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「ルシアン、いるか?」
突然現れた来訪者に血の気が引く。
「兄上……どうして……」
「その声はルシアンで間違いないな。逃げ出してんじゃねーよ。手間かけさせやがって」
どうして僕の前に現れたんだ。今まで何の音沙汰もなかったのに……。
「誰? そいつ」
訝しげな顔でエミール様の方を見ながら問いかけてきた。
「お前こそ誰なんだ? 突然やってきて」
「エミール様、すみません。兄です。こちらは友人のエミール様です」
「ふーん、友人ね」
値踏みするように全身を見た兄は、そのお眼鏡にかなったのか「これは失礼致しました」と柔和な笑みを浮かべた。
「弟がお世話になりまして。是非、今度お礼を兼ねて我が家でお食事でもいかがですか? 姉にもお会いして頂きたい」
「あいにく仕事が立て込んでおりまして」
「まぁ、そう仰らず」
「申し訳ありませんが」
なおもしつこく食い下がる兄に、エミール様は痺れを切らしたのか「貴方がたと食事をする気はない」ときっぱり言い放った。
「左様でございますか」
兄は表面上笑顔だった。でも、怒っているのが分かる。嫌な汗が背中を流れた。エミール様に何かをするとは考えにくいが、一刻も早く兄から遠ざけたい。
「エミール様。今日は兄と久しぶりに会ったので」
帰ってほしいと匂わせると、その意を汲んでくれたのか「そうだな。気が利かずすまない」と言って立ち上がってくれた。
「いえ、お気をつけて」
いつもはこのまま転移するのだが、今日は扉から外へ出ていってくれてホッと胸を撫で下ろした。
「なんなんだ、あいつ」
背中に兄の低い声が響いた。
「俺達を蔑ろにしやがって」
「忙しい方なので。どうしてここへ……?」
「話があってきたんだけどさー」
振り返った僕の右頬に兄の拳が飛んできた。衝撃でよろけた僕のお腹を容赦なく兄は殴りつけた。
「やっぱ、やめた。イライラする。戻せ」
「……?」
「術を解けって言ってんだよ。お前のきれいな顔が苦痛に歪んでるところを俺は見たいんだからさー」
言われるがままに術を解いた僕の頬を殴りつけた。
「探したんだけど。母上がせっかく見つけた仕事さ、なに辞めてんの?」
「うっ……」
「あぁー、他人の客を寝取ってクビになったんだろ? お前の母親と同じで人のものを盗るの得意だもんなー?」
「ちが……っ……」
何度も顔と体を殴られて痛みで立っていられなくなり蹲ると、手が痛くなったのか僕の体を蹴り出した。
「いや、お前のほうが上か。母親の男すら盗っちまうんだもんな」
口の中に血の味が広がって、視界がぼやけてくる。それでもやめてなんてことは決して口に出してはいけない。兄の気が済むまで、耐え続けないといけない。ぐいっと髪を引っ張られて顔をあげさせられた。
「きれいな顔が台無しだな。いい気味」
そのまま地面に顔を打ち付けるように振り下ろされて、顔面を強打した。でも、もう痛いのか何なのかよく分からない。
「はぁ。また来るわ」
もう一蹴りくらって、扉が乱暴に開閉する音が聞こえた。やっと帰ってくれた。流石に痛くて動くことができない。仕方がないのだ。兄の機嫌を損ねたのだから。
ずっと会っていなかったから油断していた。もうエミール様にここへは来ないで欲しいと言わなければならない。エミール様に危害が及ぶ可能性がないとも言い切れない。それだけは何としても防がないといけない。エミール様は僕にとって大切な人だから。ネックレスをギュッと握りしめて静かに目を閉じると涙が零れ落ちた。
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