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人攫い
旅行から数週間が過ぎた。相変わらず毎晩求めてくるフェリクス様のおかげで絶賛寝不足の日々を送っている。かと言って何もしないわけにもいかず、今日も屋敷をウロウロと徘徊する。
「あれ、買い物に行くの?」
ギクリとしたアンナさんが「えぇ、まぁ……」と言葉を濁した。
「僕が行ってこようか?」
「ダメですよ、ルシアン様。おとなしくしていてくださいませ」
「だって何もしないわけにはいかないでしょう?」
「何もしなくていいんです。大旦那様も仰っしゃられていたでしょう? ルシアン様はのんびりしていればいいと」
「そんなのダメだよ。みんな僕に甘すぎるんだ」
「そうです。甘やかすくらいがちょうどいいのです」
「ダメダメ。いいでしょ、買い物くらい? 草むしりも終わったしさ」
「まぁ、また! 隠れてそんなことを」
「いいじゃん」
「また、シルヴァンが卒倒しますよ」
シルヴァンというのは庭師で、庭の事を教えてもらっているのだが、とにかく心配性な人なのだ。ちょっと泥がついただけなのに「お召し物がー!! 」と言って青ざめたりするから全く作業が進まなかったりする。でも、知識もすごいし優しいから大好きな人だ。
「あはは。秘密にしておいてね」
「はぁ……。今日は先生のところには行かなくてもよろしいのですか?」
「うん、先生忙しそうだし。それに先生のところへ頻繁に行くとフェリクス様の機嫌が最悪になるから」
「出歩くのもいい顔をされてませんでしたよ?」
「うーん、まぁそうなんだけど」
襲われた一件があってから、一人で出かけることに物凄く心配をされるようになった。
「この辺りなら大丈夫でしょ」
「しかし……最近物騒な事件も起きていますし」
「事件……?」
「人攫いです。何人か行方不明になってるようですが、まだ犯人は捕まっていないとか」
「そう、それは心配だ」
「ルシアン様はよく知らない人に声をかけられますからね」
「いや……そんなしょっちゅうじゃないし。僕は大丈夫だよ」
「もう。全然諦めませんね」
「うん。ごめんね?」
「仕方ありませんね。知らない人には絶対について行っちゃいけませんよ」
「分かってるって」
「こちら、買い物のメモです」
「よし、ありがとう!」
「はぁ……旦那様に知られないようにしないと」
鞄とメモを手にして、変化も完了させた。
「じゃあ、いってきまーす」
「いってらっしゃいませ。お気をつけて」
手を振って屋敷を出た。坂道を下って商店街へと到着した。買い物を済ませて、誘惑の通りを歩いていると辺りを見回している老婦人の姿が見えた。何処か探しているのだろうか。
「あの、どうされました?」
話を聞くと友人の家に行こうとして道に迷ってしまったらしい。
「ご案内しますよ」
「ご親切にどうもありがとう」
「いえいえ」
恐縮する婦人に安心してもらおうと笑顔を見せた。探している場所はこのあたりのはずなんだけど。
「あっ、ご婦人。そちらは違いますよ」
角を勝手に曲がっていく婦人のあとを追いかけると立ち止まる彼女に追いついた。
「お探しの場所はあちらですよ」
「いいえ、ここで合っていますよ」
「え……」
ふわりと甘い香りがしたあとに力が入らなくなって膝から崩れ落ちた。
「ご親切にどうもありがとう」
老婦人ではない別人の声が聞こえたあとに、意識がなくなった。
◆◆◆
「――ん?」
「目が覚めたかい? 急に起き上がらないほうがいいよ」
目を開けると石造りの狭い部屋の中に横たわっていた。
「あなたは?」
ゆっくりと起き上がり膝を抱えて座る少年に問いかけた。金色の髪がとても美しく、深い緑色の瞳が印象的だ。
「君と同じ。捕まってしまった」
「捕まった……」
人攫い……まさか、僕が遭遇してしまうとは。これは、まずい。
「見張りの人とかいないのかな?」
鉄製の頑丈そうな扉の外からは人の気配がしない。
「いないと思う。この部屋は特殊だから逃げられないと踏んでいるんじゃないかな」
「特殊?」
「魔法が使えなくなっているし、何か特殊な術がかけられている」
「そうなの?」
「だって、こんなところ普通なら簡単に抜け出せるし」
「魔法使えるんだね」
「君もでしょ? だからここに入れられている」
「なるほど……」
特殊な術か。うーん、これは機能しているのかな。ネックレスに手を触れて、大丈夫かと思い直す。彼はどんな状況でも僕を見つけてくれるという確信めいたものがある。
「ふぅ、お腹すいたな」
「え?」
よかった、鞄はそのままある。中を漁り、焼き菓子を取り出した。
「食べるの?」
「うん。食べる?」
「僕たち捕まっているんだけど」
「そうだね」
口を開けて齧りついた。何となくではあるが、すぐにどうこうされるという事はない気がする。
「危機感とか恐怖心とかないの?」
「うーん、あるにはあるんだけど。お腹が空いているといい考えも浮かばない気がするし……。それに」
「それに?」
「助けに来てくれるはずだから」
「助けに? 誰が?」
「王子様」
「王子様!?」
「うん、僕の王子様。あっ、すごくかっこいいんだけど好きにならないでね? 彼は僕のものだから」
きちんと牽制しておかないと。こんなに美しい子がライバルなんてことになったら大変だ。
「うーん、美味しい」
さて、どうしたものかな。入口はひとつしかないし、窓もなさそうだ。魔法は使えないと言っていたけれど、変化は解けていないんだよな。どういう事なんだろう? またパクリと齧り付いて隣を伺うと、ポカンと開いた口が緩んでクスクスと笑いだした。
「何か気が抜けちゃったよ」
「うわ、笑った顔可愛いね」
「え……そんなこと初めて言われた」
「そうなの? 食べる?」
「えっと」
「大丈夫だよ。普通のお菓子だから」
「え?」
「警戒してるように見えたから」
「そうか。1つもらってもいい?」
「うん、どうぞ」
彼が手にしたものを口に運んで、小さく齧りついた。
「うん、美味しい」
「でしょ? まだあるからね!」
「君は不思議な人だね」
「ん?」
「なんでもない」
「僕は買い物の途中だったんだけど、あなたは?」
「旅の途中で」
「そうだったの。それは災難だったね」
「君もね」
「あはは、そうだね」
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