絵麻【1】

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 しかし実際に業務をしているのは清澄ばかりで、絵麻は名前だけの役員だった。呼び出されたら出向き、会議に出席する。受けとった書類に捺印、サインをする。それだけだった。大学を卒業したときは意気込んで毎日出社し、あれこれと質問をしたりして携わろうとしたが、遠回しに敬遠されるようになり、諦めたのだった。  出費の制限はないし、時間も全て自由。夫と会うことと出社することを除けば、何をしても誰にも何も言われない。  夫と会社にそっぽ向かれたことを、友人たちに気取られることも不快で、社交をするのも億劫になった。幼い頃から何不自由なく育てられているから、必要以上にお金を使う意味も見いだせない。幼い頃から多種多様に嗜んできた稽古事を再開し、趣味を見つけて没頭する、それが正しい人生の消費の仕方だろうと思えても、面倒だった。  やる気が起きず、毎日無為な時間を過ごしていた。やることと言えば、X、インスタ、ツイキャス、YouTube、TikTokを巡回すること。  そんな生活を2年過ごしてきて、単調な毎日に飽きがきていた。  だからかもしれない。SNSで発信もせず、当たり障りのないコメントしかしていなかった絵麻が、たまたま昨日、サカ☆カササギにいつもとは違ったコメントをしたのは。  元々、サカ☆カササギには良い印象を持っていた。おとなしく、孤独で、誰からも見向きもされないような、微小な存在感しかない。それでも、純朴で、優しげで、裏表のない、善良な人なんだろうと考えていた。絵麻は、人気のある配信者よりも、ほとんど誰にも見られていない、視聴者の少ない配信者を巡回しているのが楽しかった。まるで自分のようだな、という意識が少ながらずあったからだろう。 「到着いたしました」  絵麻の行きつけのハイブランドの店舗前に停車した。影谷は俊敏な動作で降車し、後部座席のドアを開ける。
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