ダークサイド、とびこえてダークネス

1/2
前へ
/2ページ
次へ

ダークサイド、とびこえてダークネス

『お前、早乙女って知ってる? 早乙女芽留(さおとめめる)。お前と同じ高校だったらしいんだけど――』  話を要約するに、高校時代の同級生は帰らぬ人となったらしい。    しかも数日前どころの話じゃない。  電話越しの兄が言うには、彼女がこの世にいなくなってから、すでに半年が経過していた。  私が情報を知り得なかった理由は、私自身に彼女の死を連絡してくれるほど親しい友人がいなかったことがまず一つ。  二つ目はそもそも彼女の両親が親族のみの葬儀を希望し、娘の友人等に連絡をとることをしなかったからだそうだ。  今日は大多数の人が社会というしがらみから一時的に解放される金曜日の夜で、話し声であったり表情であったり周囲は心なしか気持ちが華やいでいるように見えた。  就職を機に上京した私は、残業を終え電車に乗ろうと駅のホームで電車を待っている最中だった。    兄は久々に会った地元の友人から偶然そのような話を聞き、彼女が私と同じ高校ということで()()()()電話までかけてくれたようだった。    しかし兄の話は要領を得ず、その上滑舌が悪く聞き取りづらい。  言ってしまえば、酔っ払いの話し方だった。  まだ7、8時だというのに、もう出来上がっている。 「……知らない」  だいたい人の死を軽んじて話すのは、如何なものか。私は兄への軽蔑も込めて堂々と嘘をついた。    飲み会のノリで私に電話をかけたであろう兄の行動に呆れてはいたものの、私の心臓の鼓動は意思に反し高まっていたのがなぜか悔しかった。    兄は特段疑いもせずに、私が苛立っているのを察すると『そうか、じゃ!』とだけ返しあっさりと電話を切った。  画面の表示をオフにし、真っ黒になった液晶画面を無意味に見つめる。生気のない目をした女が、そこにいた。  脳味噌のすき間に沈んでいた彼女との古い記憶が、徐々に浮上し表面下にさらされていく。    ――想定外だった。  ろくでもない憎たらしい学生時代を、名残惜しく思える日が来るなんて。  そんな沈む私とは裏腹に、軽快なメロディとともに電車が滑り込んでくる。  唐突に生じたやりきれない気持ちを消化できないまま、私は電車へと乗り込んだ。  半年前、信号無視で突っ込んできた乗用車に未来を奪われてしまったという哀れな乙女、早乙女芽留(さおとめめる)。  くっきりとした二重まぶたに、耳より下の位置で二つに結い上げられたビターチョコレート色の頭髪。  身長も小さくて、いわゆる『愛され』系に分類される女子だった。加えて運動も勉学も過不足なく、天真爛漫な性格から先生や生徒関係なく皆に好かれていた。  当時愛想もなく、自分の殻に閉じこもり、休み時間寝たフリをしてやり過ごしていた私とは、外見も中身も対極に存在する人種だった。    同じクラスになったのは高校3年生の頃だ。  しかし私たちが教室で交わることは無いに等しかった。    私と彼女の()()が生まれたのは、昼休みの時間。  教室で浮いていた私は、当然一人でお弁当を食べていた。  不思議と学校という社会では多人数でいる方が騒がしく目につくはずなのに、一人でいる方が悪目立ちするように仕組まれている。  私は一人でいるのはいくらでも平気だったが、周りの視線にはいつまでも慣れなかった。だから机に顔を突っ伏して視界を閉ざすようになった。  しかし、食事ではそうはいかない。  私は憐れみと好奇の視線から逃げるように、誰も来ないような場所――トイレ、空き教室、校舎裏と名所を転々とした。    そうして最終的に、閉鎖された屋上へ続く階段の踊り場に避難するのが常となった。  踊り場に行くには、古びた教卓と机によって構築されたバリケードを越えなければならない。私にはこの近寄りがたい壁が好都合だった。  痩躯を駆使し悠々と衝立に飛び乗ると、反対側に降りて身を隠し無言で飯を食らう。  食後はハガキサイズのスケッチブックを取り出し、趣味のイラストに没頭することで1時間の苦痛をやり過ごしていた。 「わあ、上手」    ところが私だけの楽園は、そう長くは続いてくれなかった。  どうやって知ったのか早乙女芽留は境界線の教卓に身を乗り出し、私の唯一無二のユートピアに首を突っ込んできたのだ。  しかも誰も来ないだろうと油断して膝の上で書き散らしていたスケッチブックを、頭上から凝視されてしまった。 「わっ」  突然覗き込んできた彼女に驚き姿勢を崩した私は、その弾みでスケッチブックを床に落としてしまった。 「……っ!? 何してんの? 勝手に見ないでっ」 「あっ、ごめんね。盗み見るつもりはなかったの。上手だなあって思わず……。柏木(かしわぎ)さんって、こんなカワイイ絵を描くんだね」  私のフッと沸いた怒りを、彼女の穏やかな声がサッと凪いでいく。  お世辞だとわかっているのに、清々しい彼女の態度に疑念と不安は残っていても、不快感は消え去りつつあった。  私は、誰かの前で絵を描くことはなかった。  私のような目つきが悪くて根暗な女がこんな絵を描いてたって知られたら、笑われるとわかっていたからだ。実際、小学生の頃男子に笑われた経験がある。  それから教室などの人の目に触れる可能性がある場所で描くことはなくなった。    でもたった今、この女に見られてしまった。  彼女は私よりは不恰好に障壁を越えこちらに降り立つと、地面に落ちたスケッチブックを拾う。 「私、絵心ないから……羨ましいな」  また、笑われる。  しかし両手で丁寧にそれを私に差し出す彼女からは嘲笑ではなく、誠意がにじみ出ていた。  何も言えずスケッチブックを受け取った私を見ながら、彼女は後ろで手を組み告白する。 「もっと見たいな、柏木さんの絵。……アタシもこれからここに来ていいかな?」  普段の彼女にしては、すがるようなぎこちない笑みが印象的だった。  教室にいる時とは雰囲気の異なる危うい彼女に、自分と似たような面影を感じてしまう。  だが、素直に認められないひねくれた私は、わざとらしくため息をつく。 「……好きにしたら」  私の回答を聞いた途端、私の嫌味な所作などお構いなしに早乙女芽留はパァッと顔に満面の笑みを咲かせた。 「ありがとう、柏木さん!」  眉、目、口、顔のパーツ全てに動きがあり、生きている。  彼女らしい、自然に破顔した表情だった。    それから私たちは、一緒に昼休みを過ごすようになった。  目隠しを背もたれに、1人分の間を空けて横並びに座り各々過ごす。  私は似合わないと自覚している少女漫画のようなイラストを。  彼女は膝を抱え私がイラストを描く様を眺めたり、目を閉じ眠っていた。  何かを描く度、彼女は私を褒めてくれた。  褒められることに慣れておらず素っ気なく流していたが、本当は少し嬉しかった。    彼女との交流はそれだけ。交流といってもいいのかわからないぐらいだ。  私の性格上、連絡先を聞くこともなかったし。    ただ教室とは違う静かな早乙女芽留を知っているということが、私には特別だった。    だがそれも学校を卒業し仕事に追われるようになって次第に色褪せた。絵も時間に余裕がなくなって描かなくなった。  私の脳は生きる過程で早乙女芽留との記憶を不必要だと判断し、奥深くにそれを仕舞った。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加