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星野佐和の場合③ <レイ>
レンタル彼氏の初出勤日、指名第一号の星野佐和さんとの仕事始めである。
服装は普段の通学の時のままでいいからと言われて、正直に真に受けてTシャツにチノパンで来てしまった。明らかに佐和さんとは不釣り合いなのは分かっている。
彼女が最先端のファッションに身を包み颯爽と現れるのを想像すると気が引けるほどチンケだ。
待ち合わせのカフェに着くと、窓際にいた佐和さんが手を振って合図をしている。その謎のジェスチャーが解読できずに困惑していると、急いで精算を済ませた佐和さんが出てきた。
「ちょっと行くとこあるから、いい?何か飲みたいなら、
そこのスタバで買うけど」
「あっ、大丈夫です」
「じゃあ、こっち」
行く先も告げずに歩き出した佐和さんを慌てて追いかける。女にしては大股で歩くので何だか迷子にならないように必死でついて行く子供のようだ。
7分ほど歩いて商店街を抜けたら閑静な住宅街に入って行く。個性的な家並みが続く中の、こじんまりとした洋館の門扉を開ける。
「此処、ちょっとした仕事場にしてるの。本当はこういうとこ連れ込んじゃダメなんだけど、内緒ね」
佐和さんは悪戯っぽくニヤリと笑うと、鬱蒼とした樹木に囲まれた洋館に招き入れた。連れ込むなんて言葉を使うものだからエッチな想像をしたけど、ここで引き返すのも男として情けない。意を決して中に入ると古い外観からは打って変わった広い空間にモダンな家具が並んでいた。
「リノベしてワンルームにしちゃったから広いでしょ。誰にも邪魔されない秘密の隠れ家なの。私以外の人が入ったの、あなたが初めてよ」
ちょっと言い方。そんな秘密の隠れ家にほぼ初見の僕を招き入れて、何をする気なのだろう。胸のドキドキが静かで広い部屋にこだまするようで落ち着かない。
静まれ、このくらいで動揺していたら、この先レンタル彼氏など勤まらないぞと言いきかせるが制御が利くわけがない。
「なんて顔してるの。いきなり食ったりしないから安心して」
いきなりじゃなかったら、いつかは食う気なんだと怯える。
「あのね、私には理想があるの。自分の男を仕立てる。デートにはこれ、家で寛ぐときはこのセットアップをとか…それをあなたに実現して欲しい。あなたは私の言う通りに洋服を着てくれるだけでいいの。ホントはモデルでやって欲しいけど、考えたら皆のものになるのはイヤかな。私だけのショーを私だけに見せて欲しい。至高の贅沢ってそう言うものよね」
背筋がゾワっとしたけど、佐和さんは至って本気モードだ。ショーってまさかストリップではないよね、なんて考えると更に鼓動が激しく暴れだす。
「ねぇ、これ着て見てくれる」
ラックに掛かっていた何点かの服から吟味して差し出されたのは、リネン素材でオーバーサイズのバンドカラーシャツと黒のテーパードパンツだ。受け取ると辺りを見回し着替える場所を探す。
「そこでイイじゃん。全裸になれって言ってないし」
「こ、此処でですか…」
「噓、うそだよ、セクハラもいいとこだよね、うふっ、そこのレストルームで着替えて」
佐和さんの指を差す方に従い、僕は着替えに向かった。後ろから堪えきれずに漏れた笑いが追いかけてくる。彼女に思うがままに翻弄されているのに、うまく制御できない自分がいる。
なんか違う、全然違う、これがデートなのか…違うだろ。
着替えている間も思考が追い付かなくて、洗面台の鏡に映る不安で歪んでいる自分を見つめる。いくら時給がいいからって、訳の分からない変わった趣味に付き合わされるのは本意ではない。平静ではいられない。
着替えて外に出ると、佐和さんがパンパンと音を立てて手を叩き賞賛してくれる。
「すごい似合う!ブラボー!」
やはり立ち振る舞いも日本人離れしている。普通、褒める時にブラボーは使わないだろう。長友じゃあるまいし…。
「ねぇ、お腹空かない?この近所に美味しいランチ出すとこがあるの、行きましょ」
「この服はどうしますか」
「あげる、あなたの為に用意したんだから着て欲しい、そこにあるの全部よ」
そうか、僕はプリティウーマンの逆バージョンを体現しているのだ。佐和さんが女版のリチャード・ギアで僕はさしずめジュリア・ロバーツか。
なんて…バカな妄想をしている場合じゃない。
こんな貢物を貰ったら規約違反にならないか?疑問が沸々と持ち上がるが、それを解いてくれる人がいない。
ああ、ちゃんと契約書を読んでおけば良かったと後悔した。
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