第8話 また――

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第8話 また――

 オーバルが目を開けると、すぐ傍にソフィアがいた。  自分の方を向きながら眠る妻の細い肩が、呼吸するたびに上下する。いつもは侯爵夫人として綺麗にアップされている赤毛も、今は乱れた状態でベッドの上に広がっている。 (会えるとは思わなかった)  少し開いた彼女の唇を見ていると、キスをしたくて堪らなくなったが、相手は眠っているのだ。手に取った赤い髪に口づけることで我慢すると、代わりに自分のものではない記憶が呼び起こされた。  アレクトラ家初代当主トマスの記憶が――  *  アレクトラ家初代当主、トマス・アレクトラは非常に優秀な魔術師だった。  そんな彼には、愛する妻がいた。  妻はよく子ども達の前で自作の占い――履いている靴を飛ばして、落ちた靴の向きで次の日の天気を占うお天気占い――をしていた。  魔術師であるトマスから見れば、たわいのない子どもの遊びではあったが、楽しそうに靴を投げ、その結果を楽しむ妻の笑顔が大好きだった。  そんなある日、妻がいつものように靴を飛ばすと、靴が柔らかい土に刺さって立った。  家族みんなで大笑いをした。   「こんなこと想定していないから、明日の天気は分からないわね」  妻の言葉に子どもたちは口々に、靴が立った場合の結果を提案した。  そんなささやかな時間が、愛おしくてたまらなかった。  幸せだった。  だが長く続くと思われた穏やかな日々は、妻の病死という形で簡単に終わった。元々体が弱く痩せ細っていたため、季節性の病が悪化し、命を落としてしまったのだ。  死ぬ前に妻は、トマスに子どもたちを託し、皆を置いて先に逝くことを詫びだ。  そして最期にこんな会話を交わした。 「そんな顔をしないで、あなた。また会えますよ。遠い未来のどこかで」 「会えるわけがない。魂の研究は進んでいるが、生まれ変わりがあることは証明されていない」 「……証明されていないからといって、存在しないわけじゃありません。私は信じています。この先の未来でまた、あなたと出会えることを」  と。    妻を亡くし失意の中、周囲はトマスの気持ちなどお構いなしに、後妻を迎えろとうるさく騒ぎ立てた。  そんな周囲に、トマスの堪忍袋の緒がぶち切れ、皆の前でこう宣言した。 「そんなにも私に結婚して欲しければ、履いている靴を飛ばし、その靴が立った女を連れてこい。しかし万が一、飛ばした靴が私の目の前で立たなければ、その女と連れてきた者を」  ――呪うぞ。  もちろん、本気で呪う気などなかった。  だがトマスの激情に満ちた気迫は、彼が本気だとその場にいた者たちに信じさせ、恐怖を植え付けるには十分過ぎた。  彼の発言が、長き月日を経て形を変え、守るべき言い伝えとして現在に残るほど――  ソフィアと出会ったのはあの夜会が初めてだったが、遠目からだったのにもかかわらず、何故か気になって仕方なかった。彼女のことを周囲に訊ねまくり、グラウディー子爵の娘ソフィアだとようやく知ることができたが、他の貴族たちに囲まれてしまい、抜け出す頃には彼女の姿はどこにもなかった。   (ここにいなければ、外かもしれない)  何かに突き動かされるように庭園に出た所、黒い影――ソフィアの靴が飛んできて、思わずキャッチしたのが、全ての始まりだった。  初めて顔を合わせたソフィアは、酷く怯えていた。彼女の恐れは理解できたが、何故かとてもショックだった。  靴を履かずに歩こうとするソフィアを見て、反射的に彼女を抱き上げていた。そんな行動をした自分に驚くよりも、腕から伝わってくる体の軽さに何故か酷く心が乱れた。初対面の相手なのに、ちゃんと食べているのか気になって仕方なかった。靴を履かせながら、足に傷がないか確認している自分がいた。小さな傷でも、体が弱い者にとっては、大病にきっかけになるからだ。  だが全ての解は、ソフィアの靴が立ったのを見た瞬間、得られた。  堰き止められていた記憶――アレクトラ家初代当主トマスであった記憶が一気に流れ込む。  お天気占い。  立った靴。  笑い転げる子どもたちと最愛の(ひと)。  彼女の笑い声が、オーバルの腕の中で肩を振るわせて笑うソフィアと重なり、気付けばプロポーズをしていた。  前世で自分(トマス)の妻だった彼女に――    隣で眠っているソフィアに意識を戻す。 (分かっていたのだろうか。この未来を……)  また出会えると言ったトマスの妻は、どこか確信を持っていたように見えた。死に近かったからこそ、魔術師にも視えない世界の理が見えていたのかもしれない。  だが理由を探るつもりはない。  世界には、決して侵してはならぬ領域があり、それを暴こうとした結果、魔術師という存在が消えたのだと今なら分かるからだ。  この広い世界で前世の妻と出会い、彼女の飛ばした靴が立った。それを見て前世の記憶が蘇り、トマス(前世の自分)が残した言葉のお陰で、彼女と結ばれることができた。  全ては奇跡。  それでいいのだ。  ソフィアの細かった体は以外にも丈夫で、さらに食事量を増やした甲斐もあって、肉付きも良くなってきている。  もう前世のように、病に冒されて簡単に亡くなることもないだろう。  トマスの記憶はオーバルから消えつつある。  だがソフィアへの想いは消えるどころか、日に日に増している。  凜然たる佇まい、何事にも懸命な姿、分け隔てない優しさ。  全てが愛おしくて堪らない。 (今度は年老いるまでともに生きよう。そして、産まれてきた子どもたちとお天気占いをしよう)  隣で眠っているソフィアが笑った。一体どんな楽しい夢を見ているのだろう。  この先も、すぐ傍で彼女の笑顔が見られるのだと思うと、心の底から熱いものがこみ上げ、言葉となってこぼれ落ちた。 「ソフィア、また俺を愛してくれてありがとう」  妻の瞼が微かに震える。  それがゆっくりと開かれ、輝きに満ちた瞳が自分の姿を捉えるのを、オーバルは微笑みながら見守っていた。 <了>
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