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ユリウス・タラーは、端正で理知的な顔をしている。胸元や袖に金色の刺繍が入った、黒を基調とした品位ある制服がよく似合っている。
有能な雰囲気の漂う魔道士が言い淀む様に、「由々しき事態」という単語に重みが加わる。
「あの、私、ここに勤務して二年目で、役職についているわけでもないですので、お力になれるのか、わからないです」
自信のなさを正直に告白したにもかかわらず、彼は(おや?)というように片眉を上げた。それから、強ばっていた唇をふわりと緩めた。
「ふふっ。素直なお嬢さんですね。お名前は?」
「リーシェ・フランシュアです」
「フランシュア、フランシュア……」
彼の目の動きが止まった。頭の中で貴族名鑑のページをめくっているのだろう。
「私、貴族ではないです。ノンチェスター町出身の平民です」
「平民?」
信じられないというふうに、ユリウスの切れ長の目が大きくなった。
彼が驚いた理由はわかる。宮廷に勤めるには学歴や才能だけでは不十分で、身分が必要。
平民がなぜ宮廷に、しかも薬師というエリート集団の中で働いているのか不思議なのだろう。
彼だけじゃない。みんながそれを不思議に思って訊ねてきた。私は今までみんなに説明してきたとおり、アレクシオ王弟殿下の名前を出そうとした。
その矢先──。
宮廷魔道士の広い袖口から、なにかが飛び出してきた。
「ああっ、おまえか! クワッ!!」
ジャンプしてユリウスの手のひらに降りたものは──黄緑色のアマガエル。
ユリウスは慌てふためいた悲鳴をあげた。
「ああっ! 出てきてはいけません!」
「無理だ。死んでしまう! 早く水に入れてくれ! おまえの体温で乾涸びてしまいそうだ! クワックワッ!!」
「それはいけません! リーシェ嬢、桶に水を張ってくれませんか!」
「はい!」
勢いに押されて、私はすぐに木桶に水を張った。
アマガエルは水の中で気持ちよさそうに泳いだのち、桶の内側にペタリと張りついた。
「ああ、助かった。ありがとな! クワッ!」
「どういたしまして」
お礼を言うなんて律儀なカエルだと微笑ましく思っていると、視線を感じた。ユリウスが目を丸くして、私を見ている。
「リーシェ嬢は、その、カエルが人の言葉を話すことをおかしく思わないのですか?」
「そういえばそうですね。不思議なカエルですね」
「感想はそれだけですか?」
「えぇと、あとは……元気になって良かったなって思います」
「カエルそのものについては、どう思いますか?」
「私、田舎育ちなので、カエルを追いかけて遊んでいたんですよね。アマガエルってかわいいですよね。両生類の中で、一番好きです」
「クワッ⁉︎」
「っ⁉︎」
ユリウスは息を呑み、アマガエルは鳴き声を上げた。彼らは顔を見合わせ、しばし考え込むような沈黙を落とした。
カエルが人の言葉を話すなんて変だし、普通に会話が成立しているのもおかしいとは思う。
けれど、私は寝不足なのだ。
(頭が働かない。瞼が重い。これが夢か現実か、わからなくなってきた……)
二人の沈黙が、私を眠りへと誘う。
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