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首都高の渋滞をやっと抜けてホッとしたのも束の間、多摩川が見えてきて私はギュッとハンドルを握りしめた。
今年の梅雨入りは遅かった。そのせいか梅雨入り後は連日の大雨で、川はいつもよりもだいぶ水かさを増している。
茶色い濁流が物凄い速さで流れていくのを橋の上から見下ろしてゾッとした。
自分では【濁流恐怖症】と呼んでいるけど、たぶんそんな恐怖症はないだろう。
――賢斗! 賢斗! どこにいるの⁉
7年前。幼なじみの賢斗を必死に捜したときの自分の声が、脳裏に蘇ってきて苦しくなる。
賢斗は父と秀太郎と3人でブラジルの奥地に入り、アマゾン川の支流に架かる橋で足を滑らせて転落した。
父から知らせを受けて私が現地に駆けつけたのは、賢斗が川に落ちた日からすでに3日が経っていた。
声が枯れるまで賢斗の名前を呼び、なりふり構わず必死に捜し回る私に、現地の人々は「もう無理だ」と言わんばかりに首を横に振った。
アマゾンと言えば肉食魚のピラニアが有名だけど、ピラニアより恐ろしいのはカンディルという人喰いナマズらしい。
たとえ溺死していなくても、賢斗はそうした肉食魚たちに食い尽くされただろうと秀太郎に言われ、私はなす術もなく泣き崩れた。
熱帯雨林の中を流れる川は迷路のように入り組んでいて、かなり下流の方まで捜索したものの賢斗の遺体は発見できなかった。
アマゾンへと旅立つ日の前夜、私は秀太郎からプロポーズをされた。そのことを賢斗に話したら、彼は私に「おめでとう!」と言ったのだ。
「良かったな。幸せになれよ」と励ますように私の肩を叩いて、賢斗は晴れやかに笑った。
あのとき、私の初恋は木っ端微塵に砕け散った。
だから私は賢斗の捜索が打ち切りとなって帰国した後、彼への思いを断ち切るために秀太郎と結婚した。
秀太郎は待つと言ってくれた。「夫婦となって支え合って暮らしていく中で、きっと涼香の気持ちも僕と同じになる日が来ると信じている」と。
あれからもう7年。
なのに、川を見ただけでまだこんなに辛い。
賢斗がアマゾンで命を落とす前に私の恋は終わっていたのに、どうしてまだこんなに胸が苦しいんだろう。
ずっと一途に私を愛してくれていた秀太郎とも、最近すれ違いばかりだ。やっと待望の赤ちゃんを身籠ったというのに……。
「パパはどうしちゃったんでしょうね?」
左手でそっとお腹を撫でて、【ベビちゃん】に話しかけた。
妊娠17週を過ぎて安定期に入ったところ。
辛かった悪阻が治まったからこれからいろいろベビー用品を買い揃える相談をしたいのに、秀太郎とは何日も顔を合わせていない。
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