17人が本棚に入れています
本棚に追加
※
「どうぞご遠慮なく」
白雪の自宅マンションに着くと、促されるままにリビングのソファに腰掛けた。
「何というか」
俺は部屋の内装を見回しながら、
「シンプルイズザベスト、といった感じだな」
思ったことをそのまま口にする。
「もっとこう……華やかで可愛らしいイメージを想像してたんだが?」
白雪は返事もせずにキッチンへ向かい、何かを手に戻ってきた。
「今夜はこれでシメましょう」
白雪が持っていたのは何の変哲もない灰色の鍋だった。目の前に置かれたガスコンロの上に鍋をのせると、白雪はテーブルを挟んで向かいの椅子に座った。
「……は?」
鍋と白雪を交互に見比べる。
「何も入ってないようだが?」
眉根を寄せるも、
「問題ありません」
白雪は微笑んだ。
「これからたくさん湧き出てきますので」
「意味が分からん。一体どういう」
俺の言葉が途切れた。突然部屋の照明が消え、辺りが暗闇に包まれる。
「て、停電か!?」
狼狽えていると、
「落ち着いてください。電気を消しただけです」
すぐ近くで冷静な声が響いた。
「何? なぜ電気を?」
「今から召し上がって頂くのはいわゆる闇鍋の一種でして、調理は暗闇の中で行います」
「闇鍋だと?」
「ただの闇鍋ではありません。『嫌味鍋』と呼ばれるものです」
思わず鼻で笑った。
「ジョークのつもりか? 全然笑えん」
俺は語気を強める。
「前々から思っていたがお前はもっとトークセンスを磨くべきだ。外見ばかりオシャレではモテないぞ?」
鼻息荒くまくし立てた、その時。
「ん?」
何か聞こえた。まるで水滴が跳ねたような小さな音だった。
「つけますね」
押し黙っていた白雪が口を開いた、かと思うと、ガスコンロが点火される。
「すぐに煮えますから」
顔を上げた。暗がりに慣れてきた目を細める。微かな火明かりに照らされ、白雪の顔の下半分が青白く浮かんでいた。鼻より上はいまだ闇に覆われているため、白雪が今どんな目でこちらを見ているかまでは分からない。
「そろそろ……」
白雪が呟いた。直後、ふいに塩気を含んだ香りが鼻腔を通り抜ける。目を落とした。輪郭だけ見てとれる空の鍋。その真っ黒な奥底を覗き込む。生温い空気が頬を撫でた。奇妙なことに湯気が立っているようだ。
「さすがは課長。良いダメダシですね」
白雪が声を弾ませる。
「さっきから一体何を言ってんだ?」
「課長、冷めないうちに早く」
一方的に話す白雪に身を引いた。
「いや、俺は遠慮させて」
「お手元にお箸があるのでお使いください」
有無を言わさぬ圧力。俺は渋々指示に従う。手にした箸で鍋底を探ると、何やら硬い感触が指先に伝わってきた。
「何だこれは」
箸で掴んだものを目線の高さまで持ち上げる。グミほどの弾力を持ち、暗闇の中でより一層濃い黒を放つ歪な塊――
「嬉しいです課長」
興奮を孕んだ白雪の声が近づいてくる。
「これほど素敵なヒニクを頂けるなんて、私感激です」
耳元で囁かれ、首筋に鳥肌が立った。
最初のコメントを投稿しよう!