色気を放つ。 その匂いに惑わされそうになりながら、腕にぐっと力を込める。 ―――のぞはマジでかわいすぎて怖い……。 「ずっと俺のこと守ってね?」 「分かってるから、離れて。」 「断る。」 笑いながら腕にしがみつくのぞの横顔を見下ろしながら、深いため息を吐く。 コンビニというオアシスまでは距離があり、今日は今年一番の猛暑。 それでも、このまま時間が止まって欲しい。 蕩けそうな二の腕の感触にムラムラしながら、今なら許されるだろうとさりげなく腰に手を回す。 俺が触れても顔色ひとつ変えないのぞに、安心と落胆を同時に抱えながら澄んだ空を見上げた。
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