17人が本棚に入れています
本棚に追加
「お、俺は皮肉なんか言った覚えはないぞ」
「言葉の皮肉ではありません。課長が今、箸で掴まれているものです」
白雪の気配が離れる。向かいの椅子が引かれる音がした。
「さぁ、ご自分のヒニクをご堪能ください」
生唾を飲んだ。漂う魅力的な香り。抗いようのない食欲が腹の底から湧き上がってくる。ほぼ無意識に箸先を口に含み、
「むむ!?」
俺は唸った。
「何だこの肉は」
箸で鍋をつつく。
「美味い、美味過ぎるぞ!」
くせになる食感。噛む度にとめどなく溢れ出る肉汁。それに辛さと甘みが絶妙に調和した味わい――あっという間に俺はヒニクの虜になってしまった。
「課長だけズルいですよ」
箸を持つ手を押さえられた。視線を移す。自分の右腕に細く色白な指が這わされていた。思わず体が強張る。
「私も頂きますね」
白雪が吐息混じりに声を漏らした。続けて耳に届く、鍋を探り、咀嚼し、飲み込む音。
「……美味しい」
白雪は呟いたあと、
「こんなヒニク初めて!」
叫んだ。
「早い者勝ちですよ課長!」
呆然としていた俺は我に返り、弾かれたように動き出す。
「待てまて、俺はまだ一枚しか食ってないんだぞ!」
「それはおあいにく様ですね」
「ふん、さすがはコネ入社のお嬢様、冗談がお上品だ」
「お褒めに預かり光栄ですわ。それより課長様? 随分とペースが落ちてきてますね。もうお若くはないのですからご無理なさらないでくださいね」
「ご忠告どうも。しかし俺もまだまだ現役、生意気なひよっ子に大人としての威厳を示さねばな!」
絶え間ない嫌味の応酬。不思議なことにヒニクの味が、口へと運ぶごとにその芳醇さを増していく――
「何のこれしき……」
限界が迫る腹具合。飛び散るしぶきは汗か涙か、はたまたダシか。闇の中で熱戦を繰り広げること数分。
「うぐっ!!」
自分の体に異変が起きた。俺は腹をおさえ、椅子から転げ落ちる。
最初のコメントを投稿しよう!