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血の朝
夢を見た。
誰の夢かはわからない。
そこは日のささない暗闇で、でも、どこからか、月明かりのようなほのかな光が照らしている。
いちめんに広がるのは草原だ。花が咲いている。とてもたくさんの花。どれも宝石と見まごうほど美しい。でも、どこか、さびしげ。
「その花はおまえだ」
何者かの声がした。
「あなたは?」
「私はコルヌ。コルヌレクス。ドラコレクスのあとを継ぎ、キュグヌスフィーリアへつなぐ者」
闇のなかにその人の放つ光が黄金に輝く。まぶしすぎて姿が見えない。だが、おおむね人形をしていて、背が高く、長い巻毛だとわかる。それに、王冠だろうか? 頭上にひじょうに大きな鹿の角をいただいている。
「コルヌ……これは、あなたの夢ですか?」
「ここは極世界。三千世界の頂点に立つ世界だ。ここに存在するのは、私のみ。ただびとには高次ゆえに見るもかなわぬ。が、ときおり、夢見ながら訪う者がある。今のおまえのように」
「夢……?」
「おまえは何を探しているのだ?」
「何も」
「私は探しているぞ」
「何を? あなたは何を探しているのですか?」
「失われた私の一部を」
彼の姿が目の前まで迫る。きわめて美しい目元が接するほど近くで急にハッキリ見える。片目は青い。だが、もう片方は黄金の竜の目だ。虹彩がたてに長い。
「私の印を刻んだのだ。とり返せ」
すっと世界が遠のいた。
夢が去る前、花園にたたずむ彼が見えた。孤独の王。コルヌレクス。光球につつまれた姿が、まぶたの底でゆれる。
*
目がさめると、外は明るくなっていた。人々の朝の営みが聞こえる。竈に火を入れ、パンを焼き、湯をわかし、子どもがぐずれば乳をあたえ、髪をくしけずり、暖炉に炭を入れ、コトコトとスープを煮込む。
だが、そのふつうの日常のなかに、ときおり、妙な音がまざる。
「ここにもあるぞ」
「またか」
「いつまで、こんなことが……」
「そっちを持ってくれ」
「あいよ」
文句を言いながら、何かを運んでいるらしい。
ケルウスは鎧戸をあけて外をながめた。細い路地に馬車が停まっている。だが、その荷を見て、ケルウスはおどろいた。人間の死体がいくつもつまれている。そのうちのいくつかは、昨日、見かけた旅人だ。どれも血で赤く染まっている。頭部とひざから下はまともだが、それ以外の部分は完全に損壊し、原形をとどめていない。まるで、大きな手でにぎりつぶされたかのようだ。
村人らしき男数人が、死体を馬車に乗せ、運んでいく。朝の風が血なまぐさい匂いをただよわせる。
「ウンザリだな。毎朝、こうか?」
となりで猫のように丸くなったコルヌに話しかけるが、彼はまだ眠っていた。閉ざしたまぶたをふちどる銀色の長いまつげを水晶の玉が飾っている。涙だ。恐ろしいまでに美しい。
見つめていると、コルヌ自身で目をさました。
「おまえは毎朝、泣きながら目ざめるのか?」
「これは悲しい夢を見たからだ」
「ふうん。しかし、二度と目ざめない連中よりは、いくらかマシな朝だろう」
鎧戸のひらいた窓を見て、コルヌはつぶやく。
「運の悪い者はいくらでもいる」
「おれも今朝には、ああなっているはずだった」
「おまえは運がよかった」
運だけですませられる問題でもなかろうが、毎夜ああなら、村人の心はとうに麻痺しているに違いない。人の死がありふれたものになっている。
「コルヌ。では、おれは神殿に行ってみる。夜にはまた来る。それまで、おれの大切な相棒を預かっていてくれるか?」
ケルウスが言うと、コルヌは妙にさみしそうな目をする。まったく、女みたいに甘えたがりだ。なるほど。これなら大金を稼げるはずだ。一夜のつもりが本気になってしまう。
コルヌは窓から出ていこうとするケルウスをひきとめる。
「まあ、待て。朝食くらいは食べてから行けよ」
「そうだな。しかし、二人前求めれば、客があったとバレるだろう?」
コルヌは何食わぬ顔で言う。
「私の恋人だと言えば、あるじは金をとらないよ」
「恋人?」
「金をもらわない特別な客を恋人と言うのだろう?」
「まあ、そうだ」
娼館の人々の目をあざむくための方便だとわかってはいるが、そう言われるのはイヤではない。どちらかと言えば友人だが、タダで泊まれるなら、それもいいだろう。調べに何日かかるかわからないので、宿は確保しておく必要がある。
「じゃあ、朝食を運ばせておくから、そのあいだに、おまえは湯をもらうといい」
「いいのか?」
「私の召使いを呼ぶから、彼が台所へ案内してくれる」
男娼のくせに専用の召使いまでいるとは、ものすごい特別待遇だ。
コルヌがベルを鳴らすと、ドアがひらき、一人の少年が入ってきた。その姿を見て、ケルウスは愕然とする。
絶世の美貌のコルヌに仕えるのだから、きっと容姿を買われてきた少年だろうと思ったのに、違った。死ななかったのが不思議なくらいの大怪我を負ったあとを残した子どもだ。年はたぶん、十かそこら。大きな傷がいくつもあるせいで、もともとの顔立ちがわからない。それに、四肢が折れたあと、ろくな治療も受けずに変な角度でひっついたのだろう。手足がねじれている。
「スティグマータ。私の新しい恋人のケルウスだ。彼に湯をわかしてあげておくれ。戻ってきたら、おまえもいっしょに食事をしよう」
少年はうなずいて廊下へ出ていく。
「あの子は口がきけないんだ。でも、こちらの言葉はわかっている。きっと、熊にでも襲われたのだろうね。かわいそうだから、私がひろった。スティグマータという名前も私がつけたんだ」
「あの怪我で、よく生きていたな」
「何があったのか、私にも話そうとしない。よほど恐ろしいめにあったのだろう」
もしや、夜中に村を徘徊する、アレに襲われたのでは?
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