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ベッドから抜け出し帰り支度をしていると、扉をノックする音が聞こえた。
「誰でしょう?」
「俺が出る」
扉を開けたフェリクス様が驚いた声を出した。
「突然ごめんなさいね、フェリクス閣下」
「いえ、どうされましたか? フォスティーヌ殿下」
体調が悪そうだった女性? 殿下と言っていたけれど……。彼女が僕の方を見て「お礼と話があって参りました」と告げた。
「どうぞ、中へ」
「ありがとう」
ソファに座って対峙すると彼女が頭を下げた。
「助けを呼んでくれてありがとう」
「いえ、頭をお上げください」
顔を上げた彼女と目があった。深い緑色の瞳……この方、シリル殿下の妹君ではないか! あの日は緊張しすぎていて正直ちゃんとお顔を拝見していなかった。僕ってどうしていつもこうなんだ。
「私には少し特殊な力があって、あの日もそのせいで気分を悪くしていたの」
「そうでしたか」
「城の皆は分かっているからいつもの事だと思って声をかけられる事はない。だから驚いたし、嬉しかった。おかげで早く回復できたわ。本当にありがとう」
「いえ、そんな」
「それでね、会場に戻ったら気になることがあったの。気になる人がいたと言ったほうがいいかしら」
「気になる人?」
「噴水の方を気にしている様だった」
ドキリとした。それは、僕を押した人なのか。それとも、ただ単に噴水を見ていただけなのか。
「だからね、少し力を使った。そうしたら、驚くことが分かったの」
「あの……」
「あなたは自分で落ちたんじゃない。押されたから落ちた。そうでしょう?」
どんな力なのか分からない。でも、確証を得ている。そんな言い方だった。
「ルシアン、どういう事だ?」
「いえ、僕は」
「おかしいと思ったの。足を滑らせて落ちたなんて」
「どうしてルシアンが? どこの誰なのですか?」
怒りを滲ませた声でフェリクス様が問いつめた。フォスティーヌ殿下は僕を真っ直ぐに見つめてため息をついた。
「理由は嫉妬ね。兄のせいよ。犯人には私からきつく言っておいたから」
「しかし」
「この子が知ることを望んでいないもの。当然、謝罪も」
「ルシアン、そのせいで体調を崩したのだぞ。それに、打ち所が悪ければ命を落としていたかもしれない」
「でも、体調は回復したし、僕は生きてる。本当に気にしてませんから。あと、不快な思いをさせて申し訳ございませんでしたとそう伝えてください」
「どういう思考回路? 本音なのかしら?」
フォスティーヌ殿下が理解できないと言った顔をして首を傾げた。
「もっと酷い目にあったことがあるので、それに比べたらこんな事別に……」
真っ直ぐに目を見つめられて、思わず逸らしてしまった。
「でも、怖くて悲しかったでしょう? 」
心の奥を見透かされているようだった。あの時の感情が思い出されて目尻に涙が浮かんだ。
「その気持ちを無理やりなかった事にするのはおすすめしないわ。そんなことをしていたら壊れてしまう。まぁ、隣の方が何をしでかすか分からないから言いにくいかもしれませんけど」
チラリとフェリクス様の方を見てまた僕の方を見た。
「これからもきっとあなたは理不尽な目に合うと思います。よくも悪くも目立ちますからね。その時は抱え込まずに話したほうがいいわ」
フォスティーヌ殿下の言葉がじんわりと胸の中に広がっていった。今までずっとひとりでなんとかしてきた。
「今は違うでしょう? 隣に信頼できるパートナーがいるのだから」
ハッとして涙が溢れた。堪らえようとしても抑えられなくて何度も何度も目元を拭った。隣にいるフェリクス様がそっと肩を抱いてくれた。
「この子は抱え込む癖があるようだから、注意して見てあげた方がいいと思うわ」
「はい、ありがとうございます」
「いいのよ。こんなに心がきれいな子なかなかいないから壊れてしまわないか気になっただけよ。ルシアン?」
「はい」
「彼に言いにくかったら私に言いなさい? 彼よりはマイルドに罰を下して差し上げますから」
にっこり微笑みながら怖いことを言うところに血筋を感じた。
「ありがとうございます。フォスティーヌ殿下」
「私の前で隠し事はできませんからね?」
きっと殿下は人の心が読めるのだろう。僕の心は見事に読まれていたのだから。
「そうですね」
そう言って笑うと殿下も優しく微笑んでくれた。
「あぁ、そうそう。最後に兄に会ってやって下さいな。きつく叱っておきましたから、おかしなことはしないでしょう」
「はい、是非」
「本当に馬鹿な兄を持つと大変ですわ」
ふぅっと息を吐く殿下が面白くて、つい笑みが溢れた。
「それじゃ、時間を取らせて悪かったわ。ルシアン、本当にありがとう。つらい思いをさせてしまってごめんなさいね」
「いえ」
「またお話しましょう」
優雅な足取りで出ていく殿下を見送ると、視線を感じた。
「あの……黙っていてごめんなさい」
「はぁ、もういい」
「これからは話すようにするから」
「うん。つらい思いをさせて悪かった。それに気付く事も出来ずに」
「フェリクス様が謝ることない」
手を広げるフェリクス様の胸に飛び込んで抱きしめてもらった。世界で一番安心できるこの場所。何があっても彼が隣にいてくれれば大丈夫だと思える。
「帰ろうか。俺たちの家に」
「そうだね、帰ろう」
顔を上げると彼が僕を優しく見つめていた。愛しいその人にそっと顔を近づけて唇を重ねた。
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