3人が本棚に入れています
本棚に追加
5.再会
「なにしてるの?」
不意に声をかけられ、男は顔を上げた。自分がいつの間にか視線を落とし、両膝の上に手をついていたことに気づく。
同じ目の高さで少年が立っていた。訊き方と声の抑揚が姉によく似ていた。手の力が緩む。
「おまえを待っていたんだ」
答えると少年が瞬きをした。
「ずっと待ってたの?」
「ずっと待っていた」
多分、五年。会えればいいと、どこかで思っていた。
「上がってくればよかったのに」
あっさりと少年が言う。
「そうだな」
自分から、会いに行けば良かった。
「手」
男は右手を少年の前に差し出す。
「手?」
少年は出された手と男を交互に見て聞き返す。
「じいさんの田舎で、俺の後をついて来ただろう。あの時、手を引いてやれば良かったと思っていた。だから」
「今? おれ、もう十四歳だけど」
男の意図を理解して、少年が瞳を揺らす。
「知っている。何か問題があるのか」
男は真面目に訊き返した。
少年は迷い、一度視線を外してから再び男の手のひらを見て、自分の左手を軽く重ねた。
「……ない」
男は少年の手を片手で包むようにすると、ガードパイプから立ち上がった。少年が思っていたよりも、男の背は随分と高かった。同じ高さにあった目線が30センチ近くずれる。
「ここから25分、歩く」
そう言って男は少年の手を引いて歩き出した。少年はそれについて歩く。
あの夏の日、前を歩く男の空の手を、にぎってみたいと思っていた。だいじなものをなにも持っていない人に見えたから。
今は、泣きたい気持ちになった。だいじなものの中に自分を入れてもらえたような気がした。
どこに進めばいいかわからないでいた。ほんの少しだけ、心を助けてもらいたかった。だから会いにきた。
今日の男は上着だけが黒色だった。それでも少年にとって男は今も、道を知らす黒い星だった。
男はなにも訊かなかった。少年が会いにきた理由や胸のうちを。
それでよかった。少年のふさぐ心を知らず、ただそこにいてくれるだけでよかった。遠い星のように。
手を引かれながら、そのままでいてほしいと願った。
最初のコメントを投稿しよう!