嫌味鍋

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「お、俺は皮肉なんか言った覚えはないぞ」 「言葉の皮肉ではありません。課長が今、箸で掴まれているものです」  白雪の気配が離れる。向かいの椅子が引かれる音がした。 「さぁ、ご自分のヒニクをご堪能ください」  生唾を飲んだ。漂う魅力的な香り。抗いようのない食欲が腹の底から湧き上がってくる。ほぼ無意識に箸先を口に含み、 「むむ!?」  俺は唸った。 「何だこの肉は」  箸で鍋をつつく。 「美味い、美味過ぎるぞ!」  くせになる食感。噛む度にとめどなく溢れ出る肉汁。それに辛さと甘みが絶妙に調和した味わい――あっという間に俺はヒニクの虜になってしまった。 「課長だけズルいですよ」  箸を持つ手を押さえられた。視線を移す。自分の右腕に細く色白な指が這わされていた。思わず体が強張る。 「私も頂きますね」  白雪が吐息混じりに声を漏らした。続けて耳に届く、鍋を探り、咀嚼し、飲み込む音。 「……美味しい」  白雪は呟いたあと、 「こんなヒニク初めて!」  叫んだ。 「早い者勝ちですよ課長!」  呆然としていた俺は我に返り、弾かれたように動き出す。 「待てまて、俺はまだ一枚しか食ってないんだぞ!」 「それはおあい様ですね」 「ふん、さすがはコネ入社のお嬢様、冗談がお上品だ」 「お褒めに預かり光栄ですわ。それより課長様? 随分とペースが落ちてきてますね。もうお若くはないのですからご無理なさらないでくださいね」 「ご忠告どうも。しかし俺もまだまだ現役、生意気なひよっ子に大人としての威厳を示さねばな!」  絶え間ない嫌味の応酬。不思議なことにヒニクの味が、口へと運ぶごとにその芳醇さを増していく―― 「何のこれしき……」  限界が迫る腹具合。飛び散るしぶきは汗か涙か、はたまたダシか。闇の中で熱戦を繰り広げること数分。 「うぐっ!!」  自分の体に異変が起きた。俺は腹をおさえ、椅子から転げ落ちる。
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