蛇に睨まれたオオカミ

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「さ、咲~……?」 蚊の鳴くような声に視線を向けると、のぞが教室の入り口で蹲りながら手招きをしていた。 のぞの存在や名前は既に学校でも有名で、あれだけ騒がしかったクラスがのぞの存在に気がついて言葉を失っている。 クラスの視線を根こそぎ奪っているのぞは、俺に向かって不安そうな表情を浮かべていた。 具合でも悪いのかと慌てて駆け寄ると、俺の指を両手でぎゅっと掴んで見つめてくる。 「どうした?具合悪いの?」 「いや、なんか他クラってすっげえ入りずらくて……。視線が痛くない?咲は大丈夫なの?」 「のぞなんてどこいても目立つじゃん。何言ってんの?」 そう言いながら腕を引いて身体を起こすと、今度は首に抱き付いて来た。 「目立つの嫌い。」 「その容姿で無理言うな。離れろ。」 「咲って一番後ろの席なんだ。この席いいね。落ち着く。ここに住もうかな。」 「さっき入りずらいって言ってたくせに?」 「咲がいたらどこでも大丈夫なの。」 ―――かわいいことをかわいい顔で言うのは、ズルすぎる……。 俺の席に座ると、頬を机にぴったりとくっつける。 たまたま目が合ったクラスメイトにすら愛想を振りまくから、その視線を遮るように目の前に立つ。 「前の方いたら、黒板見えないって文句言われたから。」 「咲は無駄に育ちすぎ。」 「のぞはずっとちっちゃいな。」 「咲がデカいだけで俺が平均だから。自分が基準だと思わない方がいいよ。」 「のぞが平均なわけねえだろ?どう見ても規格外じゃん。」 「なんでいつも俺を仲間外れにすんの?」 「だって、のぞは特別じゃん。」 俺がそう言うと、のぞが悲しそうな顔で見上げてきた。 ―――え、何?変なこと言ってないよな……? 「……いっぱい寝てるから、すぐにデカくなるもん。」 「ならない。のぞはただの赤ちゃん。」 髪をくしゃっと撫でると、ふわふわの綿毛のように柔らかい。 髪も身体もぜんぶ繊細で、赤ちゃんのように頼りない。 思い切り抱きしめたら複雑骨折しそうだと、細い肩を見つめながらそう思う。 「おがっちにさ、咲のこと保護者だって言われた。」 「俺が保護者?」 「友達に見えないのかな?」 不安そうに見つめてくるが、どこをどう見ても同じ人種にすら思えない。 陶器のように滑らかな肌も、柔らかそうな唇も、宝石のような瞳も、男性的な要素がひとつもない。 作り物のように美しいのぞとガサツな俺とでは、どう見ても友達の枠からはみ出てしまう。 幼馴染という繋がりがなかったら、きっと会話すら許されない別次元の生き物。 あまりにも美しすぎて、ひとりだけ絵画から浮き出たような存在なのだから。 「……のぞはまず男に見えない。」 ぼそっと本音が漏れると、のぞが勢いよく立ち上がった。 そのまま俺のネクタイを乱暴に掴むと、美しすぎる顔面が目前に迫る。 瞬きをするのも忘れるほどの早業で、澄んだ目で俺を捉えた。 翡翠色の美しい瞳に目が奪われ、身動きが取れない。 ―――すっげえ、きれいだな……。 強烈なビジュアルに見惚れていると…… 鈍い音がしたのと同時に、額に痛みと衝撃が走った。 「ってえ……。いや、のぞ大丈夫?」 痛む額を押さえながらのぞを見ると、涙目になりながらしゃがみこんでいた。 ―――いや、こんな時でも可愛いかよ……? 「い……痛い。頭が割れた。咲、おでこに鉄板でも入ってんの?」 「うっわ、何してんの?赤くなってるじゃん!ほら、冷やしに行くよ?」 のぞの腕を掴んで無理やり立たせると、早足で水道に向かう。 