やってきたのは

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やってきたのは

「もうこれは食べごろかな」  今日は自宅の片隅にある畑で一から育てている野菜たちを収穫している。近所のおばあさんがくれた苗を植えてみたらすくすくと育ってくれたのだ。 「大きく育ってくれて、ありがとうね」  水やりをして、家に入りふうっと一息ついた。今日は先生からの呼び出しもなさそうだし、釣りに行こうかな。近所のおじいさんに川釣りがおすすめだよと教えてもらってから嵌っているのだ。手作りの釣り竿を手にしかけた時に、扉をノックする音が聞こえた。 「はーい」  扉を開けると背の高い男の人が立っていた。郵便配達のお兄さんとは違うな。栗色の前髪から覗く瞳の色が透き通るような水色でとてもきれい。その瞳に吸い込まれそうになっていると「君がルシアンさん?」と尋ねられた。 「はい、そうですが?」 「違うか……」 「どちら様ですか?」 「すまない、私はフェ……」 「フェ?」 「……」  なぜだか思案する顔つきになった後、咳払いをして「フェ……リクス様の側近をしているエミールだ」と名乗った。 「フェリクス様……」  フェリクス様? フェリクス様ってあのフェリクス様!? 「第二王子の?」 「そうだが」 「えぇ!? そんな方が僕に何のご用なのでしょうか?」  どうして第二王子の側近をしている方がこんなところに? 「確認したいことがあった」 「確認ですか?」 「なぜ来なかった?」  来なかった? 何かあっただろうか? うーんと頭を悩ませていると「舞踏会」という回答を投げかけられた。 「……あぁ、舞踏会ね。って、みんなに確認してるんですか?」 「君だけだ」 「ん?」 「来なかったのは君だけだ」  欠席は僕だけ。さすが第二王子、大人気だ。 「そうでしたか」 「なぜ?」 「はい?」 「なぜ来なかったのだ?」  これは正直に言ってもいいのか? 興味ありませんでしたとか面倒くさかったからですとか言って不敬罪とかにならない? 罰せられたりしないだろうか。うーん、どうしたものか。 「正直に言っても罰せられたりしませんか?」 「しないが」  それなら大丈夫だな。ストレートに「興味がなかったので」と答えた。 「興味がない?」 「ああいった場が苦手というのもありますし、もし、ありえませんけど、第二王子様に見初められたりしたら嫌だし」  しまった。つい口が滑って嫌とか言っちゃった。ちょっと顔がひくついたぞ。まずい。 「フェリクス様と婚約などしたくないと」  「えーっと、荷が重いと言いますか。第二王子様は立派で素敵な方だと思いますよ? でも、王室に入るなど……嫌だと思うのが普通じゃないですか?」 「皆、婚約者の座を狙っていたが」 「そうですよね。……そうなんですか?」  いやいや、そんなことないのでは? だって堅苦しそうだしさ、何か絶対に教育とかあるんでしょ? めちゃくちゃ面倒くさそう。   「ふっ」 「何です?」 「初めて言われたなと思って」 「初めて?」 「王室に入るのは嫌だと」   「そうですかね?」 「まぁ、王妃にはなれないが、それなりに権力を持つことはできるわけだから、婚約したいという者ばかりなのに」 「権力とかいらないんで」 「そうか」 「僕は今の暮らしに満足していますし」 「ここでの暮らしに?」  グルリと部屋を見回した彼が不思議そうな顔をした。そりゃ分からないだろう。両親も姉兄もより良い家柄と繋がるために必死な人達も、僕のことを変な目で見てくる人もここにはいない。みんな親切にしてくれるし、ここはいいところだ。 「それは気になるな」 「へ?」 「君が満足しているという暮らしに興味がある」 「いやいや、お偉い方とは思考回路が違いますし」 「偉いとかそんなの関係ない。同じ人間だ」 「まぁ、そうですけど」  たぶん全然違う暮らしをしているだろうから新鮮に見えるのかもしれない。 「普段は何をしてるんだ?」 「何と言われましても」 「これは何だ?」  立てかけてあった釣り竿を手にした彼が首を傾げている。釣りなんてしないか。 「それは釣り竿です。魚を釣るんです」 「これで魚を?」 「この針に餌を付けて」 「へー、面白そうだ」 「えぇ、面白いですよ」 「今日はやらないのか?」 「やろうと思ってましたよ?」 「俺も行きたい!」  彼の目が輝き始めた。初めて与えられたおもちゃに興奮する子供みたいだ。 「大丈夫なんですか? お仕事とか」 「大丈夫大丈夫。エミールが何とかしてくれる」 「あなたがエミール様ですよね?」  一瞬間が空いたあと「明日のエミールが」と彼が言った。 「ふふ。何ですか、それ」  思わず笑ってしまうと彼も頭を掻きながら笑った。
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