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私の父は掃除は大の苦手だったけど、料理は結構好きだった。
でも、ここには研究の合間に軽く食べるためのカップ麺ぐらいしか置いていなかったはずだ。
賢斗がなかなかキッチンから戻ってこないので、私は「よっこらしょ」と重い腰を上げた。
実際にはまだそんなに体重は増えていないのだけど、重心が前に傾いているせいか立ち上がるのが億劫になる時がある。
「何もない? なかったら」
どこかへ食べにいく?と訊こうとした私は、キッチンで立ち尽くす賢斗を見て言葉を飲み込んだ。
彼が肩を震わせて泣いていたから。
「賢斗……」
賢斗が手にしていたのは、彼が中学生のときに修学旅行のお土産で父に買ってきたマグカップだった。
たぶん京都じゃなくてもどこにでも売っているようなありふれたマグカップ。
でも、父は喜んでずっと使っていた。
「教授が死んだなんて信じられない。結局何も恩返し出来なくて、俺は……。ダメだなぁ」
涙混じりのため息をつくと、賢斗は天井を見上げた。
彼のそんな様子を見ていたら、やっと私も父が亡くなったという実感が湧いてきた。
もう会えないんだ。お父さんにも秀太郎にも。
賞味期限間近のカップ麺を啜る私たちの口からは、父との思い出が後から後から溢れ出て止まらなかった。
「高校生になった俺を教授が海外の発掘調査に連れて行こうとしたら、涼香が『ずるい!』って拗ねてさ」
「だって! たった2歳しか違わないのにずるいでしょ。でも、お父さんったらわざわざヘビを私に投げつけて!」
「そうそう。『自分一人で始末できるなら涼香も連れていってやる』なんて言って」
「私がヘビが大の苦手だって知っててね。厳しかったよね」
「うーん。教授なりの優しさだったんじゃないかな。涼香が大事だから、海外に連れて行くのは心配だったんだよ。観光地のホテルに泊まるのとは訳が違うから」
「……そうかもね。不器用な人だったよね」
父のことを過去形で話している自分に気づいて、また悲しくなる。
でも、こうやって父との思い出を語り合える賢斗が居てくれて良かった。
初恋の彼が養子になった当時はすごく嫌だったけど、こんなにたくさんの記憶を共有できたのだから、兄妹として育ったのもあながち悪くなかったと思えた。
「うん、不器用だけど愛情をもって育ててくれた。だからこそ、俺はあれが教授じゃなかったと気づくべきだったんだ」
ごちそうさまと手を合わせた賢斗がまた意味不明のことを言い出したから、私は「何の話?」と問いかけた。
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