ぼくらの黒歴史

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 どうどうと濁った水が勢いよく流れる音が、森の中に響いていた。前日までの大雨で足元はぬかるんでいて、アキラは泥に足を取られて崖の下へ落ちていった。川の中に落ちた音すらわからないほど流れが早く、アキラの姿は弄ばれるおもちゃのようにくるくると回りながら見えなくなった。あっという間のできごとだった。  ♦︎♦︎♦︎  アキラ、ケン、サラ、ぼくの四人は幼馴染だ。男子三人に女子一人というバランスの悪さだが、家が近所のぼくらは幼い頃から一緒に遊んでいて、四人でいるのが当たり前だった。田畑の広がる光景もまた当たり前で、家から数分も歩けば緑が生い茂る森があり、そこがぼくらの遊び場になっていた。もう使われていない小屋を秘密基地として、カードゲームや漫画を持ち込んでは(たむろ)する毎日。すぐ近くには崖があり、下には川が流れている。小屋を見つけた当時、ぼくらはすぐにそこを秘密基地にしようと盛り上がったが、大人たちには危ないと注意されるだろうと文字通り四人の秘密にした。古いとはいえ屋根も壁もしっかり備わっている秘密基地は風雨にも耐えられるし、夏場は窓を開ければ風が通って気持ちが良かった。大人になってもここに集まろうなんて子どもらしい約束もした。それが四人の仲間としての絆を深める秘密になっていたと思う。  二学年が一つの教室で一緒に授業を受けるくらい子どもの人数が少ない田舎町の小学校で、サラは男子から人気があった。といっても子どもの好意の向け方は少々ひねくれている。好きな子にちょっかいを出したくなる、というやつで、たびたび上級生の男子にからかわれていた。時にはサラが泣いてしまうこともあり――さすがにそういうときは狼狽えていたが――幼馴染のぼくらは彼からサラを守ろうとして口喧嘩をふっかけたものだった。  やがて中学生になり、ぼくらはしっかりと男女が区別された制服を身につけるようになった。今のように女子にスラックスの選択肢があるわけではなかったのだ。風であおられるスカートとか、ブラウスから透ける下着に何度もドキドキした。それはサラに対しても同じで、彼女だけがぼくら四人の中で異なる性別なのだということを強く認識させられた。それでも四人の仲に大きな変化はなく、学校帰りや休日に秘密基地に集まってはくだらないことで笑ったり、宿題や試験勉強なんかもした。ずっとこんなふうに四人で過ごせたら楽しいだろうなと思っていた。  けれど、ある日それは崩れ去る。もとより男子三人に女子一人のバランスの悪さだったのだ。それはいとも簡単なこと。    アキラがサラを好きになった。    彼女がいないタイミングを見計らい、アキラはぼくとケンに恋心を打ち明けた。それはぼくにとって大きな衝撃で、心臓が急に大きくなったのかと思うくらい強く、速く、鼓動したのを覚えている。それから嫌な汗をかき、妙な息苦しさがあった。どうしてアキラがサラを好きになるんだと戸惑いを感じたその瞬間に、自身のサラへの恋心も理解した。  アキラの唐突な打ち明け話に、それによってもたらされた自覚。恋心に気づいたのも、仲間に話したのもアキラが早かった。先を越された焦りが急に沸き起こり、ぼくも彼女を好きだと言えないでいるうちにケンが「アキラを応援する」と口を開いたものだから、結局言い出せないままに二人でアキラを応援する方向で話が終わってしまった。  それからぼくとケンは、なにかと理由をつけてはアキラとサラを二人きりにしてあげた。たとえば先生からの頼まれごとを片付けねばならないからと嘘をついて二人を先に帰し、校門を抜けるその背を窓からこっそりと見送った。夕暮れに染まる校庭を歩くアキラとサラは楽しそうに笑っていた。アキラがふざけているのか、サラが彼の二の腕のあたりを小突く。時折長く伸びた二つの影がじゃれ合うように重なって、はたから見たらまるで恋人同士のようだ。隣にいるのがどうして自分じゃあないんだろうと思ったが、それは先に言ったもの勝ち。ぼくにその権利は当然ないのだ。見ているのは辛かったけれど笑い合う彼らから目を離すこともできず、ぼくはケンに悟られないように「アキラ、嬉しそうだね」と言った。  中学二年の夏、ぼくとケンはアキラに秘密基地に呼び出された。梅雨に入った森の中は湿り気を帯びて蒸し暑く、前日までの大雨で増水した川の流れる音が秘密基地まで聞こえていた。サラがいないことに嫌な予感がしていたがそれは的中し、額の汗を拭いながらやってきたアキラはぼくらに彼女へ告白しようと思っていると話した。日にちは七月のサラの誕生日。どこでどんなふうにどんな言葉で告白しようかと語るアキラは頬を上気させ、初めての経験に緊張している様子だったが、同じくらいに未来への希望に満ちていて、その表情は眩しかった。  そしてぼくは、そんなアキラが憎らしかった。  ひととおりの相談を終え、ぼくらは三人で秘密基地を出た。アキラはずっと興奮した様子で話している。ケンが「足元気をつけろよ、すべるから」と注意した。アキラが「うわぁ泥まみれだ」と片足を上げて靴の汚れを確認していたから、ぼくは彼の肩の辺りを押した。  ♦︎♦︎♦︎  アキラは崖から足をすべらせて川に落ちて死んだ。  ――事故、ということになった。  それはぼくとケンが証言していたし、崖の上にはアキラの靴底がずるりとすべったような跡もあった。警察も含めて誰もぼくらの言うことを疑わなかった。    アキラの葬式で、サラは涙を流していた。彼女がアキラに対して友だち以上の感情を抱いていたのかはわからない。ぼくとケンはとにかく彼女を慰めた。それくらいしか、するべきこともわからなかった。  これで秘密基地のことがバレてしまい、もう行くなと大人たちから釘を刺されたが、それで良かったと思う。四人の思い出がたくさんある場所だ。サラはアキラを思い出して辛くなるだろうし、ぼくとケンもあの日のことを二人だけの秘密にしておきたかったから。これは墓場まで持っていかなければならないこと。誰にも知られてはならないこと。一生ものの秘密を抱えるのは辛かったけれど、捕まって罪を問われる恐怖のほうが大きかった。  あのとき、我に帰って慌てるぼくを宥めてくれたのはケンだ。事故ということにしよう、二人の秘密にしようと申し出てくれたのもケンだ。なぜケンはぼくを咎めなかったのだろう。ぼくのサラへの想いに気づいたのだろうか。それとも、幼馴染を殺人犯にしたくなかったのだろうか。  ケンの真意を測りかねたが、わざわざあの日のことを話題に出すのが嫌で聞かないままに時が過ぎた。  幼馴染が一人減ってもぼくらの仲が疎遠になることはなかったが、高校を卒業し、ついにぼくらはバラバラになった。ぼくとサラは県内の専門学校へ進学したが、ケンは県外の大学に行ってしまった。ケンの引越し当日、駅で彼を見送りながら「寂しいね」とサラが言ったから、ぼくは「ずっとそばにいるよ」と言ってみた。彼女が微笑むと目尻から涙が零れ落ちた。この笑顔も涙も、ぼくが一番近くで見ていられたらいいのにと、ぼくは相変わらずサラへの想いを募らせていた。  恋敵がいなくなったのだから告白すれば良かったのかもしれない。けれど、あのときアキラの肩を押した感触がいまだに残っていて、なんだかそれがぼくを引き留めていた。  しかし、嬉しいやら困るやら、ぼくとサラの仲は急速に深まっていった。ケンがいなくなったのが大きな要因だろう。これまではぼくとケン、それぞれと会話しなければいけなかったのがぼくだけになったのだから。  サラがぼくに好意を伝えてくれるまで、さほど時間はかからなかった。想い続けていた彼女がぼくを慕ってくれている。これ以上嬉しいことはなかった。ぼくが、彼女の隣を歩く権利を得たのだ。  アキラを忘れたことは一日たりとてない。ぼくがサラと付き合っていいのかという葛藤はある。すべてを知っているケンはどう思うのだろうという後ろめたさのようなものもある。    でも。  彼女からの告白を断ることはできなかった。ぼくは、ぼくの想いに正直に従うことにした。さいわいケンは県外にいるのだ。内緒で付き合う約束をして、サラがケンに言わなければバレることはない。  ケンに秘密をつくることをサラは不思議がったが、これまで友だちだったぼくらが恋人同士になったことを告げるのが照れくさいのだと話すと、彼女は笑いながら承諾した。こんなにも嬉しいできごとを本当はいろんな人に言いふらしたかったが、そこはぐっと我慢。二人で秘密を共有するのは特別感や楽しさもあった。  ケンが大学の夏休みに帰省したときには三人でファミレスに行ったり、ケンの家の庭で花火をしたりとこれまでと変わらない時間を過ごした。けれど、彼が席を外したときにサラがこっそりと手を繋いできたりするのだ。いたずらっ子のような表情をするサラに、バレるんじゃないかというと焦燥と、この場で抱き締めてしまいたい愛おしさを感じる。ケンに対する秘密は甘いお菓子にほんのりと加えられたスパイスのように、ぼくら二人の刺激になった。  ♦︎♦︎♦︎  大学を卒業して数年が経ったある日、ケンからメッセージが届いた。それぞれ社会人として忙しく過ごしていたためケンとはしばらく会っておらず、連絡がきたのも久しぶりだった。  ――秘密基地に行こう。  一行、たったそれだけのメッセージだ。でもそれはあの蒸し暑い森の記憶を呼び覚まし、ぼくを戦慄させるに充分なものだった。  なぜこのタイミングで彼からメッセージが……。  いや、一つだけ心当たりがある。二週間ほど前のサラの誕生日、ぼくは彼女にプロポーズしたのだ。  もし……もしケンがサラに好意を抱いていたとしたら。  もしケンがぼくとサラの関係を知っていたとしたら。  もしサラが彼に結婚報告をしていたとしたら。    ずっと周囲には秘密にして付き合っていたが、結婚ともなれば話は別だ。幼馴染にさすがにそんな大事なことを隠そうとはしない。むしろ、ぼくからケンに伝えていると考えたかもしれない。結婚式にも呼ぼうと考えているかもしれない。いや、それが当たり前だ。幼馴染なのだから。  ――濁流に飲まれて姿を消したアキラを思い出す。首筋に汗が伝った。梅雨はまだ明けておらず、連日雨が降り続けている。ぼくは汗を拭った。これは暑さのせいなのか、アキラと自身の姿を重ねてしまったせいなのか。  次はぼくが、黒歴史として葬られるのかもしれない――。  終
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