詩「祖母の湯呑み」

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随分前に誤って割ってしまった 祖母の形見のごつごつとした湯呑みが ときどきなんの前触れもなく 手のひらに感じることがある それは冬の冷たい風が吹いたときや 子供の頃の夢を見たとき 両親の声をしばらく聴いていないなと 罪悪感を覚えたときに多い気がする その度に手のひらには皴が刻まれて 大きくて扱いにくかったあの湯呑みが ぴたりと馴染んでいく気がした 熱いお湯を注いで 手のひらで包んだときの じんわりと染みわたってくる 懐かしいような温かさは 陽の柔らかい春のようで 手作りの不器用な厚みだからこそ 伝わってくるものがあるのだろうか 祖母はまだまだ生きると言いながら 息の細い自分を信じられないでいた それを信じようと思うのは 傲慢でも許される気がした 祖母はきっと 寒い町の 昔ながらの家の 日の当たらない台所にて 背中を丸めて丸めて 陽光を乱反射する小さな破片となって 明け方の窓辺に散らばったのだ だからぼくは あのときの湯呑みの欠片が まだどこかに落ちていないか 祖母の立っていた台所を ときどき思い出すようにしている
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