ダークサイド、とびこえてダークネス

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 過去に執着していたせいか、コンビニにも寄ったのに帰り道の記憶が他人事みたいに曖昧だ。  私は一人暮らしをしているアパートに辿り着くと、酒缶の入ったマイバックを机に置き、テーラードジャケットとストッキングを脱いで身軽になった。  メイクも落とさず余所行(よそゆ)きのブラウスとスラックスのまま、缶を開ける  ぷしっとささやかに空気の抜ける音が鳴った。  微炭酸のカクテル。  恐る恐る缶に口を近づけ、ちびちびとすする。  お酒は普段飲まないし、強くもない。炭酸も苦手だった。  兄も同じく弱いはずなのに、無理に飲むからあんな醜態をさらすはめになる。ああはなりたくない。  だけど今は、訳がわからなくなってみたかった。  三口ほど飲んで、『知人の死』という事実を俯瞰できるぐらいに落ち着いてくる。  電話で動揺していた割には、涙が一粒も出ない。  希少な知人を失った悲しみよりも、若く美しいまま散った彼女への羨望が大きいということだろうか。    自己本位が昔から治らず嫌になる。  私は乾燥した指でアルミ缶をべきべきと潰した。    好きになれない自分も思い出も全て洗い流してしまおうと顔を真上に持ち上げ、豪快に酒をあおる。    ――本当は知っていた。  友人に囲まれていた彼女が、急にクラスの女子から避けられるようになったこと。話しかけても輪に入れてもらえず無視をされていたこと。教室中に聞こえるような声量で悪口を言われていたこと。彼女一人で移動教室を行き来するようになったこと。    彼女は私がいつも寝ていたから、知らないと思っていたのだろう。  だが顔を伏せていても、寝ているフリだから声は聞こえる。また登校直後や放課後の教室の様子を見ても目に余るものがあった。    でも知らないフリをしたんだ。  いじめに立ち向かう勇気も、彼女に寄り添う慈しみも、私には欠如していたから。  私は笑顔と明るさでみんなを幸せにできるあの子に、密かに憧れを抱いていたというのに。  例え都合の良い居場所と人物として利用されているだけだとしても、隣で楽しそうにイラストを眺めてくれる様が、とても嬉しかったのに……。    癖になったため息をつき、やおら立ち上がる。  のろのろと数歩先にあるベランダへ向かい、窓を開けた。  人一人やっと立てるような狭いベランダに踏み入り、冷たい秋の夜風に触れる。  星のない閑散とした夜空に、三日月だけがぽっかりと浮かんでいた。  アルコールは微量のはずだが、一気に飲み干したせいか顔が熱い。  不意にぐにゃりと視界が歪んで足元がふらつき、私は暗闇に体が吸い込まれる感覚に陥った。 『実はね、ずっと前から話してみたかったの。きいちゃん、私と違って周りに流されず自分らしくいてすごいなって。でもきいちゃんって教室ではいつも顔を隠して寝てるでしょ? 邪魔したくなくて。だから、ちょうどよかった』    暗闇の中で思い出したのは、早乙女芽留の独白。  そういえば、いつからか私を名前で呼んでいたっけ。きいちゃんなんて小っ恥ずかしい呼び方をするのは、彼女ぐらいだった。  嘘か本当かわからないが、タヌキ寝入りに騙される純粋さが愛おしい。  彼女はいじめられてもなお変わらなかった。強い人だった。  手すりをつかみ、平衡を取り戻す。  余計なことを思い出してしまった。  耐えられず唇を噛み締め、呻く。 「……なんで、あの子が」  最後まで一度も呼べなかった、彼女の名前。  負け犬の遠吠えのようだ。    何気なく過ぎ去った日々が戻れないとわかった瞬間、美しく成るのが憎い。  結局私がどうであろうと、彼女は死んだ。  きっと彼女だって、こんなちっぽけな思い出にいる私のことなんか忘れていたはずだ。  私と彼女に、深い繋がりはない。  ただの他人だ。  私は彼女の生死に関わらず、心臓が停止するその時まで生き続けなければならないのだ。    だが虚しさは募るばかりで、何でもいいから吐き出したくて仕方がなかった。  地元にもいないのに、都内に心を許せる人など私にいるはずもない。兄は論外だった。    ……そうだ。    閃いた私はベランダから室内に戻り、せわしなくブルゾンを羽織ると闇夜へ飛び出した。    かつての相棒だった、今や不必要となっていたスケッチブックを求めて。    久しぶりにあの子に似たとびきり可愛い女の子を、描きたいと思えたんだ。 完
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