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主人公を泣かせたい! ~ブラコンお嬢様vs男の娘メイド~
洗面所で燈次は困っていた。
「うーん。取れない」
「どうしたの燈次兄」
「実はな、瑠璃華。ほら、見えるか」
燈次は下まぶたをグッと下げた。
「え、何」
「目頭のところ。まつ毛が入っちゃったんだ」
「ほんとだ。キワのところに黒い線があるような」
「目薬をさしても、水中で目をパチパチやっても取れないんだ」
「放っておけばいいって書いてあるわ」
スマートフォンを見る瑠璃華に対し、燈次は顔を大きく左右に振る。
「でも不快だ! 何かあるなって思うだけで意識がそこに向く。気づくと目をグリグリやっちゃう運命なんだ!」
「え、どうしよう」
燈次は手をパンと叩く。
「泣ける話をしよう」
「急に何?」
「泣けば内側から洗いながされるかもしれん。瑠璃華、最近悲しかったことは?」
「急に言われても。燈次兄は」
「えーと。こないだアイス落とした」
「地味ね」
「水たまりで転びかけた」
「最近じゃなくて、昔のことから探してみたら?」
燈次は少し考えた後、淡々と話しはじめた。
「俺さ、中学までほとんど友だちいなかったじゃん?」
「う、うん」
「でも高1のときは4人グループに所属できてて。っていうか、俺はそう思ってて」
「うん?」
「でもあるとき、残りの3人だけが映画に行ったらしくてさ。3人が面白かったなって話すのを聞いて、あっ俺ハブられたのか。いやそもそも仲よしグループにカウントされてなかったのか、って知ったんだよ」
「つ、辛い」
「悪意とかじゃなくて、単に俺が空気を読み間違えていただけなんだ。無理矢理グループに入ろうとした俺が悪かったんだよ。ハ、ハ、ハ」
燈次は乾いた笑い声を上げた。
「悲しすぎるわ」
「逆に笑えるな。泣くってどうやんだっけ、忘れちゃったよ」
燈次は卑屈に笑い、目をグリグリと押す。
瑠璃華は自分の胸のあたりをギュッと掴む。
「こんなに素敵な燈次兄が傷ついている。なんて可哀想。アタシが力になってあげたい」
瑠璃華は慈愛の表情を浮かべ、燈次の頬を撫でる。
「安心して。アタシが泣かせてあげる……」
そこまで言ったとき、燈次の胸に素早く何かが飛びこんできた。
「燈次さまっ。何の話してるのー!」
飛びこんできた人物は、可愛らしいエプロンをゆらゆら揺らす。
燈次はにっこりと笑った。
「秋斗も話したいのか」
「うん!」
男の娘メイド――もとい秋斗は、燈次の胸に自分の頭を押しつける。
燈次は秋斗に現状を説明する。
「実は目に入ったまつ毛を取るために、泣きたいと思っていて」
「じゃあおれが燈次さまを泣かせてあげる。そしたら燈次さま、いい子いい子してくれるよね?」
秋斗が甘えた声を出す横で、瑠璃華はギロッと鋭い目をした。
「アタシと燈次兄が話してるんだけど。邪魔しないで」
「えー。やだ」
「燈次兄に可愛がられるのはアタシだけでいいの」
「じゃあ勝負する? どっちが先に燈次さまを泣かせてあげられるか」
秋斗の提案に、瑠璃華は胸を大きく反らす。
「上等よ。アタシが勝ったら、燈次兄にほっぺチューしてもらうんだから。アンタの見る前で」
「じゃあおれは燈次さまに、ここにチュッてしてもらおうかな」
そう言って秋斗は自分の唇を人差し指でフニ、と触った。
瑠璃華は引きつった笑いを浮かべる。
「好きなだけ言ってなさい。アタシが燈次兄のこと、二度と涙が出なくなるまで泣かせるから」
そう言って瑠璃華は燈次と腕を組む。
「おれが燈次さまのこと、後悔するほど泣かせてあげるよ」
秋斗も反対の腕に、自分の腕を絡ませる。
板挟みになった燈次は、困ったように笑った。
「あれ。まつ毛1本で、大変なことになってる……?」
かくして、ふたりの燈次泣かせ対決は始まった。
じゃんけんの結果、先攻は瑠璃華。
