早苗【1】

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 お風呂から出た早苗は、また智也の横に座り、本を読むふりをした。  それから1時間、二人共同じ姿勢のまま言葉を交わすことなく時が過ぎた。 「先に寝るね」  早苗は、引きつらないように最大限の努力をした笑顔を向ける。智也はこちらを見なかった。  トイレを済ませ、寝室へ行く。  智也が在宅している間は、常に緊張し続けている。リラックスした記憶はない。交際中にはあっただろうか。遠距離恋愛をしているとき、定期的にどちらかのアパートで会った。あの頃はリラックスしていただろうか。ここまで緊張していたようには思えない。自分の居場所があり、お金も自由に使うことができて、家族とも友人とも気軽に話せていた。生活の中で、智也との時間があっただけだ。  今は、智也との時間が生活になっている。智也に生かされている。智也のいない瞬間に、細々とした自分の時間があるだけだ。細切れで、数分しか持続しない時間が。  寝ていても、緊張していなければならない。いつ、智也が触れてきてもいいようにしていなければならない。受け入れないなんて選択肢はない。智也のために、存在しているのだから。
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