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十四話 蛍が光る
夏の夜、風がとぼしかったので、ちょっとのあいだ網戸をあけた。冷房を入れるほどではない中途半端な暑さ。
ほんの五分間。空気の入れかえにと思ったのだが、その油断があだとなった。
フワリと緑色の光が近づいてきて、部屋のなかへ迷いこんだ。蛍だ。
「あら、キレイじゃない。蛍なんて、めずらしい。こんな住宅地まで来るのねぇ」と、妻は喜んでいたが、私は鳥肌が立った。じつのところ、虫全般が苦手なのだ。
「うわっ、蛍だって、虫は虫だ。出ろ、外へ出ろ。コイツめ」
私は団扇で追いつめて、なんとか蛍を外へ出そうとしたが、逃げられてしまった。物陰に入って見えなくなる。
殺虫剤を手にとる私を、妻がひきとめた。
「かわいそうじゃない。ほっとけば、そのうち出てくでしょ」
「虫が部屋にいると思うと落ちつかないんだよ」
「蛍なら光るから、そばに来ればわかるわよ。そしたら、わたしが追いはらってあげる」
「そうか?」
妻は優しく、ほっそりした美人で、今どき昭和の奥さんみたいな古風な話しかたをするのも、私は気に入っている。東京で働いていたのだが、観光地のこの片田舎で彼女に出会い、ひとめぼれして結婚した。仕事は幸いにしてプログラミング関連なので、在宅でできる。のどかな地方に引っ越してきたのはいいが、何かと虫が多いことだけはヘキエキする。
翌日は久々に首都圏に出張だ。リモートにしてくれたらいいのに、どうしても手渡したい資料があるというので、しかたなく、打ちあわせに出かけた。帰りに百貨店へよって、妻への土産を買うついでに、オモチャ売り場をうろついた。二人のあいだに子どもはないが、妻の甥っ子にも何か買ってやろうと思ったのだ。
あれこれ見物しているとき、おもしろい商品を見つけた。昆虫が近づくとピコピコ音が鳴るという虫探知機だ。しかも、複数の虫から種類が選べる。カブトムシ、クワガタムシ、蝶々、セミなどのなかに、蛍もあった。夏休みの昆虫採集用のグッズらしい。
「へぇ、スゴイな。最近のオモチャはここまで進化してるのか」
思わず、ひとりごとをつぶやいてしまうほど感心した。
よし、コイツを一つ買っていってやろう。甥も田舎の子なら虫とりくらいするだろう。そう思い、虫探知機を購入して帰った。
自宅につくと、夕刻だ。
外は薄暗いが、まだ残照の赤が空の端に見える。数軒ならんだ住宅地。わが家に明かりはともっていない。その窓辺に、うっすらと緑の光が点滅している。
昨夜の蛍だ。やっぱり、まだいやがった。今度こそ追いだしてやる。しつこいようなら殺虫剤も辞さないかまえで、家のなかへかけこむ。
ただいまも言わず、あの緑色の光が見えたリビングルームのドアをあける。そこには妻が一人でソファにすわり、うたたねしていた。蛍はまた隠れたのか、姿が見えない。
そのとき、私はお土産に買った虫探知機を思いだした。ほんとに効果があるなら、きっと音が鳴る。ついさっき光を見たから、室内のどこかにはいるはずなのだ。
私は箱から虫探知機をとりだすと、スイッチを入れた。
鳴らない。
なんだ、やっぱりただのオモチャかと、一瞬ガッカリした。が、よく考えたら、まだ昆虫の種類を選択してない。初期設定はカブトムシだ。ボタンをクルクルまわして調整する。クワガタムシ、鳴らない。蝶々、鳴らない。セミ鳴らない。
ところが、蛍に切りかえたとたん、ビービー鳴った。
スゴイ。ほんとに探知してる。
私は嬉々として先端のアンテナを部屋のあちこちにむけた。音は対象に近いほど大きくなり、遠ざかると小さくなっていくようだ。
アンテナをテレビ台の奥にさしつけると、音が高くなり、フワッと光が舞った。
そこにいたのか。コイツめ。さっさと出ていけ。殺さないだけありがたく思え。
私は片手に例の団扇を持って蛍を追い立てる。が、蛍は窓ぎわへ行くと、なぜか、そこで寝ている妻のまわりをウロつきだした。美しい白い肌にとまろうとするので、私はゾッとする。
「クソッ! コイツめ!」
団扇でなぐりかかると、蛍はあざわらうように宙に浮きあがる。
それにしても、探知機の音がうるさい。さっきから急に狂ったように大きな音を放ち始めた。これじゃ、近所から火災報知器の音と勘違いされかねない。
私はスイッチを切ろうと両手で持ちなおした。すると、アンテナのむきが変わり、音が小さくなる。奇妙なことに、ちょうどそのとき、蛍は空中をただよいながら、アンテナの正面を通過した。
(あれ? なんでだ? 部屋にいる蛍はコイツだけだよな?)
だったら、音は大きくなることはあっても、小さくはならなかったはずだ。
私は恐る恐る、アンテナをさっきまでむいていた方向にかざした。するとまた、ビビビとやかましく鳴り響く。アンテナをそらすと小さくなる。むけると大きくなる。
私は慎重にアンテナのむきを微調整して、音の根源をさぐった。そして、あることを確信する。
まちがいない。
音は、妻から発している。
「蛍……子?」
声をかけると、妻はようやく目をさました。
「あら、イヤだ。寝てしまってたわ。お帰りなさい。あなた。どうして電気つけないの? 部屋が暗いわよ?」
そう言う妻のお尻あたりが、ゆっくり、ほのかに緑色に光る。
了
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