彼女は燈次をある場所に連れていった。
「じゃーん。SNSで話題の絶景スポットよ!」
燈次はほう、と声を上げる。
「一面、アジサイだらけだ。色とりどりで綺麗だな」
「感動で涙が出たり?」
「まだだ。でも、もうちょっと見てれば」
その先を言おうとした後、燈次は口を閉ざした。
彼の視線は、瑠璃華のそばのアジサイの上で止まっている。
「どうしたの」
「気をつけろ瑠璃華。そこのアジサイにカタツムリが」
瑠璃華は花の上の存在を見つけるなり、悲鳴を上げた。
「イヤーッ。虫っ? 嫌い!」
「落ちつけ」
「何でこんなヤバい見た目のが実在してるの。架空の生物で十分でしょ!」
そう言って瑠璃華はワーッと泣きだした。燈次は瑠璃華を連れてカタツムリから離れる。
燈次に肩を撫でられる瑠璃華に対し、秋斗がにやりと笑いかけた。
「瑠璃華さま、失敗しちゃったね」
「何よアンタ。生意気に」
「次はおれの番。成功したら燈次さまにいっぱいチューしてもらおっと♪」
「ちょっと!」
3人が訪れたのは森の中。昼間でも薄暗いその場所で、秋斗が何かを用意している。
燈次は秋斗に優しく語りかける。
「何してるんだ」
「お化け屋敷の準備。燈次さまのこと、恐怖で泣かせちゃうからね!」
秋斗はシーツを頭から被り、両手を上げてワーと脅かす。
「可愛いお化けだ」
「これだけじゃないよ。釣り竿の先にコンニャクをつけてね」
そう言って秋斗は釣り竿をブンブン動かす。
すると、コンニャクが秋斗の首筋にぴたりとついた。
「ひゃわあーっ! お化け出た? やだー!」
「コンニャクだってば」
「燈次さま助けて。怖い!」
そう言って秋斗は燈次にひしっと抱きつく。燈次は秋斗の背中をポンと叩く。
瑠璃華はやれやれと肩をすくめた。
「アンタも失敗みたいね」
「おれは可愛く失敗できるからいいもん」
「世界一ラブリーなアタシの前では、アンタの可愛さなんて塵も同然よ」
「世界一? おれは宇宙一の可愛さなのに」
「宇宙を表す化学式のひとつも知らない癖によく言うわ。大天才の瑠璃華さまが超絶素晴らしいプランを見せてあげるわよ」
瑠璃華は口元に手を添え、オホホホ! と高笑いをした。
続いて3人が訪れたのは映画館。
シアターに向かいながら、瑠璃華は自信満々に説明をする。
「はい、各々チケットは持ったわね。今持っているチケットの席に座るのよ。席のトレードはNG。これ、アタシが決めた絶対ルールだから」
秋斗が唇を尖らせる。
「感じ悪ぅー」
燈次はふたりのやり取りに目を細める。
「まあ、まあ。泣くと言えば映画だよな。定番どころだが忘れていたよ。それで俺の席は……D3か」
瑠璃華もチケットの文字を読みあげる。
「アタシはH3。……あれ?」
秋斗がぴょんっと跳ねた。
「おれ、D4! 隣だね、燈次さま」
瑠璃華は眉間にしわを寄せる。
「待って。燈次がD3。秋斗が隣のD4。アタシは燈次兄の後ろの、後ろの、後ろの、後ろの……H3? え、待って、間違えた!」
燈次は首を傾げる。
「間違えた?」
「そうよ。アタシと燈次兄が隣で、秋斗だけ別の席にしたはずなのに。何でアタシが離れた席なの」
秋斗はにやーっと挑戦的に笑った。
「残念だね、瑠璃華さま」
「ちょっと秋斗、チケット交換しなさい。燈次兄の隣はアタシのだったのよ!」
「チケットの交換は駄目って言ったの、瑠璃華さまじゃん」
「それとこれとは別よ。渡しなさい」
ふたりが喧嘩をしている間に、劇場内の明かりが落とされた。それでもまだ騒いでいると、スタッフによって3人はつまみ出された。
外に出てからも、瑠璃華と秋斗はまだ喧嘩している。
「アタシと燈次兄の話だったのに、アンタが割って入ってきたのが悪いのよ」
「燈次さまはおれのだもん」
燈次はふたりの会話より、自分の目が気になるようだ。
目に入ったままの1本のまつ毛が、違和感をもたらしているらしい。
