嫌味鍋

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※ 「どうぞご遠慮なく」  白雪の自宅マンションに着くと、促されるままにリビングのソファに腰掛けた。 「何というか」  俺は部屋の内装を見回しながら、 「シンプルイズザベスト、といった感じだな」  思ったことをそのまま口にする。 「もっとこう……華やかで可愛らしいイメージを想像してたんだが?」  白雪は返事もせずにキッチンへ向かい、何かを手に戻ってきた。 「今夜はこれでシメましょう」  白雪が持っていたのは何の変哲もない灰色の鍋だった。目の前に置かれたガスコンロの上に鍋をのせると、白雪はテーブルを挟んで向かいの椅子に座った。 「……は?」  鍋と白雪を交互に見比べる。 「何も入ってないようだが?」  眉根を寄せるも、 「問題ありません」  白雪は微笑んだ。 「これからたくさん湧き出てきますので」 「意味が分からん。一体どういう」  俺の言葉が途切れた。突然部屋の照明が消え、辺りが暗闇に包まれる。 「て、停電か!?」  狼狽えていると、 「落ち着いてください。電気を消しただけです」  すぐ近くで冷静な声が響いた。 「何? なぜ電気を?」 「今から召し上がって頂くのはいわゆる闇鍋の一種でして、調理は暗闇の中で行います」 「闇鍋だと?」 「ただの闇鍋ではありません。『嫌味鍋(いやみなべ)』と呼ばれるものです」  思わず鼻で笑った。 「ジョークのつもりか? 全然笑えん」  俺は語気を強める。 「前々から思っていたがお前はもっとトークセンスを磨くべきだ。外見ばかりオシャレではモテないぞ?」  鼻息荒くまくし立てた、その時。 「ん?」  何か聞こえた。まるで水滴が跳ねたような小さな音だった。 「つけますね」  押し黙っていた白雪が口を開いた、かと思うと、ガスコンロが点火される。 「すぐに煮えますから」  顔を上げた。暗がりに慣れてきた目を細める。微かな火明かりに照らされ、白雪の顔の下半分が青白く浮かんでいた。鼻より上はいまだ闇に覆われているため、白雪が今どんな目でこちらを見ているかまでは分からない。 「そろそろ……」  白雪が呟いた。直後、ふいに塩気を含んだ香りが鼻腔を通り抜ける。目を落とした。輪郭だけ見てとれる空の鍋。その真っ黒な奥底を覗き込む。生温い空気が頬を撫でた。奇妙なことに湯気が立っているようだ。 「さすがは課長。良いですね」  白雪が声を弾ませる。 「さっきから一体何を言ってんだ?」 「課長、冷めないうちに早く」  一方的に話す白雪に身を引いた。 「いや、俺は遠慮させて」 「お手元にお箸があるのでお使いください」  有無を言わさぬ圧力。俺は渋々指示に従う。手にした箸で鍋底を探ると、何やら硬い感触が指先に伝わってきた。 「何だこれは」  箸で掴んだものを目線の高さまで持ち上げる。グミほどの弾力を持ち、暗闇の中でより一層濃い黒を放つ歪な塊―― 「嬉しいです課長」   興奮を孕んだ白雪の声が近づいてくる。 「これほど素敵なを頂けるなんて、私感激です」   耳元で囁かれ、首筋に鳥肌が立った。      
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