3人が本棚に入れています
本棚に追加
「ただいまあ」
玄関から夫の声がして、あわてて立ち上がる。
「あら、早かったのね」
「今日は先方で商談だったんだが、思ったより早く話がまとまってね…」
そう言いながら、玄関に座り靴を脱ぐ。少し出っ張ったお腹が邪魔そうだ。
「早く帰れれば夕飯も早い時間に食える。確か、その方がいいんだろ?」
「ええ、そうよ」
答えながら、緩めたネクタイと背広を受け取り、ハンガーに掛ける。
最近しきりに気にしている、後退しかけたおでこの生え際を、暑さのためなのか、ハンカチでガシガシこすっていたが、リビングに入った途端夫の動きが止まる。
「ブラックコーヒー……」
あ、見つかっちゃった。
「君は、リモートワークの日は、こうやって俺に隠れて、ブラックコーヒーを飲んでいたのか」
「そうよ、これでも気を遣っているのよ」
「俺は医者に止められているのに……」
「仕方ないじゃない。あなたは病気なんだから」
「……あのさ、相談なんだけど、カフェインが入っていないやつなら、飲んでもいいんじゃない?」
「だーめ!逆流性食道炎は、カフェイン抜きでもだめだって、医者が説明してたでしょ」
「でも……」
まだ未練がましくブツブツと文句を言う夫。
憧れの先輩から、慣れ親しんだ家族になった夫の、少し高い位置にある腰を、後ろから軽くパシン!と叩いた。
「健康に気を付けて、お互い長生きしましょ。ね、先輩!」
「あいかわらず、君は真面目だな…」
夫はそれでもまだ、小さな声で抗議を続けるのだった。
《End》
最初のコメントを投稿しよう!