ハンカチを濡らして額に当てても、色白のせいか赤みが全く引かない。 「ジンジンする。血がでた。死ぬ。」 「死なない。血も出てない。てか、なんでこういうことすんの?顔に怪我したらどうすんの?あー、ちょっとコブになってんじゃん!かやちゃんとこ行こ。」 のぞの腕を引いて保健室に向かうと、のぞが涙目で俺を睨んでくる。 ―――いや、マジでその顔やめてほしいんですけど……? 「咲がおかまって言った。」 「言ってない。」 「言った。」 「おかまとは言ってないだろ?」 「男に見えないって悪口言った。」 「いや、のぞは男には見えないじゃん?」 「ついてるもん。」 俺の腕を引っ張り、股の間にぶら下がったモノに指先が軽く触れた。 ふにゃっと柔らかな感触に、指先から全身に向かって頭突き以上の振動が走る。 背中から下半身に向かって沸き立つ衝動を無理やり抑え込み、深く息を吸い込んだ。 「マジでこーゆーことすんのやめろって!!!何回言えばわかんの?人の話聞いてんのか?馬鹿なの?他の奴には絶対に同じことすんなよ?分かってんのか?」 「……だって。」 「言い訳すんな。絶対にやめろ。」 「だって、咲が女って言ったじゃん。ごめんなさいは?」 「……ごめんなさい。」 顔を引き攣らせながらキレ気味に謝ると、のぞが俺の指先を軽く掴みながら微笑んだ。 「いいよ。」 ガキのような喧嘩をするには、俺の身体も心も大人になりすぎている。 のぞと手を繋ぎながら保健室に入ると、かやちゃんが俺を見て思い切り噴き出した。 *** 放課後、のぞが部活見学のために、体育館に遊びに来てくれた。 ジロジロ見られて居心地が悪いのか、体育座りで小さくなりながら不安そうに俯いている。 でも俺を見つけると軽く手を振って、ふにゃんと蕩けるような満面の笑みを浮かべる。 ―――マジでかわいすぎる……!!現実世界に舞い降りた天使!! 「あー、あの子だろ?胡蝶望海ちゃん。」 「マジで女子やん!あれで男?」 「うっわ!制服似合わねえ!でもブカブカは萌えるわ。」 「普通にスカートが正解よな?ズボンの幅余り過ぎじゃん。」 「見た目すげえ美人なのにオドオドしてて、めっちゃかわいい。」 「この前声かけたら怖がられて、秒で逃げられた。」 「お前は顔が怖いからしゃあなし。」 「お前にだけは言われたくねえわ。」 「腕も首も折れそうなくらい華奢なの。女子より女子よ。」 「マジで?」 「体操着見た?足も細くて白くてすげえ綺麗だった。毛が全くねえの。」 「ヤりてえ。」 「獣じゃん?ウケる!」 「アレは別格だろ?あの子ならついてても全然あり。まだな~んも知らなそうだから、自慰教えてあげなきゃ。」 「キショ!捕まるよ?」 「そんなこと言いながら、お前も狙ってるじゃん?」 「それな。」 3年の男たちがのぞを見ながら好き勝手に話しているのが、腹立つくらいはっきりと聞こえる。 弱小バスケ部だから、顧問もバレー部と兼任で今は不在。 初回からやる気を全く感じられない部活ではあるが、バスケができるだけで満足だった。 自主練をやるように言われているが、真面目に行っているのは入部間もない1年だけ。 2年はふざけながらボールで遊ぶばかりで、3年はのぞをオカズに猥談を繰り広げている。 最悪な環境にのぞを招いてしまったことを後悔しながら、磨いたボールを手にドリブルをしながら3年を横切る。 「……何だよ?」 「何が?」 うざったく思いながら3年を睨み返すと、急にわらわらと囲まれた。 「めっちゃ睨んでるから。てかお前生意気じゃね?敬語使えよ。」 「あんたらが敬われる人間になるのが先じゃね?」 「はあ?」 「明日にして。」 「は?」 