あなたの決意

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あなたの決意

 ――自室に戻った後。  防音室でトレーニングをしていると、ガロンさんが私の部屋を訪ねてきた。 「ガロンさん?」 「……今、時間は大丈夫か?」  丁度、休憩しようと思っていたところだったから、全然大丈夫だ。 「はい、大丈夫です」  ガロンさんを部屋に通し、ユグに紅茶の準備をしてもらう。 「どうぞ」 「ありがとうございます、ユグ」  ソファに座り、ユグが淹れてくれた紅茶を飲みながら、ガロンさんを見る。 「……それでガロンさん、どうなさいましたか?」 「……マギリが」  ガロンさんはそこで言葉を切り、星のように輝く金の瞳をさまよわせた。  続きを何と言ったらいいのか、迷っているようだった。 「……マギリから、聞いた。聖花の香りの事をアギノから聞いた時、あなたが……とても悲しそうな顔をしていたと」 「!」  つまり、ガロンさんは心配してきてくれたらしい。 「聖花の香りの意味について、もっと早く伝えるべきだった。……すまない」 「い、いえ! そんな、謝らないでください」  ガロンさんは、何一つ悪くない。  悪いのは、聖花とちゃんとお別れができなかった、私だ。 「むしろ……、気にかけてくださり、ありがとうございます」  ガロンさんをまっすぐに見つめる。 「私、この国……魔国に来られて、とても幸せだと思っています。だから、魔国に来たことは、何一つ後悔していません。私が後悔しているのは」  聖花の輝きを思い出す。  私の演奏で、より白く輝く、薄く透き通った花びら。 「……聖花に想われていたのに、ちゃんとお別れをできなかったことです。でも、それは、私の後悔で、ガロンさんが悪いわけじゃないです」  この後悔を私は背負って生きていく。 「……アドルリアに戻るか? 別に、一時的になら帰ることも――」  ガロンさんは、私を見つめ返した。 「いいえ」  ガロンさんの言葉に首を振る。 「私の今の居場所は、ここですから」  花奏師としての仕事を私は、捨てた。  そして、アギノの世話係になった。 「聖花の香りが、少しずつ薄くなっていると、アギノも言っていました」  でも、この香りが消えても、私は聖花たちのことを忘れない。 「だからこそ、今、私は、帰るべきではないと思います」  花奏師は、私だけじゃない。  今更帰ったところで、彼女たちや聖花を戸惑わせるだけだろう。 「……そうか」  ガロンさんは、まぶしそうに瞳を細めた。 「あなたは、輝く……星のようだ」 「星、ですか?」  星なら、ガロンさんからきらきらとたくさん飛んで見える。 「……あぁ」  頷くと、ガロンさんは立ち上がった。そして、私のソファの前まで来て、その場に跪いた。 「っ! ……ガロンさん!?」  !?!?!?  いったいどうしたというのだろう。  ガロンさんは、私の手を取ると、その甲に口づけた。 「あなたの――決意に応える俺で、魔国で、あろう」 「!」  忠誠を誓う騎士のように、真摯な瞳で、私を見上げる。  ぶわり、と体中を熱が走る。  唇が触れたのは、手の甲だけなのに。  体全体が、触れられたかのように、熱い。 何と言ったらいいかわからず、ぱくぱくと口を開けたり、閉じたりする。  それで、結局、言葉になったのは。 「……ありがとう、ございます」  小さな、感謝の言葉だけだった。  ガロンさんは、その言葉に、微笑むと、立ち上がった。  握られていた手が……離される。  離された手を思わず、視線で追ってしまった。 「……そんな顔をするな」  困ったように、何かを抑えるように。眉を下げて、ガロンさんは、私の頭に手を置いた。  そして、くしゃりと撫でられる。  ……私、どんな顔をしていたんだろう。 「もうじき、日が暮れるな」  そういわれて、窓の外を見ると、夕日が沈むところだった。  もうそんな時間だったのね。  夢中でトレーニングしていたから、全く気付かなかった。 「……夜になると」  ガロンさんは遠くを眺めながら、言葉を続ける。 「特に感傷的になりやすい。だから……」  そういって、右手を差し出された。  なんだろう。  疑問に思いつつも、差し出された右手から転がされた、袋型の何かを受け取る。 「? これは?」 「サシェだ。あなたが安眠できるように、まじないをかけてある」  確かに、サシェからはいい香りがした。 「……ありがとうございます」 「……あぁ。おやすみ、ラファリア」 「おやすみなさい、ガロンさん」 「どうか、良い夢を」  そういって、もう一度、私の頭を柔らかく撫でると、去っていった。  サシェの香りをかぐ。  ほのかに、甘いその香りにやさしい気持ちになった。  毎晩、枕元に置いたら、悪夢も見ずにぐっすり眠れそうだ。  気にかけてくれる、ガロンさん。  私を気に入ってくれているアギノ。  支えてくれるユグたち。  みんなこの国でできた、大切なひとたち。  サシェの香りを感じながら、私は落ちていく夕日を眺めていた。
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