目をしきりに掻いた後、燈次はため息を吐く。
その横で、ふたりは口喧嘩を続けている。
「偉そうなことを言うなら、燈次兄を泣かせてからにしてよね」
「じゃあ……燈次さま、こちょこちょ!」
そう言って秋斗は燈次の脇腹をくすぐった。
「くすぐったい。ひゃははっ」
燈次は声を上げて笑う。
すると、彼の目尻に薄っすらと涙が浮かんだ。
それを見た瑠璃華はムッと頬を膨らませ、秋斗とは別のほうの脇腹をくすぐる。
燈次は身体をよじって笑う。
「ひゃは、あはは、はは。くすぐったい」
「瑠璃華さま、卑怯。おれがこちょこちょしてるのに」
「アタシがやっちゃいけない、なんてルールないでしょ」
「瑠璃華さま、ひどーい」
「アタシはゴージャスなお嬢さまよ。だから、わがままを言っていいの」
「おれだって可愛いをするのが仕事だし」
「可愛い担当はアタシだけど?」
「おれだもん」
「燈次兄はアタシのほうがプリティーだと思うわよね」
「燈次さまはおれのほうが可愛いよね」
ふたりはくすぐるのをやめ、それぞれ燈次の腕に絡みつく。
「燈次兄」
「燈次さま」
すると……。燈次は何故かうめきだした。
「ウッ……ウッ……」
「燈次兄、大丈夫」
「どうしたの燈次さま」
「ウ……。ワ――ッ!」
燈次は大粒の涙を次々とこぼした。
これには瑠璃華も秋斗もびっくりだ。
「燈次兄?」
「燈次さま?」
燈次は鼻をすすりながら、くしゃりと笑った。
「俺さ……。昔は友だちいなくて。学校のみんなから疎まれていたからさ」
瑠璃華と秋斗は言葉を失って、ただ燈次の話を聞いている。
「でもさ。今はこうやって、俺のためを思ってくれる人がいるんだ。ふたりも。そう考えたら、どうにも涙が止まらなくなって」
瑠璃華は長いまつ毛を伏せ、燈次の腕を抱きしめなおした。
「心配しなくても、アタシの心は永遠に燈次兄のものよ」
秋斗も燈次の腕をギュッと抱きしめなおす。
「燈次さまなら、おれを独占してもいいよ?」
燈次はふたりにそれぞれ頬ずりをした。
「俺は本当に幸せだ。実の妹に、弟分のようなメイド。ふたりに愛されている」
燈次の幸福に満ちた表情を見て、瑠璃華はゆるりと笑う。
その後で彼女は、少し寂しそうに目を細める。
――実の妹、ね。
それは燈次兄の言った通り。アタシと燈次兄は血のつながった兄妹よ。
でもアタシ、もっと別の形でも燈次兄に愛されたいの。
燈次兄の、恋人として……。
アンニュイな感情に浸っていた瑠璃華だが、ふと急に大声を上げた。
「あーっ!」
燈次は肩をびくっといからせる。
「え、何だ」
「燈次兄、目のところ。少しだけ、まつ毛が飛びだしてる!」
「ああ。中に入って取れなかったやつか。この機を逃してなるものか」
「強引に取ろうとしちゃ駄目よ。ティッシュをねじって、軽く尖らせるのがいいわね」
秋斗が横から口を挟む。
「おれティッシュ持ってる」
「用意がいいわね。グッジョブよ。さあ燈次兄。これで」
燈次は瑠璃華の手鏡を見ながら、慎重にまつ毛を取りのぞく。
「取れたー!」
やったー! と言って瑠璃華と秋斗は燈次に抱きつく。
燈次もふたりの肩に手を回し、やった、やった、とはしゃいでいる。
まつ毛が目に入ったことから始まった騒動は、これにて一件落着だ。
と、思いきや……。
「いてっ」
「どうしたの燈次兄」
「何か、さっきまでと逆の目に違和感が」
瑠璃華は彼の顔を覗きこみ、声を上げた。
「あ、またまつ毛が入ってる!」
「また燈次さまを泣かせればいい?」
燈次は困った顔をする。
「俺はさっき、涙が枯れるまで泣いてしまったが」
「アタシが涙を絞りだしてあげる」
「おれがやるの!」
「アタシの役目!」
「おれのだもん!」
ワーワーと3人は騒ぎまわる。
1本のまつ毛による騒動は、まだまだ続きそうだった。
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