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第一章 宵の祭りで酔に酔って
王都は秋穫祭の賑いで、夜市は活気づいていた。街の中心部には様々な屋台が並び、楽隊が音楽を奏で、人々は存分に楽しんでいた。
エルネスト・イグニスヴァニアはその中でただひとり気落ちしていた。屋台で仕事仲間と卓を囲んでいても、自然と溢れる溜め息を抑えることすらできなかった。さらに言えば、周りの楽しそうな様子に一層悲壮感を煽られた。
「なんでなんだ、カルメン……!」
果実を漬け込んだ葡萄酒を一気に飲み干してから、グラスをテーブルに叩きつける勢いで叫んだ。
「まあまあ、女なんて星の数ほどいますよ」
「アンタの魅力が分からなかっただけさ」
気の良い仲間は口々に落ち込んだエルネストを宥め励ました。彼らは同時にエルネストの目の前に、好物の生ハムや大きな海老の蒸し焼きを並べるのも忘れない。
「俺の体毛がなにしたって言うんだ!」
好物を口いっぱいに放り込んで半ば自棄っぱちに叫んだ。そして、遠くに見覚えのある姿を見つけてビシリと固まった。
夜市の真ん中に小さなステージがあって、とびきりの美女が松明の火で照らされている。舞台上で絶え間なくゆらゆら揺れる薄衣の豊満な肢体と波打つ黒髪は妖艶だ。
うっとりと魅了され、火に入る蛾のようにふらふらと席を立った。仲間の誰かが制止するのも構わずステージがよく見える場所に移動しようする。その間も美女は踊り続け、腰を振り背をくねらせて、全く目を離せなかった。
しばらくして音楽が止むと、美女もポーズを決めて動きを止めた。
「ブラボー!」
拍手する見物人に混ざってエルネストも声を張り上げた。彼女が気付いてこちらを見てくれるのではないかという淡い期待と共に。
念が通じたのか彼女は一際大きい声に反応してエルネストの方に顔を向けた。エルネストと同じ、赤い瞳に見つめられて、ドクンと鼓動が大きく跳ねた。しかし視線が交わった刹那、彼女は態とらしくプイッと美しい顔を横に向けてしまう。エルネストのハートは完膚なきまでに微塵にされた。
「落ち込むことないですからね」
「……あんがと」
肩をポンポンと叩くのは、今年職場に入ってきたばかりの十八歳だ。今年で二十五になるエルネストは、振られた悲しみと、一番下の後輩に慰められるという情けなさで、頬に伝う涙を拭うこともできなかった。
それからどうやって仲間たちといた屋台に戻ったか、記憶が無い。気付けば、人気の無い路地を半分酒が入った酒瓶片手に千鳥足で彷徨っていた。仲間たちといつ解散したのかも覚えていない。点々と並ぶ灯りだけが頼りの薄暗い中をたったひとりでいるのは心許なかった。そのうち強盗にでもあったらどうしよう、なんて不安も過ってくる。仕事柄力はあるし、ガタイも良いので、一対一なら並の犯罪者は返り討ちにできるが、徒党を組まれては無事ではいられないだろう。増々心細くなってきて、回らない頭で早く家路につかなければと焦る。
「……困った時の精霊頼み、だな」
ふと道の脇に小さな古い祠を見つけてその前にしゃがみこんだ。こういった祠は古い街並みでは今も良く見かける。太古から信仰されている国を守護する大精霊だ。王家の眷属として紋章にもなっているくらい、国民なら誰でも知っている。
エルネストは迷わず酒瓶の栓を抜いて、中身を全て祠の中の鳥の像に振りかける。
「こんな夜更けに、しかも飲みかけの酒でごめんなさい。でも、どうか俺を無事に家まで辿り着かせてください。あと、できたらでいいんで、俺の体毛、といか無駄毛、薄くしてください」
エルネストは、自身の体毛が他と比べて濃いことを自覚していた。しかし、これまでそれは、男性らしくて誇らしいことだと信じて疑わなかった。無精にしているわけでもなく、硬めの黒髪は短髪にしてオイルでセットし、顎髭は綺麗に整えている。胸毛や他の体毛は中途半端に剃るとすぐに飛び飛びに生え出して見栄えが悪いので、仕方なく適度にカットしながら整えている。
件のカルメンとは、彼女が踊り子として働くショーパブで数か月前に出会った。豊満な体と妖艶な笑みに加え、なんと言っても二人とも珍しい赤い目をしているという共通点が、エルネストに強く運命を感じさせた。赤い瞳は、古代人の名残りとか、先祖返りなんて謂われている。同じ親兄弟でもその色が発現する訳でもなく、本当に稀にそういった子どもが生まれるのだ。
エルネストは彼女に一目惚れして、数か月熱心に通った結果、一緒に酒を酌み交わすくらいには仲良くなった。ある晩、お互い酔いも回って良い雰囲気になり、遂に関係を持とうとして宿屋になだれ込んだ。しかし、ベッドで露わになったエルネストの立派な胸毛を目にした瞬間、彼女の顔は酷く曇った。
「あたし、全く毛がない男もムリだけど、アンタみたいなモジャモジャは生理的に嫌いなの」
彼女は無情にもそう言い放って、いそいそと服を身に着けた。
「全部剃ってもムリ?」
「一度見ちゃったら無理なものはムリ」
足早に部屋を去ろうとする背中に苦し紛れに尋ねたのは完全に失敗だった。きっぱり断言されて追い縋る気力などあるはずもなかった。
彼女の顔を、赤い瞳を思い浮かべると、またエルネストの頬に暖かいものが伝った。これからは毎日剃毛すべきなのか。でも剃っても不格好に不揃いに生えて来るのがオチだ。誇りに思っていたものを運命だと思っていた女から貶され、結局剃っても剃らなくても、もう彼女は振り向いてくれない。
エルネストは深く嘆息して酒が祠に降り注ぐのをじっと眺めた。諦めたくなくても、どうにもならない恋路にこれ以上しがみつくのは無理だった。
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