早苗【1】

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早苗【1】

 ドアの開く音が聞こえた早苗は慌てて立ち上がり、玄関のドアが見える位置に立ち直した。 「おかえり!」  緊張した様子を隠すようにして、元気よく言った。 「今日は何してた?」  智也は靴を脱ぎ、廊下を歩いてこちらへ向かってくる。無表情で早苗を見ている。  早苗は、小さく深呼吸をしてから言った。 「今日は買い物に行って、テレビ見て、夕飯作りをしたくらい。ハンバーグなんだけど、この間テレビでふわふわのハンバーグの作り方を見たから、そのレシピで作ってみたの。ソースもネットでググって新しいのに挑戦した。気に入ってくれるといいんだけど」  智也は、スーツを片付け、部屋着に着替えている。 「スマホ見せて」  早苗の前に立ち、右の手の平を上に向け、早苗に差し出した。 「うん」  早苗はスマホを、智也の手の上に乗せた。 「使用時間は50分か、こんなもんかな。履歴は確かにソース作りのことみたいだな。あとは芸能ニュース?」  1分ほどスマホを操作したあと、早苗に返す。 「テレビは何見たの?」  早苗は食卓の用意をしながら話す。 「毎週見てるドラマの、ほら、前も話したことある『君がいない夏』っていう恋愛ドラマ。それと、『日の名残り』っていう、イギリスの映画。原作を読んだから見たくなって」  温め直した料理を次々にテーブルに並べる。 「カズオ・イシグロっていう、日系イギリス人。ノーベル賞取った人。面白かったから、他のも読んでみようかなと思って、図書館で予約したんだ」  料理が並び、智也は無言で食べ始める。テーブルにスマホを置き、横目で操作をしながら、黙々と食べている。  早苗は、話しかけても反応がないことを不思議がる様子もなく、椅子に座り料理を食べ始めた。  智也はスマホに見入っていて、料理を掴むときにしか視線をあげない。早苗は他に何にも気を取られず、ただ食事に集中している。
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