「のぞいるから。」 「あ、姫の前でビビってんの?」 そう言いながら肩を掴まれたから、腕をまわして背中で捻る。 「のぞが喧嘩みると怖がるから、今じゃねえって言ってんの。分かった?」 「痛い!痛いって!離せ!」 ―――あー、こいつらの腕を思い切りへし折りたい!! でも、のぞを怖がらせるから、今は無理。 どいつもこいつも、エロい目でのぞのこと見やがって!!クソ腹立つ!! のぞはてめえらが相手にしていい人間じゃねえっつーの!!身の程をわきまえろ!!クズが!!!! 小学1年生の時にのぞが襲われてから、なるべく身体を鍛えるようにしている。 毎朝走り込みをして体力をつけて、何かあった時に守れる人間になりたかった。 あの時は逃げるだけで精いっぱいで、何もできないことが悔しかったから。 もし一緒にいたのが俺じゃなくて陽海さんだったら、襲われることすらなかったはず。 自分の無力さが悔しくて、もう二度と同じ目に合わせないように、俺がずっと傍で見守っていたい。 のぞにずっと必要とされたい。 自分の存在価値を見出したい。 そんな下心満載の筋トレを続けること、6年が経った。 両親のお陰で、最初から体格には恵まれている。 小学生時代は、毎日のように喧嘩をしていた。 どこが痛いのか、どのくらいの力でやれば骨が折れるのか、全て実践で学んできた。 そのお陰で簡単には負けない代わりに、親にはだいぶ頭を下げさせてしまったが、今まで喧嘩を理由に怒られたことはない。 のぞを守るためだと説明すれば、大きなため息を吐きながらも、菓子折りもって謝りに行ってくれる。 両親には感謝してもしきれないし、教師には問題児扱いをされていたが、悪いことをしたなんて微塵も思わない。 興奮した男を制するのに、言葉でなんてまどろっこしい真似では絶対に守れない。 言葉より先に手が出るような猿を相手に、話し合いの解決は全く意味がないことを早々に理解した。 「咲すごかった!!ドリブルもシュートもすっげえ上手くなってる!!」 「そう?」 満面の笑みののぞに両手で頭をわしゃわしゃと撫でられ、人間扱いをされていないような気もするが、悪い気はしない。 されるがままのぞのやりたいように弄らせていると、首に腕を絡ませて耳に唇を寄せてきた。 触れるか触れないかの唇に、吐息が耳にかかる感触に、全身に鳥肌がたつ。 さっきあんなにキレたのに、のぞは自分の価値を全く理解してくれない。 「なんか先輩と揉めてなかった?」 「離れろって。ルールを教えてただけ。」 肩を押して距離を保つと、のぞが不安そうに先輩に視線を向ける。 「咲が?」 「あいつら素人だから。」 「先輩だろ?」 「年齢関係ない。」 「もうちょい大人しくしとけよ。また目を付けられるじゃん?小学校の時も、ミニバスの時に先輩と散々揉めてたし……。」 ―――いや、目をつけられているのはのぞのほうなんだけど……? そう言葉にして忠告したかったが、怖がらせてはいけない。 散々怖い思いをしているのだから、これ以上気を揉んでほしくない。 赤ちゃんのように無垢なまま、穢れを知らずに大人になって欲しい。 「問題ないよ。」 俺がそう言うと、のぞが泣きそうな表情で眉尻を下げる。 「怪我はすんなよ。」 「あのさ、しばらくここに来ないで。」 ゴミを排除してからじゃないと、のぞを置いておきたくない。 こちらを睨む3年を負けじと睨み返しながら、のぞに告げる。 「わかった。」 だから、のぞがその時にどんな顔をしていたのか、愚かな俺は気がついていなかった。
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