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依井ほのかの場合② <レイ>
レンタル彼氏を始めて半年ほどになり要領も覚えてきた。ランクも上位に昇り詰めて評判も上々である。
今日もLINEに予約が殺到している。最近は返信と打ち合わせをするだけで午前中が潰れてしまう。すべての予約を熟せば3か月先まで埋まりそうだが、大学生の身分で学業は疎かにはできない。大体の目安を伝えると諦める人もいるので、せいぜい1~2か月待ちが平均だと思う。
僕だけを指名してくれる固定客も何人かいる。
何回かデートを重ねているうちに、好きな食べ物とか話題とか性格も把握できるので段取りが楽でいい。勿論ファッションの好みも分かるのでコーディネートも即決である。
依井ほのか、変わっている、ちょっと苦手。
職業はイラストレーターで好きな食べ物は"たこわさ"。あのコリコリピリリが堪りませんと熱弁されても……返事に困る。
最初の擦り合わせで服の好みを聞いたら、いきなり「これに合わせて」と自分のポートレートを送ってきた。
個人情報ダダ洩れの警戒心ゼロの典型的な干物女子。写真を見れば一目瞭然で、合わせられるコーデは皆無。デートにトレーニングウエアはないだろう...。
今回で2回目のデートになる。
いまだに目を合わせて会話をしたことがない。僕は常に小柄な彼女のつむじを見ながら話をしている。
今日のコースは彼女の希望で美術館めぐり。お目当ての”〇良美智”の絵画展が開催されている○浜美術館までの遊歩道を並んで歩く。
強い風が桜の花を散らしていた。桜はパッと咲いてはらりと散る。最後の未練を断ち切るように春の嵐がすべての花を落とす。
その一片が彼女の頭に舞い降りた。僕はその花飾りから目が離せなかった。淡いピンクの言霊が彼女に宿ったようで暫く見入っていた。
不自然に黙っているのを訝しんで彼女が僕を初めて見上げた。
視線が重なると慌てて下を向く。
「あっ、ごめん。ほのかさんは色白だからピンクが似合うなって思って」
「えっ⁈」
彼女が自分で着ている服からピンクを探すが、トップが黒のブラウスでボトムはグレーのスカートなのでピンクなど何処にも見当たらない。あった、斜め掛けしたスマホポーチだ。彼女は頬を染めながら、ポーチを手に取ると語りだした。
「これ、イラストを描いて初めて貰ったお金で買ったの。ピンクは好きだけど洋服だと似合わないから……これにした。大切にしてるんだ、褒めてもらって嬉しい」
キュンとした、可愛い...めちゃ可愛い!
僕が褒めたのはあなたの髪にある花飾りだよって言いたかったが、黙っていた。
館内でも、僕は相変わらず彼女のつむじと会話している。
いや、正確にはあの桜の髪飾りとだ。
おしゃべりOKの日ということもあって、子供連れも多く彼女もいつになく雄弁だ。やはり好きな作家のイラスト展なので、話にも熱がこもり実に楽しそうだ。
美術館を出て駅まで歩く途中でアイスクリーム屋を見つけて、買ってくるけど何がいいか聞いてきた。
「ミントが苦手なんだ、チョコミント以外なら何でもいいよ」
「何それ、笑える~OK!」
大笑いしながら、走って行く。
しばらくすると、両手にアイスを持ち、ニヤニヤしながら戻ってきた。
「レイ君は大人のラムレーズンにした」
ありがとうと受け取ると、彼女は悪戯っぽく片方の口角を歪めていう。
「ねえ、私はチョコミントにした、一口あげようか」
顔の前に差し出されたアイスを大袈裟に体をのけ反らして避けると、また大笑い。ツボに入ったらしく笑いが止まらないようだ。
途中まで一緒の帰りの電車の中でもニタニタが止まらないので、傍から見れば間違いなく危ない人である。見るといつの間にかつむじの花飾りは消えていた。
乗り換えの駅で別れ際に彼女が握手を求めた。彼女にしては大胆で思い切った行動だったに違いない。少し手が震えている。
「今日はすごく楽しかった。レイ君ありがとうございました」
真っ直ぐ伸びた手を握った。小さくて一生懸命に頑張ってきた手は小指にペンだこが出来ている。ギュッと握ると遠慮がちに握り返してきた。
「僕も楽しかったよ。また逢えるといいね」
はにかむ笑顔がキュートで、今日の彼女はいろんな笑顔を見せてくれる。
良かった、僕は少しはあなたの役に立てたのかな...
頑張っている、あなたの気持ちに寄り添えたかなぁ...
ほのかさんの不器用な愛情表現に応えたくて、いろいろ考えたけど何も考える必要なんかなかったんだ。
傍にいて並んで歩いて、少し話をして何でもないことに笑って握手して別れる。それで彼女は幸せそうだった。特別な演出もサプライズな出来事も彼女は望んでいない。
そう、ほんのり宿った花弁のように、その日の彼女は慎ましくひそやかで、とても愛らしかった。
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