虹がかかればそれでよかった

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 ***  誰も傷つけない、誰も苦しめない広告はどうすれば作れるのだろう。  自宅のリビングにて。しょんぼりした私が原案と、新しいイメージ画のコピーを見比べてソファーに座っていると、八歳の息子がとことこと歩いてきたのだった。 「ママ、なにそれ?おしごと?」 「ああ、うん、まあ……そうね。会社の三十周年記念広告を作るって話になったんだけど、みんなの意見がまとまらなくて」 「ふうん」  恐らく、本当にちょっとした興味だったのだろう。彼は二枚の広告を見、新しい方の絵を見て露骨に眉をひそめた。 「なあにこれえ?人がいっぱいすぎて、わけわかんね。ママの会社、虹が大事なんじゃないの?なんで虹隠れちゃってるの?意味ないじゃん!それに、真っ白な空って、なんかきもちわるい」  子供は本当にはっきりものを言う。私は苦笑して“じゃあこっちは?”と最初の原案を見せた。  雨上がり、学校のグラウンドにかかる虹。嬉しそうにそれに手を伸ばす子供。 「そっちのが全然いいよ!虹がよく見えるもん。それに、その子もなんかうれしそう!」 「ありがとう、リク。でも、この絵じゃ駄目だって言われちゃったのよ……」  私はかいつまんで事情を説明した。誰も傷つけない画像を作ろうとして、あれもこれも追加していった結果新しい方の絵になってしまったこと。学校も、空さえもなくなって、虹もひしめく人で見えなくなってしまったことなど。 「変なの」  すると、彼は呆れたように言ったのだ。 「みんなが好きな絵とか、嫌じゃない絵なんか無理じゃん」 「え」 「みんな、好きな絵とか、好きなものとか違うもん。だったら、嫌な人がいたっておかしくないじゃん。めっちゃくちゃ売れた漫画が、世界中の人が読んで絶対面白いものじゃない、それが普通だってママも言ってたのに。なんで、そんなむちゃくちゃなことしてるの?」  言われて見れば、その通りだ。  私は、誰も傷つけない、誰も不快にしないもの、を無理やり追求しようとしていた。多様性の重視は確かに必要なことかもしれない。しかし、あれもこれも取り入れていったものが、本当に全人類に配慮できる代物になるだろうか?そして、それでもなお、最初に伝えたいメッセージは残せるものなのだろうか。  答えは簡単。不可能に決まっている、そんなことは。  だって、七十億人以上の人間がこの地球上にいるのだ。例えば同じ“二十二歳健常者で異性愛者の女性”でも、好きなものと嫌いなものは違う。誰もが好きになれるものなんて、最初から目指す方が間違っているというのに。 「この子、本当に男の子なのかな?女の子にも見えるけどな。それに、小さいけど、小学生じゃないかもしれないし。大人の方がみんな、へんなことばっか考えてる気がする」  嬉しそうに手を伸ばす子供を指さして、息子は告げる。 「雨上がりの虹、綺麗だよね。この子は、きっとすっごくうれしいんだよね。……ねえ、それよりも大事なものが、ママと会社の人達にはあるの?」  私達は、見失っていたのかもしれない。  今回の広告だけじゃない。結局のところ、“誰も傷つけないよう”にすることが、本当に“誰も苦しめないこと”ことではないのだ。本当に伝えたいことはみんな同じであるはずで、一番優先するべきはそれであったはずなのに、どうして私達は忘れてしまうのだろう。  仮にみんなの意見を取り入れた新しいポスターが採用されても、果たして本当にそれで私達全員が笑顔になれただろうか。その答えは、きっと。 「……リク、貴方の言葉……お母さんの会社の人達にそのまま伝えてもいいかしら」  私達の雨も、必ず上がるだろう。  雨上がりの虹を、もう一度思い出すことさえできたなら。
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