過去

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 父に初めて会ったのは何歳くらいの時だったのだろう。母の後ろに隠れる僕に向かって「初めまして、僕は君のお父さんなんだよ」と優しく微笑みながら挨拶をしてくれた。ずっと母と2人だった僕は、突然現れた父という存在に少し戸惑ったのを覚えている。  父がやってくるようになって暮らしは一変した。小さな平屋だった住まいは大きな2階建ての屋敷に変わり、絵本やおもちゃをたくさん買ってもらえるようになった。父が来ると母の表情が曇る事、なぜ一緒に暮らさないのかがとても不思議だった。前に住んでいた頃の方が楽しかったのにといつも思っていた。  成長するにつれて、母は愛人という存在なんだということに気づき始めた。そして、恐らく母は父の事を愛していないのではないかと思うようになった。それならば母のあの表情にも納得がいく。でも、僕にはどうする事も出来なくて、もどかしい日々を送っていた。  母が病気になってから息を引き取るまではあっという間だった気がする。中等部に通いながら、母の病室を訪れて宿題をしたり魔法の練習をしたりしていた。父は母が入院してからも変わらずに僕の家にやってきた。その内に父と出かける機会が増えるようになった。観劇や食事、買い物など……。寂しい思いをしているのではないかと父は気遣うように言ったけれど、僕はできるだけ母と過ごしたいと何度も訴えた。母の命はもう長くないのだからと。その頃からだろうか。お前は本当に美しいと言うようになり、父の僕を見る目が怖いと感じるようになったのは。  母が亡くなり、僕は父に引き取られた。僕の予想通り、母は愛人だった。本妻である義母と姉兄。当然のことながら受け入れられるはずもなく、義母は何かと理由をつけて僕を鞭で打った。姉は僕をいないものかのように徹底的に無視し、兄は気に入らないことがあると暴力をふるった。仕方がないと思った。だって、僕は裏切りの象徴なのだから。  父は相変わらず僕を連れ出した。それが義母の憎悪を増長させていると分かっていても、腰に手を回されたり頬に触れられたりすることが気持ち悪くても、この人に捨てられたらどうやって生きていけばいいんだろうという恐怖が付きまとい、我慢するしかなかった。  中等部卒業目前で、僕は家を追い出されて、娼館に入れられた。僕と父の関係が普通じゃないと噂されるようになってから、父は他の人を囲うようになった。それが大きな理由だったと思う。と言っても、客を取るようなことはしない。それはもっと先のことだと館主は言った。僕はNo.2の地位にいたジュール様の周りの世話をしながら下働きをしていた。  その店は食事をした後に一夜をともにするというシステムで、配膳をしていた時、ジュール様の上客に気に入られた。その人は僕を隣に座らせて食事をすることもあった。お前は美しいから気をつけたほうがいい。いつもジュール様はそう忠告してくれていた。  その日も例のお客さんが来ていた。二人きりになるということはよくあったから、お酒を持って彼の近くに寄った。ソファに座り、注ごうとした僕の手を彼が取った。次の瞬間押し倒された。あっという間の出来事だった。覆いかぶさり口を押さえつけられて、彼は僕に触ろうとした。何とか逃れようとして足をバタバタと動かすと「お前は黙って足を広げればいいんだ、すぐによくしてやるから」そう言って服の中に手を入れられた。あんなにも忠告されていたのに。僕の油断が招いた事だった。寸前のところで部屋に入ってきたジュール様に助け出された。  彼は出入り禁止となり、僕はまた同じようなことがあっては困ると店を追い出されることになった。店を出る前に、ジュール様はここを訪ねてみたらいいと言って紙を手渡してくれた。そして、お金も持たせてくれた。彼はこの世界にいる人にしては珍しく、いつも穏やかで優しくて見た目の美しさはさることながら心がとてもきれいで、僕の憧れの人だった。
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