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第4話 夫からの命令
ソフィアは戸惑った。
非常に戸惑った。
何故なら、意味の分からない言い伝えで自分と結婚しなければならなくなった夫が、
何事もそつなくこなし、可もなく不可もなく、義務的に夫婦関係を続けていたはずの夫が、
自分だけが片想いをしていると思っていた夫が、
催眠術にかかったフリをしている自分の前に跪き、
「ソフィア。俺を『愛している』と言ってくれ」
などと言ってきたのだから、嬉しさよりも困惑が先に来たのは仕方のないことだろう。
だが目の前の夫が眉を潜めたため、ソフィアはひとまず理由を考えるのを止めた。
今の自分は催眠術にかかっていて、オーバルの命令に従うという設定なのだ。ならばここで何の反応も見せないとなると、不審がられてしまう。
(き、きっと、お遊び感覚で仰ったのよ。そうよ……そうに決まってるわ!)
ちょっとした気まぐれだ。
彼の発言に意味などない。
そう乱暴に決めつける。
これ以上深く考えてしまうと、感情が表に出てしまう危険を感じたからだ。
言葉に感情を乗せないよう、心を無にしながら口を開く。
「オーバル様、愛しています」
感情を表に出さないように意識したせいか、想像以上に低い声になってしまったが、この非常事態の中で、つっかえずに言えただけでも上出来だろう。
(こんな言わされた感が半端ない発言、オーバル様は嬉しくも何ともないわ。こんなものかと納得され、すぐに私を解放するは――)
「……嬉しい」
(あれで喜んでる⁉)
オーバルが、くっと声を詰まらせたかと思うと、ソフィアの手を握っていない方で口元を覆いながら双眸を閉じた。髪の隙間から見える肌が、真っ赤になっている。
初夜の時すら見せなかった夫の照れ顔を初めて見た。
演技でもお遊びでもなく、心の底から喜んでいるのだと伝わってくる。
その事実が、ますますソフィアを混乱させる。
幸いなことに、オーバルにはソフィアの混乱は伝わっていないようだ。彼は彼で、ソフィアの手の温もりを堪能するように自分の頬に押しつけながら、遠い目をしている。
(と、とにかく! とにかく今のうちに、状況を整理しなければ……!)
直接肌から伝わってくる夫の温もりに意識がいきそうになるのを何とか堪えながら、ソフィアは思考の中に沈んだ。
オーバルとソフィアの関係は、やむを得ない理由で繋がった夫婦だ。
結婚前は、一方的にソフィアが想いを寄せているだけで、例の夜会まで全く接点はなかった間柄だ
結婚後は、きちんと夫婦として必要なことはしているし、してくれている。
可もなく不可もなく、至って普通の夫婦。
メーナは義務的な夫婦だと不満そうだったが、結婚しなければならなかった理由を考えると、上等すぎる扱いだ。
夫が侯爵夫人としての役割だけを求めるなら、自分はそれに応えるだけだ。
ソフィアが抱くオーバルへの想いは、墓の下までもっていく。
そう思いながら、夫婦生活を続けていた。
なのに目の前の夫は、催眠術がかかったフリをしている自分に対し、愛していると言えと命令し、言わされた感満載の発言でも、もの凄く照れながら喜んでいる。
(今までのことを振り返ってみたけれど……結局何も分からなかったわ……)
むしろ疑問が増えて、さらに脳内がとっちらかっただけだ。
オーバルが突然立ち上がると、バッとソフィアから距離をとった。今まで温もりで包まれていた手が支えを失い、ソフィアの体の横で揺れる。
何があったのかと夫を見ると、
「……いや、こんなことは良くない。いくら俺が命令したことを覚えていないと言っても、これは……駄目だ」
先ほどの歓喜とは一変、今度は暗い表情を浮かべながら俯いた。催眠術で命令したことに、罪悪感を抱いているようだ。
だが何かに気付いたように、すぐさま顔を上げてソフィアを見る。
「……いや、覚えていないからこそ……絶好の機会なの、か……?」
(絶好の機会って、どういうこと⁉)
「俺は、メーナに試されているのか? ならどちらだ? どちらの意味で試されているんだ⁉」
(試されているって何⁉ どちらの意味って、何と何⁉)
「悪魔の誘いに乗るわけには……くっ……」
(……一体何に苦しんでいるか分からないけれど、オーバル様負けないで!)
「……たった十刻までの夢物語だ。己の欲望に忠実になることを……許そう」
(以外と簡単に堕ちたわね……)
「そうことだ。ソフィア、立って」
(どういうことか全く分かりませんけどね!)
心の中でツッコミながら、ソフィアは言われるがまま立ち上がると、オーバルが両手を広げながら言った。
「ソフィア、俺を抱きしめてくれ」
(えええええええええ⁉)
夫の過ぎる要求に、ソフィアは心の中で絶叫した。
いや実際は、抱きしめる以上のことはしている。
しているが、
(でもあれは、侯爵家を存続させるための夫婦の義務というか……)
義務だと言い訳しても、恥ずかしさがせり上がってくる。
とにかくだ。
彼の言う通りにしなければ、また不審に思われてしまう。それにこれ以上考え続ければ、顔の熱が色となって表に出てしまう。
どちらも避けねばならない。
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