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過去の話
「大丈夫?」
幼いあなたが、王城の一画で転んだ私に手を差し出した。
——夢を、見ている。
そうとわかるのは、これが過去に起きた出来事だから。
幼い頃から、花奏師になりたかった私は、父に頼み込んで、父と共に登城していた。
そして、窓から見える、聖花たちに見惚れているうちに、父とはぐれてしまい、慌てて走り出したときに転んでしまったのだ。
「は、い……ありがとう、ございます」
差し出された手を取り、体を起こす。そこで、私はようやく、起こしてくれた相手が誰かに思い至った。
真っ赤な髪に、朝焼け色の瞳。
そんな姿持つ人は、一人しかいない。
「申し訳ございません」
慌てて距離を取ろうとして、さらによろめいた。
レガレス殿下は、そんな私を支えると微笑んだ。
「構わない。君が、怪我をしないことの方が重要だ」
……なんて、優しいんだろう。
「ところで、君は……見たことがない顔だけれど、なぜ、この城へ?」
「それは……聖花が見たかったのです」
私がそう言うと、あぁ、とレガレス殿下は頷いた。
「それなら、もっと間近で見るといいよ」
そう言って、手を引かれた。
「!?」
突然のことに驚きつつ、心臓が早鐘のように大きな音を立てていることを聞かれないことを願っているうちに、中庭についてしまった。
「ほら、聖花だよ」
花壇の前で立ち止まり、レガレス殿下がこちらを見る。
「……わ、ぁ」
憧れが、そこにあった。
銀白の花弁は薄く透き通っていて、葉は朝露に濡れて瑞々しく輝いていた。
もっと。もっと、この光景を見ていたい。
この景色を瞳に焼き付けたいのに。
気づけば、世界が滲み、熱い雫となって溢れた。
「君は、花奏師になりたいの?」
私の涙を拭ってくれたレガレス殿下に、大きく頷く。
「そっか。……じゃあ、君は花奏師見習いだ」
「そうですね」
見習い。その言葉で、憧れの花奏師に近づけた気がして、嬉しくて思わず微笑む。
「!」
「……殿下?」
すると、なぜかレガレス殿下は息を呑んだ。そして、ぱちぱちと瞬きした後、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「だったらさ——演奏してみようよ。今、ここで」
「ええっ!?」
さすがに、それはどうだろう。
私は花奏師じゃないし、それに今楽器も持ってない。
それに。
「それに、私の演奏で、聖花が枯れたら……」
聖花の栄養は、花奏師の演奏だ。枯れるなんてことは、よっぽど聖花の機嫌を損ねることがない限り、起こらないと言われているけれど。
それでも……。
「大丈夫だよ。私が許可を出した。それにこの花壇にあるのは一輪だけだし。それとも、自信がない?」
自信がない。
その言葉は、私の闘争心に火をつけた。
「いいえ。やります」
私は、息を吸い込んだ。聖花以外の植えられた花の甘い香りがする。
初めは、小さく。徐々に大きく。一節一節、丁寧に、歌う。
歌ったのは、一番好きだけれど、とても古い曲だ。
派手さはないけれど、その分、基礎がしっかりしていないと、あまり、綺麗に聞こえない曲。
ここに楽器はないから、私の全身が楽器の代わりだ。
聖花がもっともっと咲き誇りますように。
アドルリア王国が、ずっと繁栄しますように。
そう願いを込めて、歌い終わって、息を吐く。
聖花にこの想いは伝わったかしら。
そう思い、聖花を見ると——。
「!!!!!」
先ほどよりも一層、輝いて見えた。
「聖花が——!」
興奮して思わずレガレス殿下の方を見ると、レガレス殿下はとびきりの笑みを浮かべていた。
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