ある朝突然に

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「お父さん!」  仰向けに倒れている秀太郎は目を見開いていて、明らかに絶命しているとわかる。でも、うつ伏せの父はまだ息があるかもしれない。  咄嗟にそう判断した私は、父のところに駆け寄った。 「お父さん! しっかりして!」  上を向かせようと脇腹に手を入れると、ヌルッとした感触がして思わず手を引っ込めた。 「血が……こんなに……」  真っ赤に染まった自分の手を茫然と見下ろしてから、床に転がるペーパーナイフに気づいた。  父はこれで刺されたのだろう。  手にとってみれば、私が新婚旅行でオーストラリアのお土産に買ってきたペーパーナイフだ。まさかそれが父の命を奪うことになるなんて思いもしなかった。 「キャー‼」  突然窓の外から甲高い悲鳴が聞こえて顔を上げると、田中奈美がこちらを見ていた。  彼女は隣に住む私の元同級生で、父が家の掃除や花壇の水遣りなどを任せている。  合鍵を渡して時々バイトをしてもらっていると話には聞いていたけど、実家で顔を合わせたのはこれが初めてだった。  窓越しに彼女がスマホで電話をかけているのが見え、そうか、救急車を呼ばなくちゃと遅ればせながら気がついた。  おそらく強盗の仕業だろうから、警察も呼ぶべき?  奈美が通報してくれたのなら、私はもう電話しなくても大丈夫だろうか。  考えがまとまらないまま、バッグからスマホを取り出そうとしたら手から滑り落ちてしまった。さっき血が付いたせいだ。  床に出来た血だまりに落ちたスマホを慌てて拾い上げようとしたのに、また手から転げ落ちる。自分の手がブルブルと震えていることにやっと気がついた。   「す……ずか……」  微かな声にハッとした。父は生きていた! 「お父さん⁉ しっかりして! 救急車呼んだからね」  自分では呼んでないけど、父を励まそうと思ってそう言った。 「これを」  父が胸ポケットから出して私の手に握らせたのは、コインロッカーの鍵のようだ。 「鎌倉……」 「鎌倉駅のロッカー?」  私の問いかけに小さく頷くと、父は「パソコンに」と机の上のノートパソコンを指差した。 「パソコンを見ろってこと?」  ノートパソコンから父に視線を戻すと、父の手がダラリと落ちた。 「お父さん! お父さん!」  身体を揺さぶっても父の目はもう開くことはなかった。  こんな別れ方ってあるだろうか。せっかく父が最後の力を振り絞って私に何か伝えようとしてくれたのに、何が何だかわからない。  「今までありがとう」も言えなかった。  呆然と床に座り込んで父の手を握る。  あまりに突然のことで、涙は一滴も出なかった。
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