その1 アヤメの詩

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その1 アヤメの詩

 冒険者ギルドに併設された食事処〈文目の詩〉。ここには少し、変わったサービスがある。 「あんたたちのレベルなら、そうね。水場の安全確保とかがいいんじゃない?」  赤いメイド服のスタッフが、冒険者にクエストを紹介している。  目利きのスタッフによるクエストの斡旋。スタッフの鑑定眼が確かなおかげで、店はそれなりに賑わっている。 「あら? あんた新顔? なんか、見覚えがある気もするけど……」  新顔かと言われれば、そうなるだろう。  この街に来てまだ日は浅く、この店に顔を出した回数も数える程でしかない。 「ま、いいわ。あんた、私のクエスト受けてくれない?」  流れるようにクエストを勧められるが、可愛い子からの誘いは、警戒するのが基本だろう。 「そんなに身構えないで、話だけでも聞きなさいよ。いい? クエストがあるって事は、誰かが困ってるって事なの。アンタが働くと誰かが助かる。アンタ自身も報酬がもらえて助かる。ほら。みんなが助かるでしょ?」  少し粗い口調に、屈託のない微笑み。  それがこの少女には、とてもよく似合っていた。 「アンタにお願いしたいのはゴブリン狩り。西の荒れ地に巣穴ができたみたい。大した被害は出てないみたいだけど、早いうちに潰してほしいのよ。アンタなら、できると思う」  席を立つ。 「ってちょっと!? どこいくの?」  今すぐにクエストを受注する意思を伝えると、スタッフの少女は驚いた顔をしていた。  ゴブリンの群れは10から20匹程度。小規模のグループらしい。  店に顔を出した時点で、ほとんどの準備は終わっていた。  街を出て、街道を外れてしばらく進むと、件の巣穴が見えてくる。  天然の洞窟を占拠したのだろう。  巣の入口近くにはゴミの山が生まれている。  巣の中で生じたゴミを投棄しているのだろうが、その山の構成は、群れの大きさを推測する指標になる。  中型動物の焼けた骨が複数。それは火を使う文化レベルがあり、多くの肉が必要になる状況にあることを示している。小規模の群れという情報は、疑ったほうがいいだろう。  というより 「ギギ?」  ここのゴブリンは思っていたより、鼻が利くらしい。 「キーギャー! ギャー!」  不覚にも、見張りに見つかった。  隠れていた草むらを飛び出し、一気に距離を詰める。  通常のゴブリンの体躯は5歳くらいの子どもと変わらない。おまけにこの個体の獲物は、簡素な棍棒。  鞘に収めたままの剣を振るだけでその身体は吹き飛び、不自然な方向に首を曲げ、泡を吹いて動かなくなった。  見張りは倒したが、問題はこのあとの対応だ。  おそらく、見張りの声は巣の奥まで届いている。撤退するか、攻め込むか……。  不意に何かのビジョン、誰かの影が、脳裏を過った。  既視感のような何か。だが、それが何なのかは分からない。  ただ、ここで引いてはいけない。そんな気がした。  意を決し、巣の中に踏み込む。  内部は、迷路のような構造だった。  壁に印を刻みながら、歩を進める。  時折ゴブリンが湧き出るが、一振りで一殺。刀身を出すまでもなく、鞘を振るうだけで片がつく。  少数であれば問題はない。  いや、もしかしたら、無数の相手とも渡り合えるかもしれない。根拠もなくそう感じる。  5度目の襲撃。26体目のゴブリンを返り討ちにしたタイミングで、何かの声が聞こえた。  ゴブリンとは違う、風の唸りでもない、おそらくは人のもの。  音源は背後。その方向に足を向ける。  見落としていた道があったらしく、いくつかの分岐の果に、開けた空間にたどり着いた。  どうやらここが、この巣穴の最奥になるらしいが……。 「あんた、無事、だったのね」  なぜかそこには〈文目の詩〉の、赤いメイド服の少女の姿があった。 「なんでここにって? あんたが心配だったから見に来たのよ!」  その言葉はこちらに向けたもの。だがその視線はこちらとは反対の、暗がりの中を睨んでいた。 「ギ? ギギ? ギシシ」  目が環境に慣れてくる。少女の視線の先にあったのは、一体の魔物の姿。  それは、巨大なゴブリンだった。  成人したヒト族を超える身の丈。四肢を形成する筋肉は、ヒトのそれよりも遥かに発達している。そして、手に持つ歪な棍棒は、何かによって赤黒く変色していた。  ゴブリンの両の瞳は、こちらを捉えている。値踏みでもしているのだろう。 「ホブ、ゴブリンよ……。ゴブリンの上位種。こんなところで出くわすなんて、思ってもみなかった」  事前情報にはない個体。  突然変異したか、他から流れてきたのか。いずれにしても、イレギュラーな相手であることは明らか。 「私が囮になるから、あんたは逃げて」  少女が前に出る。  その光景にまた、既視感を感じた。  初めて見るはずなのに、いつかどこかで、この光景を目にした事がある気がした。  前に出る。そして、少女を手で制する。 「なっ!? なんのつもり? あんた! あれと戦う気!?」  鞘を払い、剣を構える。  逃げる気にはなれない。  そして相手も、逃してくれる気はないだろう。 「無理よ! 正面から戦って、勝てるわけない!」  それは、やってみないとわからない!  足を前に。駆け出し、一気に距離を詰める。 「ギ! ギギギギ! ギー!!」  ホブゴブリンが、棍棒を大上段から振り下ろす。それは受け止められるような軽い一撃ではない。  前に飛び回避。懐に潜り、斬り上げる。  剣の腹がホブゴブリンの腹に食い込むが、浅い。硬い筋繊維に刃が止められた。  即座に後ろに飛ぶ。  こちらの捕獲を試みたホブゴブリンの手が空を切り、状況は仕切り直しとなる。  ホブゴブリンの腹の傷は、どう見ても致命傷には程遠い。  剣が悪いのか、腕が悪いのか、あるいはその両方か。  自嘲しながら、剣を構えなおす。  斬撃に活路はない。であれば、弱い部分を穿つしかないだろう。  ホブゴブリンが、動いた。  再び棍棒を大上段に振り上げ、巨体に似合わないコンパクトな踏み込みで、距離を詰めてくる。  胸板をぶち抜くには、その勢いを利用する必要があった。  ホブゴブリンの臓器の配置が古い記憶と同じであることを願いながら、足を前に、刃を突き出した。  振り下ろされた棍棒が肩を掠め、地面を打つ。  柄を通し、刃が肉を裂き、幾本もの細い骨を砕いたのがわかった。  零に近い距離で、ホブゴブリンの両の目が、こちらを睨んでいた。  そしてこちらを睨んだまま、その身体は、静かに崩れ落ちた。 「うそ……。たおした……?」  信じられないようなものを見るかのように、少女は驚いた顔をしていた。  今更になって、心臓や肺が存在を主張し始める。身体は酸素を欲し、心臓は落ち着きを失っていた。 「あんた、ケガは?」  問われ、確認する。かすり傷はあるが、大したことはないだろう。 「そっか。よかった……」  少し、心配させたのかもしれない。少女は心から安堵しているように見えた。 「というかあんた、無茶しすぎなのよ! 何考えてんの!」  怒った口調、そして、その目元は微かに潤んでいる。  おそらくここに、ホブゴブリン以上の大物はいないだろう。  少女の反応に妙な懐かしさを感じながら、このクエストは終わりを迎えた。
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