第3話 催眠術

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「分かったわ」 「ありがとう! ソフィア、大好き‼」  立ち上がったメーナが、ソフィアに抱きついた。  椅子に座ったまま目を瞑るように指示され、それに従う。ソフィアの顔の前でメーナが動いている気配を感じるが、何をしているかまでは分からない。  闇の中に沈む視界の中で、メーナの声が響く。 「今から三つ数えたら、あなたは今日の夜十刻まで催眠術にかかった状態になる。催眠術にかかった後は、今のこの会話は忘れ、いつもどおり自分の意思で生活を送る。だけど――」  メーナが一息おき、言葉を続ける。 「特定の相手の命令には何でも応える。命令の合図は、特定の相手が手を叩いた音とする」 (え? 特定の相手の、めい、れい?)  突然、思ってもみないことを言われ、目を開けようとしたとき、 「三・二・一、ハイ‼」  パンッと手を打つ音が響き渡った。  突然大きな音がして、ソフィアは驚き、ビクッと肩を振るわせて固まってしまった。  静寂が場を支配する。  次の瞬間、 「よっし! 催眠術、かかったぁああああ‼」  恐らく、拳を上に突き上げて喜んでいるであろう、メーナの歓声が響き渡った。  はしゃぐ声が聞こえる中、ソフィアはとても困っていた。  何故なら、全く催眠術にかかっていなかったからだ。 (た、たしか……さっきメーナが話していた催眠術の内容は、忘れるのよ、ね……?)  だが、覚えている。  しっかりと覚えている。  しかし、 「やだ凄い私! 凄すぎない、私? 初めての催眠術を一発で成功させるなんて‼ 実は魔術よりも、こっちの方に才能があるのかも!」  と、自画自賛しているメーナに、催眠術が失敗してると言える雰囲気ではなかった。  以前、絶対成功すると臨んだ魔術に失敗し、十日間ぐらい落ち込み、痩せてしまった義妹を覚えているからだ。 (……仕方ないわ。まあ十刻までの話だし、命令以外は普通に生活していいってことだし……)  いざとなれば、何か理由をつけて術が解けたことにすればいい。  メーナは初めての催眠術が成功したのだと言っていたのだから、術が途中で解けても何ら不自然ではない。  成功したと思ったのに失敗したと告げられるよりは、受けるショックは幾分マシだろう。  ということで、メーナの催眠術にかかったフリをすることにした。    そんなソフィアの傍で、パンッと手を叩く音が響いた。命令の合図だ。  「ソフィアは私が良いと言うまで、目を開けない。分かったら頷いて」  ソフィアはコクリと頷くと、メーナは、面白くて堪らないと言わんばかりの気持ちを声色に出しながら笑った。 「ふふっ……全く、ヘタレな兄を持つ妹は、ほんっと辛いわー」 (ヘタレな……兄? それって……)  名を思い浮かべるよりも早く、部屋に荒々しいノック音が響き渡った。同時に、低い大声がノック音と重なる。 「メーナ! いるんだろ、出てこい‼」 (オーバル様⁉)  部屋の外にいるのは、仕事のために出かけたはずのオーバルだった。それも焦りからくる怒りのせいで、声を荒げている。  結婚して一年。声を荒げた夫など見たことなかったため、何かあったのかとソフィアの心臓の鼓動が速くなった。  ソフィアの傍から人の気配が離れ、ドアの軋み音が聞こえたかと思うと―― 「お前……早馬が来たかと思ったら、【ソフィアの身に何かが起こるから、今すぐ帰れ】ってどういうことだ‼」 「んもう、お兄。そんなにつかかってこないでよ。ソフィアなら、そこにいるわよ」 「そこにって……」  声が途切れ、重い足音がソフィアの方に近付いてきた。  メーナとは違う人間の気配がソフィアの傍で止まる。目を瞑っているが、突き刺さるような鋭い視線を向けられていることは感じられた。  次の瞬間、ソフィアが聞いたことのない大声が部屋の空気を震わせた。 「一体ソフィアに何をした⁉ 俺がいるのに、彼女が座ったまま目を瞑っているなど、あるわけないだろ‼ 一体何をしたんだ、メーナ‼」 「知らせを聞いてすぐに飛び出してきました、みたいなその酷い格好……ソフィアに見せてやりたいわ!」 「お前……一体何を企んでいる?」  今度は、相手を威圧するような低くゆっくりとしたオーバルの声だった。同時に衣擦れの音がしているので、服を整えているのだろうか。  いつも冷然としている彼が、怒りを露わにしていることが信じられなかった。さらにその理由が、ソフィアを心配してなのだからなおさらだ。  ふんっと鼻息を荒げながら、メーナが言い放つ。
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